熱血歌バカ物語 その72
ビートルズ。正直、あまり好きじゃない。
でもね、そのビートルズのアルバムタイトルにもなったアビーロードに
行くんだってさ。
?!行くんだってさ!!!!!!
海外レコーディング。なんと甘美な響きであろうか。が、まだ実感は0(ゼロ)。
だが、これは「仕事」であり、いろいろと詳細が決まっていく。
まず、作曲をジョニーと俺が担当し、一ヶ月で10曲ずつ作ろうということになった。
そこから選曲し、10~13曲くらいのアルバムにする。
作詞に関しては、俺と作詞家の夏野芹子さんが分担する。
ヴォーカルのレコーディングは全曲アイルランドで行い、その他のパートに関しては、
必要に応じて、日本、アイルランドでパート毎に分ける。
ミキシングはアイルランド、マスタリングはロンドンのアビーロードスタジオで
行うこととする。
「ん?アビーロードだと!??」と、ちょいと素人モードな俺を置いて、ジョニーと
社長は「うん、まあ、良いんじゃないの?」的な軽い感じで話は進む。
で、トータルのイメージとしては、「大人のヴォーカリストアルバム」ということに
なった。
まあ、時代背景からしても、ソロヴォーカリストの打ち出し方が難しく、年齢的なことを
考えても「大人」というキーワードはアリだと思った。
さあ、作曲モードに突入だ!
タイから帰国後、ギター一本で作った曲はとりあえず封印にした。
変化を起こすなら、大胆にやらなきゃいけないということは、経験から自覚していたので、
未練的な感情には蓋をした。
テーマは「大人」だ。特にジャンル的な制限は無い。気持ちをフラットにして、溢れてくるメロディを拾い上げれば良い。
曲は順調に生まれて行く。うん、悪くない。
それにしても、ジョニーである。音楽的背景とファンキーな性格はわかったが、
アーティストとしてのジョニーはなかなかつかめない。つうか、歳はいくつなのよ?
しっかりと大人の年齢なんだろうけど、考え方も音楽センスも若いのよね。
と、「???」なところに、ジョニーのデモが届いた。
聴いてみる。「?!」な感じ。違和感ではなく、なんというか「洋楽の匂い」がした。
なんとも当たり前な感想だよね。アイルランドのアーティストなんだから(笑)
言葉で説明するのは難しいんだけど、サウンドの色の付け方が、日本には無い感覚なんだよな。ちょっと実感湧いてきちゃった感じ。
ジョニー、恐るべし!
なんだかんだで、20曲近い楽曲が集まった。
そこで、また新たな才能との出逢い。作詞家、夏野芹子氏の登場である。
今までも、沢ちひろ氏、許瑛子氏とのコラボの経験はあった。でも、お会いした夏野さんはこれまた別のタイプの作詞家だった。
というか、普通に「バンドでヴォーカルやってます!」と言われても違和感のない感じ。
と、正直に言ってみたら、笑顔でかわされたのさ!
過去の作品を読ませていただいたけど、非常に映像的な言葉の世界観。これはヴォーカリスト泣かせだね。表現力がなければ、しっかり活かせないからね。
良いんじゃない!歌い手の力量を試せるのは、幸せなことだ!
強がり、、、、、、か?
つづく
でもね、そのビートルズのアルバムタイトルにもなったアビーロードに
行くんだってさ。
?!行くんだってさ!!!!!!
