baby&nona のブログ

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'60~'70年代のSOUL・R&Bをこよなく愛するブログを始めました。

☆ Yesterday Today Soul Forever …♪♯♭


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☆「前略おふくろ様」☆






'75年からのTVドラマ「前略おふくろ様」主演 萩原健一 

『前略おふくろ様』(ぜんりゃくおふくろさま)は1975年から1977年まで日本テレビ系列の金曜劇場で放送されたドラマである。

倉本聰原案による、東京の下町(深川)を舞台にした、照れ屋な板前の青年(萩原健一)と周囲の人々との触れ合いを描いた青春ドラマ。
当時まだ駆け出しの女優だった桃井かおりと東映の大部屋俳優だった川谷拓三を一躍有名にしたことで知られる。
また、これまでの映画やテレビドラマでアウトローな役柄を演じてきた萩原を主人公の純朴な青年に、ヤクザやプレイボーイ役を演じることの多かった梅宮辰夫を熟練の渋い板前役にキャスティングし、イメージ・チェンジさせたのもこの作品である。

タイトルは萩原演じる主人公が母親宛に書き綴る手紙の冒頭(冠省)部分であり、劇中のナレーションも萩原がその手紙を読むという形になっている。このナレーションの手法は後の倉本作品『北の国から』にも採用された。     ウィキペディアより


かれこれ、若かりし頃に見たショーケンこと萩原健一様が私めを虜にしています。
トリコといっても、このドラマのショーケンはじめ、出演者のすばらしい演技力、また
巨匠 倉本聰氏の作品は実に構成、ナレーションが主人公の心情を分かりやすく演出させる
ところに興味深い。

板前さぶちゃんことショーケンの役柄は実に純朴で野暮ったさがあり、決してかっこいい役柄ではないのですが、
彼の持ち合わす"甘ったるいカッコよさ"がファンを魅了させていたのだと思います。

さぶちゃんの古い調理場で焼いたり片付けたりしてる立たづまいが、さりげなくとっても素敵でして・・
何げないシーンなのに若くて一番輝いていたいた頃のショーケンさんですのでね☆ピカッw

本題にそれますが、ショーケンは"ザ・テンプターズ"の頃からテレビ、また地元の公演にも行って拝見していますが、この頃には彼のその魅力には気づかず ただただキャアキャア言ってただけのようでして。。汗w
とはゆえ"神様お願い"や"エメラルドの伝説"でショーケンが歌うとき膝まづく姿が胸キュンでした。

*ここだけの話:この頃に広島という地に有名アーティストがよく来ていて、当時のグループサウンズは ほとんど見に行っていますが、ザ・タイガーズだけは電車のキセルが見つかって遅れてチケットをパアにしてしまって。。見に行けなかった。( 'ω'シュン

でも、テンプターズに行った思い出は強烈で、小さな地方の公民館でショーケンが
"お~、ままままぁ~♫ 神様お願いだー♪"って歌ってたんですよん!
キュン゚+o。ドキュ―(*゚д゚*)―ン。o+゚

うちの店は"おもちゃ屋"でして当時 店先でビニールの動物やらを売っていたのを友達らと
テンプターズに渡したいがために、かっさらって持って行きました。
ステージを見て もう皆 興奮状態に達していて、そのビニール動物をステージに投げ込むは何やらで・・
その時、ショーケン大ファンの友人が"オバQ" オバキュウ(当時のアニメ)のビニール物を投げ込んだ瞬間ショーケンが拾って”だれ?"って キャァww(*´艸`)キャ
傘マークにカズコ&ショーケン"ってマジックで書いたのを見て
"かずこちゃん"って呼んだ瞬間、皆が一斉に"はぁいw!″ってな調子で。。

「とても青春的で・・」これ分かりますか? はい、"前略おふくろ様"で見てください。笑


"ザ・テンプターズ"と言う名は、'60年代ですのでいつもここで書き込んでいる
″ザ・テンプテーションズ"から名付けたものだと思われます。
'68年に来日するはずだったテンプテーションズに当時の日本人グループサウンズ達がこぞって
テンプテーションズが来なかった残念なコメントから そう思うのであります。


