鍾馗 | バカ日記第5番「四方山山人録」

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 昔の日本軍には空軍が無かったので、陸軍と海軍でそれぞれ航空隊をもっていた。両者は完全に別組織の別運用で、戦術思想的に飛行機も求められる性能が異なっていた。

 

 やっぱりゼロ戦のある海軍の戦闘機の方が高名だが、陸軍にもかの隼があった。

 

 陸軍の主力戦闘機は分かりやすくて、一式戦闘機、二式戦闘機、三式戦闘機、四式戦闘機、五式戦闘機と五種類あった。

 

 一式が隼、二式の単座がこの鍾馗、三式が飛燕、四式が疾風、五式は終戦間際の急造だったので、特に名前が無く五式のままである。

 

 ゼロ戦の性能が良すぎて、けっきょく終戦までずーっとゼロ戦だった海軍に比べて、陸軍の方がフレキシブルに色々と開発していた、というか、できていたのが興味深い。

 

 この鍾馗は、現在のSUBARUの中島飛行機においてかの糸川博士が設計した、日本軍には珍しい傑作重戦闘機。先週の雷電と同じく、見るからに重厚で質実剛健な感じに、ファンも多い。

 

 ところが、当時の日本軍の求める戦術形態に合わず、航続距離の短さや操縦のしづらさで、初期は不評だったという。戦争初期はどんどん敵地(東南アジア)へ侵攻するため、足が短いと思うように使えなかった。

 

 しかし、戦争末期に空襲が激しくなると、本土防空用の強力な迎撃機として活躍した。決定的に高高度では対応できなかったが、低空侵入するB-29とは、まずまず渡り合えた。

 

 アメリカ軍で戦後に接収した戦闘機の試験でも、鍾馗は雷電よりも「インターセプター(迎撃機)として最適」との評価だった。

 

 なお写真は白黒写真をデジタルカラー再現したもの。

 

 

 あと私は、ファンのレベルではありますがマニアではないので、Wikipediaにある程度の知識しかありませんので悪しからずw