海外レコーディング。なんと甘美な響きであろうか。が、まだ実感は0(ゼロ)。
だが、これは「仕事」であり、いろいろと詳細が決まっていく。
まず、作曲をジョニーと俺が担当し、一ヶ月で10曲ずつ作ろうということになった。
そこから選曲し、10~13曲くらいのアルバムにする。
作詞に関しては、俺と作詞家の夏野芹子さんが分担する。
ヴォーカルのレコーディングは全曲アイルランドで行い、その他のパートに関しては、
必要に応じて、日本、アイルランドでパート毎に分ける。
ミキシングはアイルランド、マスタリングはロンドンのアビーロードスタジオで
行うこととする。
「ん?アビーロードだと!??」と、ちょいと素人モードな俺を置いて、ジョニーと
社長は「うん、まあ、良いんじゃないの?」的な軽い感じで話は進む。
で、トータルのイメージとしては、「大人のヴォーカリストアルバム」ということに
なった。
まあ、時代背景からしても、ソロヴォーカリストの打ち出し方が難しく、年齢的なことを
考えても「大人」というキーワードはアリだと思った。
さあ、作曲モードに突入だ!
タイから帰国後、ギター一本で作った曲はとりあえず封印にした。
変化を起こすなら、大胆にやらなきゃいけないということは、経験から自覚していたので、
未練的な感情には蓋をした。
テーマは「大人」だ。特にジャンル的な制限は無い。気持ちをフラットにして、溢れてくるメロディを拾い上げれば良い。
曲は順調に生まれて行く。うん、悪くない。
それにしても、ジョニーである。音楽的背景とファンキーな性格はわかったが、
アーティストとしてのジョニーはなかなかつかめない。つうか、歳はいくつなのよ?
しっかりと大人の年齢なんだろうけど、考え方も音楽センスも若いのよね。
と、「???」なところに、ジョニーのデモが届いた。
聴いてみる。「?!」な感じ。違和感ではなく、なんというか「洋楽の匂い」がした。
なんとも当たり前な感想だよね。アイルランドのアーティストなんだから(笑)
言葉で説明するのは難しいんだけど、サウンドの色の付け方が、日本には無い感覚なんだよな。ちょっと実感湧いてきちゃった感じ。
ジョニー、恐るべし!
なんだかんだで、20曲近い楽曲が集まった。
そこで、また新たな才能との出逢い。作詞家、夏野芹子氏の登場である。
今までも、沢ちひろ氏、許瑛子氏とのコラボの経験はあった。でも、お会いした夏野さんはこれまた別のタイプの作詞家だった。
というか、普通に「バンドでヴォーカルやってます!」と言われても違和感のない感じ。
と、正直に言ってみたら、笑顔でかわされたのさ!
過去の作品を読ませていただいたけど、非常に映像的な言葉の世界観。これはヴォーカリスト泣かせだね。表現力がなければ、しっかり活かせないからね。
良いんじゃない!歌い手の力量を試せるのは、幸せなことだ!
強がり、、、、、、か?
つづく
熱血歌バカ物語 その71
いざ、海外へ!
今度はタイじゃない。アイルランドだ!
そして、今度のパートナーは外国人プロデューサー。
やり甲斐MAX!
彼の名はジョニーフィンガーズ。元ブームタウン・ラッツのキーボーディスト。
ブームタウン・ラッツはアイルランドのバンドで、ヴォーカルのボブ・ゲルドフは世界的なチャリティライヴイベント「バンド・エイド」の主催者である。
で、そのジョニーが今度、俺のプロデューサーになるらしい。「ん???」な流れである。
いくら同じ事務所のUAのプロデュースを担当したからと言って、ちょっと強引過ぎやしないかな?と、歓迎ムードよりも心配が先に立つ。
とはいえ、社長のアタマの中では、着々とイメージが固まりつつあるらしく、楽曲の制作方法、コラボする作詞家の候補者など、具体的なプランが提示された。で、最後に一言。
「でさあ、レコーディングは海外でも良いと思ってるんだよね」
む?むむむむ????海外レコーディング!!??
