亀淵昭信のロックンロール伝 | baby&nona のブログ

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'60~'70年代のSOUL・R&Bをこよなく愛するブログを始めました。

☆ Yesterday Today Soul Forever …♪♯♭

'60年代後期からラジオ番組"オールナイトニッポン!”まさに黄金期に深夜 試験勉強を装ってよく聴いていた世代です。音譜

「オールナイトニッポン」は、1967年(昭和42年)10月1日25:00(10月2日01:00)の放送開始以来、40年にわたって放送を続けるラジオ放送の長寿番組である。
放送開始当初から今日に至るまで全国的な人気を誇り、若者を主なターゲットとする深夜放送の代名詞的存在となっている。
さらに、ニッポン放送といえば「オールナイトニッポン」といわれるほどニッポン放送を代表する看板番組である。また、この番組から数多くの人気ラジオパーソナリティが生まれ、若手芸能人の登竜門でもある。2011年2月現在、ニッポン放送で放送中の同局制作番組の中で、放送期間は『テレフォン人生相談』に次ぐ第2位である。

1969年には木曜日に高嶋秀武が、土曜日に亀渕昭信が参入する。
亀渕はアナウンサー出身ではなかった(製作担当)が、それを逆手に奇抜かつ斬新なDJスタイルをすることで聴取者から注目が集まり、一気に「オールナイトニッポン」の看板パーソナリティとなる。
同じパーソナリティ仲間の斉藤安弘とともに「カメ&アンコー」としてCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)からレコードを出し、その中でも「水虫の唄」はオリコンチャートにランクインするほどのスマッシュヒットとなった。

最初は関東ローカルであり、協賛スポンサーもニッポン放送サービス(現:ポニーキャニオン、ポニーキャニオンは90年代まで番組の協賛スポンサーだったが後に降板)一社だけだったが、夜間はラジオの電波が広範囲に届くこともあり、関東のローカル番組であったにもかかわらず日本全国からはがきが届いていた。その後、1970年6月にKBCラジオ、ラジオ大阪、7月にSTVラジオ(ラジオ部門分離前の当時・札幌テレビ放送)が、その後は東北放送、長崎放送などが番組受けを開始する様になるなど、ネット局数が順次増加していき、複数の協賛スポンサーが付くようになった。

☆正に、この時代が「オールナイトニッポン」の第1次黄金期であるといえよう。

『オールナイトニッポン』の前置きが長くなりましたが、亀淵昭信氏のフリーマガジン「熱風」に連載していたエッセイ
「ドーナッツ盤に恋をして、私説ロクンロール黄金史」から単行本になったのでご紹介をしたいと思います。



ロックンロールを聴くのにトシは関係ない!
            You're never too old to Rock'n Roll !
                        ↓
           ☆亀淵昭信のロックンロール伝☆本
         ~ビートルズ以前、16歳の僕はドーナツ盤に恋をした

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内容紹介
いくつになってもロケンロール!伝説のDJが語る“私説”洋楽ポップス史

伝説のラジオ番組『オールナイトニッポン』の人気DJにしてニッポン放送元代表取締役社長。
そして現在は“ポピュラー音楽研究家”として活躍する亀渕昭信氏が、スタジオジブリ発行の月刊フリーマガジン『熱風』に連載(2008年8月~2010年11月)したエッセイ「ドーナッツ盤に恋をして、私説ロクンロール黄金史」を単行本化。
自伝風洋楽ポップス史であるとともに、50~60年代カルチャーについて書き記した貴重な文化論でもあります。

【内容】
第1章 食べられないドーナッツ
第2章 78回転-33回転=45回転?
第3章 タイタニック S・O・S!
第4章 ジュークボックス登場
第5章 キング・オブ・ポップ
第6章 ベートーヴェンはぶっ飛ばない
第7章 巨匠トスカニーニの助言
第8章 ジェロと演歌とロックンロール
第9章 ハンク・ウィリアムスよ、永遠に……
第10章 テキサスのプレイボーイたち
第11章 壁を壊したレイ・チャールズ
第12章 まわる、まわる、タンテはまわる
第13章 グレースランドとネバーランド
弟14章 エースのジョニー
第15章 Oldies But Goodies
第16章 すべてを決める契約書
第17章 ロックンロール、いじめにあう
第18章 ロックンロールとウエストサイド物語
第19章 イカレポンチに憧れて
第20章 ロックの殿堂とアラン・フリード
第21章 もう一つの戦い、ASCAP対BMI
第22章 ロックンロール、丸くなる
第23章 アメリカン・バンドスタンド、ディック・クラーク
第24章 オー・ニール
第25章 栄光のブリル・ビルディング
第26章 LP盤にも恋をして
第27章 時代は変わる
第28章 ドーナッツ盤を抱きしめたい


亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年3月1日 - )は、ラジオ・ディスクジョッキー、ラジオ・パーソナリティー、ポピュラー音楽研究家。
ニッポン放送元代表取締役社長(1999年 - 2005年)。
愛称は「カメ」、「カメちゃん」。



