不妊治療の軌跡①    の続きです

 

   2022年5~6月に妊活目的でレディースクリニックを受診

   その後、2022年10月から体外(主に顕微授精)を本格的に開始しました

   2025年2月に無事出産し、私の不妊治療(体外)もこれをもって終了です

  (元々40才までは頑張る、と夫婦で話し合っていた)

 

   その間、色々な事がありました

   初めての陽性判定、後期流産での我が子との別れ

   

文章が読みにくい所がたくさんあるかと思いますが「こんな人もいるのか~」というような感覚で見て行ってくれたらと思います

 

 妊娠初期からのすごい悪阻に絶えつつ、KLCへは心拍確認②まで通い続けた。毎回山手線では、一駅毎に降りて外の空気を吸って…というかたちでの新宿通いだった。

 

 KLC卒業後は、近所の個人の産婦人科へ通う事にした。妊娠したという事に舞い上がっていたというのもあるし、これが最初で最後の妊娠なら総合病院のような所よりも個人の産科に行ってみたいと考えていたから

 

 結局、悪阻はひどく仕事を1か月お休みしたり途中で早退してくる日々が続いた。点滴のために病院へ通う日もあり、しんどい毎日を送った。

 さらにその病院の先生というのが、結構ボソボソと喋る先生というか声が小さい?先生なのもあって、診察室で話をしていてもほとんど聞き取れないことがあった(私の耳が悪いだけ??)

 つわりで1か月仕事に行けず、点滴にも通う毎日…でも旦那は「お腹の子のためだし、仕事は俺が頑張ってるし大丈夫」と言ってくれていた

 そうして、お休み期間も終わり何とか仕事へ戻った。その時がだいたい15週前後だったと思う。

 

 ある夜、すごくお腹が張るというか変な感じがしてなかなか眠れない日があった。16~17週頃だったと思う。

 ちょうど仕事に復帰したばかりだったからそのせいかも?と思い、次の日は何ともなくなっていたのでそのまま過ごしていた。

 同じ頃、エコーの検査が経腹エコーに切り替わり、やっと妊婦さんみたいなエコーになるんだな~などと私は呑気に考えていたがその時が妊婦健診最後になってしまった。

 

 18週になり、職場でのお昼休憩の時間にトイレに行ったら出血してしまっているのに気づき急いで病院へ連絡した。

 お腹に痛みがなければ安静にして様子見で、と言われたのでその日は早退。同じ部署の同僚(2児の父)に早退のことを伝えると急に顔色が変わって「早く帰った方がいい」と言ってきた。

 その只ならぬ雰囲気で「あ、これは…」と察し、その場で泣いてしまったのだった。

 結局その後も自宅安静という事で、また数日仕事を休むことになった。

 

 それから数日後の明け方、急にお腹と腰がすごく痛くなり寝ていられないほどの激痛に襲われた。

 少しすると痛みが落ち着いて、また同じような痛みがある、というのを何回も繰り返し、下腹部はパンパンに張っている様子だった。これは何だかおかしい、と思い携帯で時間を見てみると、大体10分に1回位の間隔で酷い痛みに襲われていた。旦那が起きてきて、腰をさすったりしてくれていたが、痛みはずっとなくならなかった。

 ギューっとお腹が張るたびにお腹の中にいる子が動いているのが分かり、「お腹の子が心配だよ…お腹の子が心配だよ…」とうわ言のように言っていたのを覚えている。

 

 しばらくして、少し痛みが落ち着いたのもあって病院に連絡を入れてみることにした。また自宅安静の指示かな…と思っていたら、夜が明けたらすぐに受診を。という内容だった。

 

 朝になり、異様に下腹部が張っているのが気になった。例えると、空気をパンパンに入れたボールが下腹部に入っているような感じで、触るとパツパツになっていた。

 腰回りにまだ痛みがあり、何ともなければいいけど…と思いながら旦那と2人病院へ向かった。

 

 病院へ着き、その日の非番の先生がエコーで見てくれたりなどした。その間もやっぱり腰の痛みは落ち着かず、ズキズキしていた。

 

 診察室に戻ると先生から「これは、もう今すぐに入院が必要です」と言われた。その時に一通り説明を聞いた気がするけれどなかなか頭に入って来なくて

 「駐車場にいる旦那と一緒に話を聞いてもいいですか」と言うのが精いっぱいだった。

 旦那に来てもらい、改めて説明を聞いた。

 ・子宮頚管の長さが無くなり、1㎝くらい開いている状態。これはお産が進んでいる。腰回りが痛いと思うがこれは陣痛で、今もまだ痛みは続いていると思う

 ・原因は2つ考えられる。①感染②子宮頚管無力症 一旦採血をして感染の兆候がないか見させてもらう。①だったら抗生剤の点滴②だったら頚管を縛る手術が良いけれどこの病院ではできないから他の病院へ送ることになる

 ・今の週数で産まれてきてしまった場合、助けることはできない。22週を超えていない場合はどうすることもできない

 ・なんとか、22週まで繋げられるようにこのまま入院してもらい張り止めの点滴をする

 私が旦那と一緒に話を聞いた内容で覚えているのはここに書いたもの

 

 診察室で話を聞いた後に、入院手続きの書類等を持ってくるまでの間廊下の椅子に旦那と座っていた。

 泣くわけでもなく、ただ旦那に「どうしよう…」とずっと言っていたのを覚えている。

 

 入院になったのは18週の終わり~19週になったばかりの頃で、22週までまだ1か月近くあった。

 普段なら、1か月なんてあっと言う間だし、1年も「この間年明けたのにもう年末なのびっくり??」っていうくらい早く過ぎていくものなのに

 その数週間がとても長く永遠に来ないような感覚があった

 

 

下差し⑥以降書きました

卵子凍結しようかどうしようか悩んでました。当時、、、

 

初めて通院し出した頃の話です(地元)。AMHが低すぎて50代と言われたよ…えーん

 
鍼灸通ってみたり、都内(KLC)行ってみたりしはじめた話です
 

 

たった1週間なのに、永遠に感じた日々
 
 
 
 
楽天ROOMも時々更新しています