海外レコーディング。 なんと甘美な響きだろうか。
LesVIEW時代には単なる憧れであり、ソロになってからは考えもしなかったのに、
とてもあっさり「海外でも良いかな?」だなんて。
思いも寄らぬ方向から飛んできた言葉に、うまくリアクションが取れずにいたが、社長は特に気にも止めず、「まあ、まずはジョニーに会ってみなよ」とマイペース。
後日、ジョニー氏と初顔合わせ。とにかく初めてのことだし、外国人の知り合いがいるわけでもないので、まず心配なのはコミュニケーションだった。
英語ってさ、いざって時に出て来ないんだよなあ。まずは挨拶か。やっぱ、ナイストゥミーチューかな?などと、事務所で待っていると、ミーティングルームをノックする音が。
「来た!」と緊張するのも一瞬で、「どうもオハヨございます!」と超フランクな笑顔のジョニー氏登場!
おお~~引いて行くぜ、緊張の波が~~~。でもって、すぐに具体的なお話へ。
社長が俺について簡単に説明をしてくれて、とにかくアルバムのプロデュースを頼むよ!との旨を伝えた。
ジョニー氏は時々俺を見つつ、社長の話に真剣に耳を傾ける。
それからたった10分で、俺のアルバム制作の話にGOサインが出た。
物事は進む時は加速度的に進むものだ。
最初の話の通り、レコーディングは海外でも良いという意見に対し、ジョニー氏は
「ボクの国、アイルランドでやりましょう!それが良い!それが良い!!」とテンション高めのリアクションでスマイル連発!
というわけで、俺の初海外レコーディングの話はまとまったのだ。
まだ実感がないが、俺はアイルランドに行き、そこでレコーディングをするのだ。
しかも、現地のミュージシャンとアルバムを作るという提案がジョニー氏からあった。
なんだ凄い展開になってきたわ。嬉しい!なんて浮かれている気分じゃない。
やるからにはきちんと結果を出さねば、という気持ちが広がる。
心地良いプレッシャーと期待で、心が躍る。
まずは、アルバムの収録候補曲を作らねば!俺とジョニー氏が半分ずつ曲を出し合おうということになり、この日のミーティングは終了。
ピンと来なかったが、スタートの合図は確実に鳴らされた。
つづく
今度はタイじゃない。アイルランドだ!
そして、今度のパートナーは外国人プロデューサー。
やり甲斐MAX!
彼の名はジョニーフィンガーズ。元ブームタウン・ラッツのキーボーディスト。
ブームタウン・ラッツはアイルランドのバンドで、ヴォーカルのボブ・ゲルドフは世界的なチャリティライヴイベント「バンド・エイド」の主催者である。
で、そのジョニーが今度、俺のプロデューサーになるらしい。「ん???」な流れである。
いくら同じ事務所のUAのプロデュースを担当したからと言って、ちょっと強引過ぎやしないかな?と、歓迎ムードよりも心配が先に立つ。
とはいえ、社長のアタマの中では、着々とイメージが固まりつつあるらしく、楽曲の制作方法、コラボする作詞家の候補者など、具体的なプランが提示された。で、最後に一言。
「でさあ、レコーディングは海外でも良いと思ってるんだよね」
む?むむむむ????海外レコーディング!!??
海外レコーディング。 なんと甘美な響きだろうか。
LesVIEW時代には単なる憧れであり、ソロになってからは考えもしなかったのに、
とてもあっさり「海外でも良いかな?」だなんて。
思いも寄らぬ方向から飛んできた言葉に、うまくリアクションが取れずにいたが、社長は特に気にも止めず、「まあ、まずはジョニーに会ってみなよ」とマイペース。
後日、ジョニー氏と初顔合わせ。とにかく初めてのことだし、外国人の知り合いがいるわけでもないので、まず心配なのはコミュニケーションだった。
英語ってさ、いざって時に出て来ないんだよなあ。まずは挨拶か。やっぱ、ナイストゥミーチューかな?などと、事務所で待っていると、ミーティングルームをノックする音が。
「来た!」と緊張するのも一瞬で、「どうもオハヨございます!」と超フランクな笑顔のジョニー氏登場!