表紙の亀渕昭信の写真はドナルド・フェイゲンの名盤『The Nightfly』のジャケットのパロディに見えます。兄が持っていた素敵なジャケット画でしたので覚えていました。


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しかし この本にはドナルド・フェイゲンやスティーリー・ダンの話は載っていないのです。
タイトルはロックンロール伝となっていますが、1949年にRCAが45回転のドーナツ盤を発売した頃から、ロックンロールの誕生、エルビス・プレスリーやエディ・コクランのロックンロールの全盛期を中心にビートルズの解散辺までを扱っています。基本的にはビートルズ以前のロックンロールに重きをおいた内容となっています。

ドーナツ盤(EP)というハードと言うかメディアとロックンロールというソフトを同時に語っていくという所が非常に珍しく、この本の面白いところです。
ドーナツ盤はLP盤よりも後に発売されたそうです。コロンビアが先にLP盤を発売し、それに対抗するかたちでドーナツ盤(EP盤)が発売されたそうです。当時はコロンビアとRCAはそれぞれ、CBSとNBCという放送局も持っているメディアコングロマリットだったのですが、コロンビアレコード(CBSレコード)もRCAレコードもソニー・ミュージックの傘下になっています。なるぼど‥

ブルース、カントリー&ウェスタン リズム&ブルースが ロックンロールに繋がっていったという話はなんとなく知っていましたが、この本ではその辺がかなり掘り下げて語られています。
黒人が歌ったていたR&Bの直接的な性表現を抑えたり、ビートや歌い方をソフトにし、白人がカバーしたものがロックンロールの原型の1つで、黒人のように歌う白人の完成形が"エルビス・プレスリー"だったようです。エルビスの代表曲の1つ『HOUND DOG』も元はR&Bだったそうです。
プレスリーの楽曲は当時クレジットに載せられなかった、黒人が作った曲が多くあると聞いていましたが、R&Bカバーも多くありますよね。
Michaelが言っていました『ハートブレイク ホテル』も黒人が作った音楽なんだ!って‥♪

「ロックンロール」という言葉を発明したDJのアラン・フリードの話もあります。R&RやR&Bという言葉を産んだ伝説のDJはペイオラ事件に巻きこまれ、失脚し、悲劇的な最後を遂げていた。
ペイオラ事件とはレコード会社がDJに賄賂を送って、レコード会社が売りたい曲をDJにかけさせていた事が発覚した事件。アラン・フリード自身はペイオラに関わったことは認めていないそうです。

LPとドーナツ盤の戦いだけでなく、音楽出版社や著作権に関する話についてもかなり詳しく書かれているのもこの本面白いところです。ミュージシャンがレコード会社や音楽出版社にいいように搾取される話を読むと、音楽や芸能という世界に不信感があります。
MOTOWNレーベルでのシンガーや作曲家陣たちが'60年代後期ころにレコード社に自分達が摂取されてることに立腹し次々と主要なミュージシャンたちが こぞって辞めていったことも理解できます。

この本では、'50年代の有名アーティスト達の話が多く語られています。
アーティスト等に多大な影響を与えたチャック・ベリー、C&W(カントリー&ウェスタン)の申し子ハンク・ウィリアムス、R&Bジョニー・エースの悲劇的な死、天才シンガー、レイ・チャールズ等など
最も多く語られているエルビス・プレスリー、彼をマネージメントし成功に導いたトム・パーカーの手腕も興味深かった。
当時ラジオのディスク・ジョッキーから、人気番組司会者になったディック・クラークの音楽関係ビジネスの実業家ぶりも伺えた。

現在の米や日本のアーティストを交えて書かれているので とても参考になり、面白く読めます。
演歌歌手、ジェロの話やフィル・スペクターやチャビー・チェッカーなど大瀧詠一に影響を与えたミュージシャンも多く登場します。 *上手く説明できないので、他の方のblogを参考にしています。


亀淵氏の本から 知らないアーティストの名前や曲名がたくさん出てきますが、
エルビスの全盛期やビートルズのデビュー前からのリアルタイムでの過程を よく知っておられる
亀淵氏です。

ビートルズが来日してきた年、TV放送は、今でもはっきりと覚えていますが
それ以前の有名な音楽やアーティストはリアルタイムでは知らない年回りです。
この本は、とても読みやすく(字が大きいことも) 当時の流行語を交えたり、あらゆる音楽の
すばらしさ、懐かしいこともありますが 現在のアーティストのことも書かれ楽しんで読ませていただきました。
 

☆本の5章「ザ・キング オブ ポップ」
ジャキー・ウィルソンからマイケル・ジャクソンへ

すでに四半世紀も前から肌の色など関係なく「王様」が誕生していた。
"ザ・キング オブ ポップ"と呼ばれていた☆マイケル・ジャクソンだ。
もちろん、それまでも人気のあった黒人アーティストは大勢いたが、音楽の粋を超えて
フェノメノン(社会現象)にまでなったエンタテイナーはきわめて珍しい。

