倖田來未の前では、いかに天下のブラックアイドピースの紅一点
プリンセスファーギー様であろうとも、
そこらへんのスーパーのチラシにのってる安い外人モデルにしか見えなくなってしまうという
破壊力には、ただただ感心するばかりである。
DUBLEと安室奈美恵のコラボと比べてもその格安ぶりは一目瞭然である。
音楽業界はすでに国産で充分やっていける部分もあるということである。
夜中まで音楽談義を闘わせていたある日、
演歌がなんかダメになったのはいつからだろうかという話題になった時、
ぴんからトリオの「女のみち」からではないだろうかという結論に達した。
しかしオレはぴんからをまったく否定してはいない。
タワーレコードのNO MUSIC NO LIFEのポスターに宮史郎と横山剣が一緒に映っていた時、
そんなアルバムが本当に出るのだと思って、
小一時間ほど店中を探しまわったのである。
だって聴きたくね?そんなゴリゴリで暑苦しいコラボ。
「女のみち」の大ヒットは72年で、
その前年の71年に”カラオケ”が発明された。
プロと同じオケでシロートでも手軽に歌を歌えるという新しい娯楽は、
往来で自己満足を垂れ流しても全然平気だという、
下品な風潮を作って現在に至るのである。まったく嘆かわしい。
伝統芸能が一般化する際によく起こることに、
基本の忘却あるいは無視がある。歪んだ作法の伝承は時に訳の分からないものを生む。
そこでオレは妄想するのである。
最近の演歌業界を大御所の皆さんはどのようにお考えなのであろうか。
鼠先輩はサブちゃんに挨拶に行っても、ちらし寿司を一緒に食べるどころか、
楽屋に入れてもらえるのだろうか?
もう演歌部門の新曲を生産するという仕事は終了するべきだ。
クラッシック音楽のように、過去の名曲を繰り返し歌えばいいんじゃないんだろうか。
だいたい鼠先輩の「六本木」だって
三原順子の「セクシーナイト」を木梨憲武が歌ってるのかと思ったし、
紅白出場というよりも忘年会の催し物で、うれしいのは自分だけ。
しかし演歌そのものはなくならないだろう。
それはすでに値引きされてはいるのだが、他のものに変身して生き延びているからである。
そこで最初に戻るが、
激安倖田來未や、購買層が全く見えない川嶋あいののイラッとくる妙な歌い回しは、
今までさんざん参考にしてきた洋楽の基本に従ってはいない。
あれは邦楽における演歌が退化して出来た、新しいコブシなのだ。
なんだかんだ言っても、ある種の日本人は演歌からどうしても離れられない運命らしい。
プリンセスファーギー様であろうとも、
そこらへんのスーパーのチラシにのってる安い外人モデルにしか見えなくなってしまうという
破壊力には、ただただ感心するばかりである。
DUBLEと安室奈美恵のコラボと比べてもその格安ぶりは一目瞭然である。
音楽業界はすでに国産で充分やっていける部分もあるということである。
夜中まで音楽談義を闘わせていたある日、
演歌がなんかダメになったのはいつからだろうかという話題になった時、
ぴんからトリオの「女のみち」からではないだろうかという結論に達した。
しかしオレはぴんからをまったく否定してはいない。
タワーレコードのNO MUSIC NO LIFEのポスターに宮史郎と横山剣が一緒に映っていた時、
そんなアルバムが本当に出るのだと思って、
小一時間ほど店中を探しまわったのである。
だって聴きたくね?そんなゴリゴリで暑苦しいコラボ。
「女のみち」の大ヒットは72年で、
その前年の71年に”カラオケ”が発明された。
プロと同じオケでシロートでも手軽に歌を歌えるという新しい娯楽は、
往来で自己満足を垂れ流しても全然平気だという、
下品な風潮を作って現在に至るのである。まったく嘆かわしい。
伝統芸能が一般化する際によく起こることに、
基本の忘却あるいは無視がある。歪んだ作法の伝承は時に訳の分からないものを生む。
そこでオレは妄想するのである。
最近の演歌業界を大御所の皆さんはどのようにお考えなのであろうか。
鼠先輩はサブちゃんに挨拶に行っても、ちらし寿司を一緒に食べるどころか、
楽屋に入れてもらえるのだろうか?
もう演歌部門の新曲を生産するという仕事は終了するべきだ。
クラッシック音楽のように、過去の名曲を繰り返し歌えばいいんじゃないんだろうか。
だいたい鼠先輩の「六本木」だって
三原順子の「セクシーナイト」を木梨憲武が歌ってるのかと思ったし、
紅白出場というよりも忘年会の催し物で、うれしいのは自分だけ。
しかし演歌そのものはなくならないだろう。
それはすでに値引きされてはいるのだが、他のものに変身して生き延びているからである。
そこで最初に戻るが、
激安倖田來未や、購買層が全く見えない川嶋あいののイラッとくる妙な歌い回しは、
今までさんざん参考にしてきた洋楽の基本に従ってはいない。
あれは邦楽における演歌が退化して出来た、新しいコブシなのだ。
なんだかんだ言っても、ある種の日本人は演歌からどうしても離れられない運命らしい。