さてとドラマ"前略おふくろ様"は、今見ても新鮮で"おもしろおかしさ"ありの泣けるシーンあり~の の青春を懐かしめる作品であると思います。
一日の出来事を「前略おふくろ様」で手紙式にさぶちゃん自身の思いを語るナレーションは当時は新鮮で
倉本ワールドで一番の傑作ではないでしょうか。

2ちゃんで"前略おふくろ様"が盛り上がっているのを拝見して、おばちゃまは嬉しくなっておりますです。はいw みんな"おふくろさん"が好きなのでしょうね。
出演者の川谷拓三さんや室田さんピラニア軍団が脇を固め笑わせてくれます。
"恐怖の海ちゃん"こと桃井かおりさん、実に個性派です。

えんだ~、'70年代の洋楽や歌謡曲などがドラマのシーンの要所要所に聴こえてくるのですが
それがシーンの光景に見事にマッチしておりまして、同世代に聴いた懐かしい楽曲にも効果抜群のドラマなのです。

そして、ようつべでショーケン・ライブで視聴しますと男性のファンがめちゃ多いのを認識しました。
"はぎわら!”って叫び声が。。
これは、彼の素のかっこ良さ・・ワル、つまりドラマや映画の名演技そして憧れからくるものではなかろうか・・と思うのであります。

まぁ、そう言う私めも"傷天"やマカロニ刑事役を見て萩原の大ファンでありますが、前にも書いたように彼には 特有の甘い色香があるのです。
女性ファンが多いのも悪さのある"甘いカッコ良さ"が魅了されるのではないでしょうか。
ワルは昔から女にもてるのです。(*´∀`*)

前略おふくろ様のシーンでヒデさんこと梅宮辰夫が、さぶちゃん(ショーケン)に言ってた
"気にすんな・・お前と俺は女にもてるタイプだから、そう言われるんだ・・″とか言うシーンでデレっと
にやける さぶちゃん。。これは梅宮さん、お二人共本当ですから・・(笑)

今は亡き坂口良子さん扮するかすみちゃんの一途で、ちょっぴり強引でもあるさぶちゃんへの恋☆  かわいいwったらありゃしない。




個性派の"恐怖の海ちゃん"扮する桃井かおりさん、私は桃井さんのファンでもありますが
彼女の海さんは、はかなげで可愛くて・・つまりバカっぽさが魅力的で。。
さぶちゃんを悩ます存在なのです。

皆さんお気ずきかな?と思うのですが鷲組の子分役(半妻に小突きまくられ役の) 
亡き"大口ヒロシ"さんは、テンプターズでドラムス(当時はタイコと言っていた)を敲いていました。一応ドラマレギュラーです。

何といってもヒデさん扮する梅宮辰夫さんの男気のカッコ良さ、色気もあります・・男は余計な口はききません。
若女将さんの丘みつ子さん、お綺麗でお優しくてしっかりものです。
そしてピラニア軍団いや、渡辺組 半妻役の室田日出男さんの かすみちゃんへの恋心。。
面白いです。
半妻の弟子、利夫役の川谷拓三さんの"お兄ちゃん"とさぶちゃんを呼ぶセリフが多くて、これは海ちゃんもそうなのですが このお二人は実に芸達者なのです。
半妻と利夫が一層、このドラマをおもしろおかしく泣かせてくれます。

当のおふくろさんは出番は少ないのですが、田中絹代さんでお品が良くて・・田舎のおふくろさんを見事に演じます。
海ちゃんのお父さん役 大滝秀治さんは怖いのかと思ったら娘に気を遣っている姿にジーンときてしまって。。これは年を取ったものには分かるはずでして、私も父親には。。

かすみちゃんの父親役が加藤嘉さんといった大物俳優の勢ぞろいドラマであります。
良い役者、良い脚本、良い演出家などのオンパレードなのですから杞名ドラマ
とても伝説的です。

かれこれ、40年も前のドラマとは思えないくらいの作品でして、さぶちゃんの女性に対する臆病な一面 "しっかりせんか~,さぶ″とか言いたくなるような引っ張っていくようなタイプではない男性の弱さなどが描かれていますが、それを見事に演じている萩原さんは後の名俳優と言われる演技力です。