おお~~引いて行くぜ、緊張の波が~~~。でもって、すぐに具体的なお話へ。
社長が俺について簡単に説明をしてくれて、とにかくアルバムのプロデュースを頼むよ!との旨を伝えた。
ジョニー氏は時々俺を見つつ、社長の話に真剣に耳を傾ける。
それからたった10分で、俺のアルバム制作の話にGOサインが出た。
物事は進む時は加速度的に進むものだ。
最初の話の通り、レコーディングは海外でも良いという意見に対し、ジョニー氏は
「ボクの国、アイルランドでやりましょう!それが良い!それが良い!!」とテンション高めのリアクションでスマイル連発!
というわけで、俺の初海外レコーディングの話はまとまったのだ。
まだ実感がないが、俺はアイルランドに行き、そこでレコーディングをするのだ。
しかも、現地のミュージシャンとアルバムを作るという提案がジョニー氏からあった。
なんだ凄い展開になってきたわ。嬉しい!なんて浮かれている気分じゃない。
やるからにはきちんと結果を出さねば、という気持ちが広がる。
心地良いプレッシャーと期待で、心が躍る。
まずは、アルバムの収録候補曲を作らねば!俺とジョニー氏が半分ずつ曲を出し合おうということになり、この日のミーティングは終了。
ピンと来なかったが、スタートの合図は確実に鳴らされた。
つづく
熱血歌バカ物語 その70
人生って不思議。
人生ってわからない。
人生って面白い。
読めないねえ、人生は。
人生でこんなにアコギに触れたことはなかったな。とにかく生まれたフレーズを形に
していくことに没頭した。焦りというよりは、変な言い方だけど、「排泄」に近かった。
なんだか、出さないと気持ち悪いというか、スッキリしない感覚。
結局、7曲くらい作ったのかな。曲の全体像が出来たら、レコーダーで録音し、ストックする。
アコギと歌だけのシンプルなトラック。下手くそなギターを一生懸命弾いた。
何度もやり直して、なんとか納得出来るところまで頑張って、それから歌を入れる。
歌を入れてみたら「やっぱここは違うな」という部分が出て来て、アコギも直さなきゃいけなかったり、とにかくその作業が延々と続くのだ。でも、嫌いじゃないのよね。
何度も何度も、飽きることなくやってるわけよ。ヲタクの領域だね。
自分で言うのもなんだけど、この試行錯誤の時間が、結構成長させてくれたんじゃないかな?
アコギは指に弦の跡と、匂いが取れないくらいに弾いて、随分と一体化したと思うし、歌に関しても、譜割やハモの乗せ方など、自分のアイデアとじっくり向き合ったからね。
「納得」っていうのは楽しいもんだ。それまでの過程が報われる。
創る楽しさとは裏腹に、ビジネス面での進展は見られなかった。事務所も、動向を見守る感じで、
目立った動きはなかった。以前なら、進展のない時間の経過がストレスに感じることもあったが、
今は大丈夫。作品という結果が、しかも、少なくとも自分が納得出来ている作品があることは、
俺を随分と支えてくれた。
人間、前向きになると人が寄ってくるもので、仕事には結びつかなかったが、いろんな出逢いがあった。時は世紀末を迎えつつあり、1999年、まさにミレニアムであった。
ある日、事務所から呼び出しがあった。社長がちょっと話があるらしい。
事務所に行くと、一枚のCDを渡された。「これ、聴いてみろ」ということで、それ以上の話は無し。
CDは同じ事務所に所属しているUAの「歪んだ太陽」だった。
家に戻って、聴いてみる。うん、良い感じよね。オルタナの匂いもありつつ、俺好みのイギリス系の
「音」。でも、いったい何を伝えたかったのか、さっぱりわからん。
後日、社長に会いに行くと、「トオル、名前を変えてやってみない?俺、考えたんだけどさ」と、
唐突なお言葉。社長の唐突には慣れていたつもりだけど、今度は何よ!?ってな感じ。で、きちんと
尋ねると「個人ともバンドともつかない名前でやってみたら良いんじゃないかな」とのこと。
それには異存なし!要は脱「ITOGA」だね。
「でさあ、この前渡したCDあるだろ?あのプロデュースをやってるジョニーと一緒にやってみない
かな?」と社長。
はい?ジョニーさん??いつも唐突ではあるが、また来たね。
「とにかく一回会ってみようよ、ジョニーにね」ということで、ミーティングは終了。
さあ、新たな展開来ちゃったね。今度は外国人プロデューサーだってさ。
ちょっと、ちょっと~~!どうなっちゃうのよ???