ご存知のように、兄弟グループ"Jackson5"の一員としてデビュー。
1983年、アメリカ音楽業界の権威ある賞、グラミー賞の9部門を制覇した
大ヒットアルバム『スリラー』で、その人気を決定付けた。
彼の出現は、エルビス・プレスリーやザ・ビートルズのように それまでの音楽の形を変え
よりファッション性の強い新しい時代の新しいポピュラー音楽を創出させた。
その両性具有のような存在自体が社会現象であった。

ジャッキー・ウィルソンに大いに影響を受けたマイケルのパフォーマンスの中で、踊りながら歌うジャッキー・ウィルソンの最後にキメのポーズでカチッと終える、かっこよさは マイケルはまさにその
動きだ‥と書かれています。
ジャッキー・ウィルソンは、かなり亀淵氏のお気に入りのようです。
私も最初に彼の歌とパフォを見た瞬間から凄い!エンタティナーだなぁ‥と思いました。

'50年代の後半、ポピュラー音楽ファンの間では かなり知名度が高かったジャッキー・ウィルソン
"ミスター・エキサイトメント"と言われるほどに パワフルな歌唱とダンス☆
彼は軽やかにダンスステップを踏み、時々 短い叫び声をあげ、ステージ狭しと動き回り歌う。
途中で着ていたジャケットをさっと脱ぎ、すっと肩にかける。
その踊りは当時ハリウッド映画で人気のあったフレッド・アステアやジーン・ケリーなど白人のダンサーたちのステップとは断然違うもの。
今のヒップホップ系ストリートダンスにも繋がるソウルフルな身のこなし方‥
ハイテナーの声質は艶があり色気もある。

Michael Jacksonが子供時代から多いに影響を受けたといわれるジャッキー・ウィルソン☆

『Lonely Teardorops』/ Jackie Wilson




亀淵氏は、2005年の春 ニッポン放送が資本政策問題が勃発され、M&A騒動に遭遇されました。
まだ記憶に新しいライブドアとフジテレビのM&A騒動は、結局折り合いをつけ合意の形をとられましたよね。

当時ニッポン放送の代表取締役だった亀淵氏に、騒動が起こってしばらくして、毎日のように数通づつ
ハガキや封書が届けられました。当時M&A騒動の新聞記事を読んだり、TVでインタビューを受けてる
カメさんを見たときに、騒動の中 つい懐かしく思ったものでした。
あの時代に「オールナイトニッポン」を熱心に聴いていたリスナーの方たちが「カメ、俺はラジオが好きだ、頑張れ!俺達がついてるぞ!」「この世の中にはお金よりずっと大切なものがあるのだ。まけるな、カメ」といった励ましの手紙が どんなにか励みになり、助けられたことかと感謝されていました。読んでるうちにタイムマシーンに乗って ちがう時代にいっちゃった気分になり、差出人の多くは
50代のはずなのに、心は10代のまんま。なんの利害関係のない素晴らしい方々だとも‥

今の時代は、音楽もデジタル化され、パソコンやアイフォン、ウォークマンなどにダウンロードできる時代になりました。いつ何処でも好きな音楽が聴けるのです♪
あー、でもあの懐かしきアナログ時代 レコード盤(ドーナツ盤)で聴く音楽も良かったなぁ‥音譜


最後にカメさん(亀淵昭信)が 我が大好きなオーティス・レディングのLIVE'67年夏、サンフランシスコに行って撮ってこられた写真がなんとも羨ましい‥ *本の中の写真が載せられませんが
その時に作られた名曲中の名曲♪『ドック オブ ザ ベイ』‥同年11月に録音し終え、巡業に出た12月、オーティス(バンドメンバー)の乗った飛行機が墜落‥帰らぬ人となりました。



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忌野清志郎さんが愛してやまなかった、オーティス・レディング☆
この曲は私もドーナツ盤が擦り切れるほど聴いていました。オーティスの遺作曲です。

『Dog Of The Bay』 / Otis Redding




亀淵昭信‥ (wikiより)
1966年10月から1年間、現地のラジオや音楽を勉強するため渡米。
前半はサンフランシスコ州立大学に聴講生として通い、後半はロサンゼルスを中心としたアメリカのラジオ局を訪問する。当時のサンフランシスコ・ベイエリアは新しいロックのメッカでもあり、亀渕はジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、クイックシルバー・メッセンジャーサービス、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、カントリー・ジョー&フィッシュなど、ベイエリアで人気上昇中のグループや、ドアーズ、オーティス・レディング、ザ・フー、クリームなど、ツアーでサンフランシスコにやって来る人気アーティストのライブ、またモントレー・ポップ・フェスティバル等のイベントを観賞した。

エヴァリー兄弟は'50年後半から'60年前半に活躍された、カントリーの伝統(クローズ・ハーモニー)
というスタイルで美しいメロディーを奏でる。ビートルズやサイモン&ガーファンクルにも多大な影響を受けられたそうです。


ビートルズ以前のアイドル~ エヴァリー・ブラザーズと一緒に映る若き亀淵氏
('66年12月 LA・ハリウッドRCAレコード・スタジオにて)

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