彼はもうシルバー世代になりましたが、今尚カッコよさは失われておらず、其のままのショーケンでいてください。
まぁ長く生きていますと色々ありますが、もうやんちゃはしないでしょうし芸に一層渋みが出てくることをお祈りして、萩原さんへのファンブログを終えます。
決して幸せ太りはしないと思いますが、"素敵なショーケン"さんでいてください。

*すみません、こういったブログは自分自身の気持ちが優先してしまってお詫び申し上げます。
やんなきゃいけないことがいっぱいあるのに、つい書いちゃいました。m(_)m

こちらに"前略おふくろ様”配役の方々の詳細が画像で分かりやすく見れます。

http://buta-neko.net/blog/archives/2005/10/post_544.html







昭和20年8月6日・・70年前広島に原子爆弾が投下された日







8月6日 毎年この日が来ますと何だか・・身近な祖母のことを想わずにいなれない ザワついた日なのですが
改めて気持ちを落ち着かせ、アメブロに記してみようかと・・初めての試みです。

私が生まれた時から一緒に暮らしていた祖母は、70年前の今日、広島にて被爆をしました。

おばあちゃんから聞いた当時のことを、ここに書き記してみます。

8時前、勤労奉仕(勤労作業)の為 バスに乗って広島爆心地の方へ向かっていました。

バスの中で、隣に座っていたお年寄りの方と話す・・
おばあさん・・暑いのに防空頭巾を被っていました。
祖母は思わず「暑くありませんか?」と聞きますと「いつ空襲が来るかわからんですけー、あつうてもこれが離せんのです」と・・

そこへ、何だか妙な音がした途端、ぴかっと光ったそうです。祖母の記憶では、それが最後で
何が起こったのか・・気がついたら、バスの中は運転手はハンドルに頭をつけたまま止まっていました。車掌も倒れたままでした。

とにかくバスの中は暑くて暑くてもがき苦しむ人さえいなかった。。
隣に座っていらした老人に "おばあさん、おばあさん・・"と肩を揺り動かしても下を向き
防空頭巾を被ったまま息がなかった。。

窓を開けようとしたが開かず、そこへ男性の方がむっくり起き上がって、バスの扉を蹴り始め
ました。なかなか開かず祈る思いでした。
ようやく戸が開き、祖母と男性はバスから飛び出たそうです。
バスの中は暑くて窒息死でもするような状態で、祖母が出る時には
他のだれも起き上がってこなかった・・
バスは爆心地から数百メートルのところで止まり被爆したのです。

バスから降りると爆心地近くの"大田川"という川の方へ ふらふらと皆が歩いて向かっていました。
祖母も、とにかく水が飲みたい一心で 瓦礫の散乱した地を歩きながら大田川へ向かいます。
泣きながら川へ浸かっていた人が多くいました。生き着いて来た方々でしょう・・

祖母は足を川につけ、顔を川水で洗おうと手に水を受け顔をこすったとたん、ずるっと
頭から皮膚の皮が剥けたそうです。
少しすると触ると痛みがありましたが、それよりも一人娘(私の母)のところへ帰らないと心配してると思い、よろよろと歩いて家路に向かっていると、心配して探していた母にばったり会ったのです。爆心地から1キロくらいのところで・・

母はとにかく大やけどをしている祖母を家に連れて帰り、井戸水で顔や手をずーっとずーっと
冷やし、氷やも多くの被爆者がいた為、中々分けてもらえなかったそうですが少ししばかりの
氷で一晩中 冷やし、3日三晩 寝ずして冷やし続けました。その甲斐あってか熱も下がり
5日も経つと体中の暑さが少し抜けたようでした。

その内、近所の方々は被爆して家に帰ってこられたのに・・
5日くらいは生きておられたのに亡くなられた方も多くおられたそうです。

祖母は顔、胸(衣服の開き部分のみ)、両手の甲にやけどを負いました。
素手でしたが、布を纏っていないところだけ やけどをしました。
麻地の長いワンピースを着て、棉麻のソックスを履いていたようで、

祖母はいつも
"この麻の服に身を守られた"といっておりました。
身体の半分以上やけどを覆うと体内にも影響し亡くなられたようです。

その服は私が小学2年のころ、家を引っ越す前に見せてもらった記憶があります。
麻地のワンピースは、ぼろぼろに焼けこげ 地の部分はわずかでした。
ちょっと怖かったように思い、
"おばあちゃん、そんなん もう捨てんさい"といいました。

