ETV特集「ケータイ小説@2007.jp 藤原新也・次世代へのまなざし」を見る。

いまどきの若者を追って、相変わらずの藤原新也ではあるが。
オレは一般の中年と同じく、ケータイ小説は読まない。だがこれだけ売れるのには
訳があるのだろうと思って、さわりだけでも読んでみたが、おもしろさがわからない。
何故だろうと思っていると、
地べたに座っている若いヤツの写真を見せながら藤原新也が、

「魚釣りには棚というものがあって、アジの棚とサバの棚は交わらない。
近頃は人間にも棚があって、この写真の子供達と、自分達大人は交わらず、
同じ場所にいても違うものを見ている。」

と言っていたのであった。なるほどと膝を打ったのである。そりゃわかんないはずだ。


同じ場所にいて違うものを見ているという状況は、
とてもクリエイティブで何かものすごく新しいものが生まれる可能性を感じるが、
出てくる作品が不治の病に侵されて引き裂かれる恋人達の、悲しい恋の物語ばっかりじゃねえ・・・。
それよりも、薄ら寒いコンビニや、ちらかったワンルームのたまり場で、
出会って別れたその子供達自身の方に興味がわくし、
彼らがそんな所に置かれている事がせつない。

公開中のケータイ小説の映画化作品には、
ミスチルなどのドリカム的な楽曲がテーマ曲として採用されているが、
現実の彼らの状況とは、実はものすごく遠く離れた世界だ。
はっきりいってケータイ小説は、少なくともマトモな中年には必要ないだろう。
そしてオレは、そんな地べたに座った彼らの事を描いてみる方に興味はあるが、
当事者であるあの子達には、見向きもされないにきまってる。商売にならん。

だって若くて未熟なのは、もう充分つらいのに、
誰が好き好んでわざわざ夢をぶち壊しにされるような現実を突きつけられたいだろうか?