これは事件でしょ!?
つづく
人生ってわからない。
人生って面白い。
読めないねえ、人生は。
人生でこんなにアコギに触れたことはなかったな。とにかく生まれたフレーズを形に
していくことに没頭した。焦りというよりは、変な言い方だけど、「排泄」に近かった。
なんだか、出さないと気持ち悪いというか、スッキリしない感覚。
結局、7曲くらい作ったのかな。曲の全体像が出来たら、レコーダーで録音し、ストックする。
アコギと歌だけのシンプルなトラック。下手くそなギターを一生懸命弾いた。
何度もやり直して、なんとか納得出来るところまで頑張って、それから歌を入れる。
歌を入れてみたら「やっぱここは違うな」という部分が出て来て、アコギも直さなきゃいけなかったり、とにかくその作業が延々と続くのだ。でも、嫌いじゃないのよね。
何度も何度も、飽きることなくやってるわけよ。ヲタクの領域だね。
自分で言うのもなんだけど、この試行錯誤の時間が、結構成長させてくれたんじゃないかな?
アコギは指に弦の跡と、匂いが取れないくらいに弾いて、随分と一体化したと思うし、歌に関しても、譜割やハモの乗せ方など、自分のアイデアとじっくり向き合ったからね。
「納得」っていうのは楽しいもんだ。それまでの過程が報われる。
創る楽しさとは裏腹に、ビジネス面での進展は見られなかった。事務所も、動向を見守る感じで、
目立った動きはなかった。以前なら、進展のない時間の経過がストレスに感じることもあったが、
今は大丈夫。作品という結果が、しかも、少なくとも自分が納得出来ている作品があることは、
俺を随分と支えてくれた。
人間、前向きになると人が寄ってくるもので、仕事には結びつかなかったが、いろんな出逢いがあった。時は世紀末を迎えつつあり、1999年、まさにミレニアムであった。
ある日、事務所から呼び出しがあった。社長がちょっと話があるらしい。
事務所に行くと、一枚のCDを渡された。「これ、聴いてみろ」ということで、それ以上の話は無し。
CDは同じ事務所に所属しているUAの「歪んだ太陽」だった。
家に戻って、聴いてみる。うん、良い感じよね。オルタナの匂いもありつつ、俺好みのイギリス系の
「音」。でも、いったい何を伝えたかったのか、さっぱりわからん。
後日、社長に会いに行くと、「トオル、名前を変えてやってみない?俺、考えたんだけどさ」と、
唐突なお言葉。社長の唐突には慣れていたつもりだけど、今度は何よ!?ってな感じ。で、きちんと
尋ねると「個人ともバンドともつかない名前でやってみたら良いんじゃないかな」とのこと。
それには異存なし!要は脱「ITOGA」だね。
「でさあ、この前渡したCDあるだろ?あのプロデュースをやってるジョニーと一緒にやってみない
かな?」と社長。
はい?ジョニーさん??いつも唐突ではあるが、また来たね。
「とにかく一回会ってみようよ、ジョニーにね」ということで、ミーティングは終了。
さあ、新たな展開来ちゃったね。今度は外国人プロデューサーだってさ。
ちょっと、ちょっと~~!どうなっちゃうのよ???
これは事件でしょ!?
つづく