"そうじゃね、思い出すから捨ててしまおうよ"といって どこかへ持っていきました。
それから、その服を見たことはないのですが、祖母は何年も その服を大事に持っていたのです。
今では原爆資料館に遺品として見てもらえるような 当時の悲惨な情景が この服に籠められていました。
目を瞑ると、私の目、胸に焼きついた あばあちゃんの身を守ってくれた麻の服・・
さぞ、暑かったでしょう、痛かったでしょう・・
その後も顔のケロイドは誰でも被爆者だとわかりますので当時は偏見もあったことでしょう。

何一つ愚痴を聞いたことがない、タフで働き者で陽気な祖母でした。

祖母は私達(孫)姉兄を3人を連れ 毎年 原爆記念日には8時15分の黙祷に行きました。

祖母自身は生き残った身でありましたが、同じ被爆を受け亡くなられた方々に追悼の意を捧げる想いは 祖母のように体験したものにとっては感慨深く祈る思いは魂のごとく、この日は特別な生き導のように思われます。
祖母は被爆して40年余り 生存しました。享年79才

「おばあちゃん、今日は世界中の皆が原爆で亡くなられた方々の追悼をしておられますよ、安心して母と一緒に・・」 祈り☆



*世界中 戦争は 絶対 行ってはいけない・・決して!!
                                 合掌






  べース奏者「James Jamarson」モータウン


 モータウン/ベース奏者/ジェームス・ジェマーソン〈James Jamerson〉
              ’36年1月生 ’83年8月2日死没(享年47歳)

 ’60年代から’70年初期頃まで黄金期モータウン・レーベルで数々の(30曲以上)ヒット曲を演奏してこられたベーシスト ジェマーソンのご紹  介です。
 ジェマーソンのベースは人差し指だけでプレイするのが特徴です。

”伝説のモータウン・ベース”ジェマーソンの再販 本(完売)や
”永遠のモータウン”DVD 感動的な”Funk Broters”のドキュメンタリー映画があります。(ブログ下記載にある中古DVDが購入できます)

’71年になって初めて彼の名前をクレジットされたようで、生前には知る人ぞ知る名ベース奏者だったのではないでしょうか?

以前、ソーシャルbrogで載せた事項から‥

☆モータウンで、'59年”Funk Broters”期からレコーディングを手伝っていたベーシストこそが「ジェームス・ジェマーソン」だった。

彼は'62年頃にはモータウンの専属ベーシストとして契約していた。
 *その頃からモータウン黄金期が始まります。

当時のスタジオ関係者が「ジェーマーソンが曲のフェイド・アウト部分で立ち上がった時、それが次の曲に移るキッカケであり、ベストテイクの印だった」
と語っている通り、レコーディングスタッフというある種の裏方作業を担当していたジェームスが、しかし事実上のバンドマスターであり、
指揮者でもあったという事実を見ても、J・ジェマーソンのモータウンにおける存在感の大きさを垣間見ることが出来るというものだろう。

しかし、当時はアーティストのレコードにバックミュージシャン(ファンク・ブラザーズ)のクレジットを入れる習慣がなかった為、
J・ジェマーソンが参加したレコードがどんなに大ヒットしても、一向にジェームスを始めとするバックミュージシャン達が有名になる事はなかったのだ。

その事にジェーマーソンは人一倍フラストレーションを感じていたようで、次第にジェームスは「自分は人々に認められていないのではないか」
という被害妄想に走るようになり、アルコールとドラッグで肉体と精神とを痛めつけるようになってしまう。

その上、ジェマーソンは「俺がいないとモータウンのレコーディングは進まず止まったままだ」という自信と自負があったようで、
そういった事も徐々にモータウンレコードの人々との確執を深める原因にもなってしまったらしい。

どうであれ、'68年頃までにモータウンが彼に「自由にベースをプレイ」させていた頃までのジェマーソンのプレイは、
それまで誰もやった事のないような斬新なモノだったし、その“ベースの面白さ”こそがモータウン・ミュージックの魅力の大きな要因になっていたのは事実である。
 *時には床に寝転んだままギターを弾き、皆を驚かせることもあったそうです。

アーティスト達の初期のレコードでは殆どジェームス・ジェマーソンがプレイしているし、“ファンク・マシーン”というニックネームを付けられた、
フェンダー・プレシジョンベースの図太い音と共に、それらが歴史的名演として、またフレージングのお手本的存在として扱われている事からも、
"ジェームス・ジェマーソン"というベーシストの残した偉大なる足跡は余りにも深く、大きなモノなのである。

数多くのミュージシャン達の、以下のような言葉の中にもまた、"ジェームス・ジェマーソン"のそんな姿を見る事が出来る。


★「ジェームスは、ボクの人生において、ある物体を“目に見える”ようにし てくれた」 スティーヴィー・ワンダー

★「彼が残したスタイルは、ボクがベースを学ぶ時、最大の影響を与えて くれた」  ポール・マッカートニー

★「ジェマーソンは天才なんだ」   マーヴィン・ゲイ

*ジェーマーソンがベースを演奏したモータウン・ヒット曲など
Jackson5: '70年 " Daring Dear" ♪
       "World's Prettiest Bassline/James Jamarson

https://www.youtube.com/watch?v=f6fk1FpcB7g


Stevie Wonder:  "Aplace In The Sun" "I Was Made To Love Her"♪


Temptations :  "My Girl"♪

Martha&Tha Vandellas:  Heat Wave / Dancing The Street
Tha Supremes:  You Can't Hurry Love / You Keep Me Hanging On
Mery Walls:  My Gay

Smokey Robinson&The Miracles:  Shop Around / Going To A Go Go
‥ etc
まだまだ ヒットソングで弾いています。

ジェマーソンの"歌うように躍動感のあるベース"の音は、後のギターリストたちにも影響を受け
今ではわりとメジャーになりましたけれど、当時はかなり新鮮に聴こえたことでしょうね。。

*ジェマーソンがベース演奏した曲の中から‥お聴きください♪ 

MARVIN GAYE  (What's Going On♪) '73年 LIVE映像より
貴重な映像ですので是非 ご視聴ください (LA・グラミー・ミュージアムでこちらの映像が流れていました♪)
マーヴィンの横でベースを弾いているのがジェマーソンです。*1:25 

<iframe width="459" height="344" src="https://www.youtube.com/embed/aDSL9E2RXzY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

この映像を観ますと人差し指だけでプレイしているのがわかります。
親指で常に他の指はピックアップゲードの上に載せているのが分かりますね♪

* ブログに来ていただきまして、ありがとうございます!

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映画「永遠のモータウン」DVD・・に取り上げられ注目されたモータウン・バンドFUNK BROTHERS/ファンク・ブラザーズから
ベーシストの"J・ジェマーソン"‥次回のブログで描こうと思いますので、是非きてください。

モータウン・サウンドの魅力はコンポーザーとして傑出した演奏者が創りだす楽曲/サウンドにあると思います。
もちろん、シンガーソングライターの"スモーキー・ロビンソン"やシュープリムス、フォートップスの大ヒットソングの3人の作曲者 "H-D-H/フォーランド・ドジャー・フォーランド"や
ザ・テンプテーションズを手掛けた"作曲家"ノーマン・ホワットフィールド"達の創る楽曲からモータウンソングの大ヒットソング♪モータウン黄金期が生まれたのです。




 
'60年代の初め「モータウンの楽曲」に「ビートルズ」が多大な影響を受けポール、ジョン達が次々とヒットソングを作り出したのです。
英国から出た若者グループが一躍 有名になったヒット曲の数々・・モータウン・サウンドに魅せられたことは、後にポールやジョンも語っておられました。




それでは・・ビートルズが"カヴァーした曲"を上げてみました☆
その前にこちらからモータウンソングに影響を受けたアーティストなどを紹介します。


★ビートルズとモータウン

62年、イギリスでBeatlesが出現、アメリカのみならず世界中を席巻しはじめるようになる。
それらUKの新興勢力「British Invasion」に唯一対抗出来たUS勢はほかならぬモータウンのアーティストだったことも忘れてはならない。

しかしそのBeatles自身、アメリカのR&Bやロックンロールに多大な影響を受けていたことはあまりにも有名です。
モータウンもご多分にもれずで、Beatlesは多くの関連曲をカヴァーをしていた。
切れ味鋭い"Please Mr Postman"(Marvelettes)、"You've Really Got A Hold On Me"(Miracles)、"Money"(Barrett Strong)など。

もちろんカヴァーだけでなく独特の60年代モータウンのベースライン(ジェームス・ジェマーソン)や、Smokey/スモーキー路線の曲作りなど明らかに影響を受けた楽曲も数多くあることが知られています。



★ジャンル・国を超えて広がる60'sモータウン

Beatlesばかりではない。 60年代ブリティッシュ・ビート・グループはモータウン・ソングをこよなく愛していた。中でも"Who"のピート・タウンゼントはモータウンファンとして知られているし(カヴァーは「My Generation Deluxe Editon」で聴ける)、Zombies、Searchers、Rolling Stones、Kinks、Small Facesなど多くのバンドがモータウン・ヒットをカヴァーしている。

ノーザン・ソウル・クラブ・カルチャーがあるイギリス人にモータウンは特に好まれ、T Rex、David Bowie、Paul Wellerといったアーティストもモータウンに夢中だったという。

また、日本の音楽シーンにもモータウンの影は聴き取れる。
平山三紀の"真夏の出来事"に代表される筒美京平をはじめ、細野晴臣、小西康陽からつんく♂ 、さらにはアイドルやCMのにわかモータウン・ソングまで、日本はどっぷり60'sモータウン・サウンドに浸かりきっているといっても過言ではないだろう。
・・なつかしいメロディーがモータウン・ソングから わき出ていたのですね。

ザ・マーヴェレッツの"ミスター・ポストマン"は'70年代「カーペンターズ」もカバーされていますね。
年代的にカーペンターズの曲だったと思っておられる方もおられるのでは?
60年初期の曲が10年以上経っても時代を超えヒットソングになるのは、洗練されたメロディーライン、ベースがしっかりしているからではないのでしょうか・・☆

では、聴いてみましょう♪


The Marvelettes(ザ・マーヴェレッツ)「Please Mr. Porstman」'61 オリジナル♪



The Beatles☆ 「Please Mr. Porstman」カバー♪






バレット・ストロング 「Money (That's what want)」オリジナル/
 *モータウン創始者ベリー・ゴディーの作品 
  モータウン・レーベル設立 最初のヒットソング♪です。

Barrett Strong - Money (That's What I Want) (with lyrics)




The Beatles☆ 「Money (That's what want)」/'63年 TV・LIVEパフォーマンス映像より




*これらの曲は、ビートルズがデビューする前のモータウン・ソングです。

こうして調べてみますと、ビートルズ/ポールとモータウンの楽曲のべーシスト/J・ジェマーソンを通じて繋がるなんて思いもしませんでした。
そして、Please Mr. Postmanを歌う女性達がモータウン初期の所属のグループ・シンガーでした。

日本の曲への影響も興味深いのですが、学生の頃 聴いた歌謡曲やバラエティー番組のシングル等が、大人になってから聞いた洋楽の曲の強い影響を受けた(あるいはパクった^^;)ものだとわかった時も@@びっくりしました。改めて黒人音楽、ソウルミュージックの素晴らしさを知ったのです。






PS: ビートルズがモータウン・ソングをカバーしたアルバムCD(上の画像より)もリリースされていますが、お返し?'60年代のモータウン・シンガー達がビートルズの曲をカバーしたアルバムCD(Motown meet the Beatles)もあります。スティービー・ワンダー、ザ・テンプテーションズ、フォートップス、マーヴィン・ゲイ、シュープリムスetc

マーヴィン・ゲイの"Yesterday" がとてもソウルフルで素敵なので聴いてください♪
ジェマーソン画像を取り込みました。

”YESTERDAY” Marvin・Gaye

この度、上映された「ジェームス・ブラウン~GET ON UP」映画はごらんになられましたか? 
いやぁ~、すごく良かった!! 


ジェームス・ブラウンの半生を描いたドキュメンタリー的な映画になるのかな・・?と思っていましたが、いえいえ彼の生涯は映画になるほど"ドラマチック"で ""ライヴを観てるようで とても楽しめました☆良い(5つ☆)
改めて、JB/ジェービーって すご~い!んだって思いました!!

さてさて、タイトルはJBのファンク・・リズム♪なのですが、映画の「Cold Sweat.PT.1」の演奏シーンにもありましたが、
曲の"一拍目が勝負!"とでもいいましょうか・・ 一小節でダウンビートが決まるんだ ってことかな?
そう、ジェームスのファンク・リズムは最初の一拍めから曲全体が分かりやすく聴こえてきます。

俺はファンクにとっての一拍目――あらゆる小節の始まりのダウン・ビート――の大切さを教えてやった。曲想が激しくなるところでも、やたらめったら弾くんじゃなく、一拍目が要になることを教えた。あとはしかるべき場所でしかるべきことをやればいい――ただし、一拍目だけははずすな
"俺がJBだ ~ジェームス・ブラウン自叙伝"より


いやぁ、これは強烈に音楽を志しているものには心得ておきたいですね。
いえ、私はまったく楽器はできませんので・・ソウル音楽が好きなだけです。。汗w 
レコードは沢山ありますが。。


JBは16回ほど来日ライヴをしていますが、沖縄返還時に最初のライヴをしていますが、私は'74年2度目のライブでJBのあの足さばき、マント・パフォーマンスを見て来ました。 それはそれは、当時ですので海外の有名アーティストの公演は衝撃でした。それも、ジェームス・ブラウンのライヴは他の誰よりもファンを楽しませてくれるノリのよいリズムにJB's(バック・バンド)の上手なこと!
観て聞いて楽します・・といったライヴは初めての経験でした。
ふふ、JBは元ボクサーを目指していたらしく、ライヴ中JBが倒れこむ演出から
"マント"を掛けてもらうなり、元気になって歌いはじめる・・といったパフォーマンス(マント演出)は絶叫でした。 
"ポパイ"のようにほうれん草効果かな?笑

さて、映画のサントラ盤を買ってみたのですが、これがライブ音源も入っていて
びっくり@@ JBはライブがすばらしいし、とても聴き応えのあるCDアルバムです。 
オリジナル・サウンド トラック盤 20曲収録 未発表音源もあります。
是非、聴いてみてくださいね。 ☆下記のサイトよりGetできますよ。

'50年代~'70年初期の曲は本当に名曲ばかりで、これぞファンクの創始者
"ファンクの帝王" "ゴッドファーザー・オブ・ソウル"

'56年の初ヒット"プリーズ・プリーズ・プリーズ" '58年"トライ・ミー"からダンス・ミュージックを追及するうちに、徐々にファンク・サウンドを構築しファンクの原型といわれる'65年"パパズ・ガット・ア・ブランド・ニュー・バック"を録音する。
さらに「アイ・ガット・ユー(アイ・フィール・ユー)」などをリリース。
ファンクの創始者として音楽史に残る実績を生む。

日本ではディスコを中心に多くのヒットが流れ
"げろっぱ!/Get On Up"セックス・マシーンやマザー・ポップコーンはよく聴いてこられたのではないでしょうか。

ジェームスの代表曲
"I Feel Good"♪ ライヴを視聴してみましょう

https://www.youtube.com/watch?v=SzlpTRNIAvc


JBのライブ・パフォーマンスは、その衝撃的ともいえるダンス!と華麗な大編成のバンド(J.B's)!
自らプロデュースしたバンドメンバーにより人気を制したのです。
華やかなステージでのジェームス・ブラウンの音楽家としての才能は 底知れないほど観客を魅了しました。

また、ジェームス・ブラウンは、多くのアーティストたちに多大な影響を与えています。
マイケル・ジャクソン初め プリンスや '90年代に入りラップやヒップホップ・アーティストたちがJBのレコードのオリジナル・ビートリズムを
サンプリング♪ 最もサンプリングされたアーティストとなった。
マイケルはデビュー前からJBの大ファンでした。

ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~オリジナル・サウンドトラック:the bes.../ユニバーサル ミュージック


1979年 東京でのライヴ盤です。 時代的にも当時のライヴの様子が伺える貴重な音源が聴けますよ!
ホット・エネルギー・ショー~ジェームス・ブラウン・トーキョー・ライヴ/ジェームス・ブラウン
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