私は見てないから知らないんですが、卓球の平野女史には妹さんがいて、その妹さんが発達障害がありながらも大学に通い、両親やお姉さんたちの協力を得て、障害で困ることもあっても日常生活を前向きに過ごしている姿をテレビで映していたようでした。

 

テレビで発達障害だの、自閉症だの、学習障害だの。なんだかんだと障害名を話してくれているんですが、発達障害を知的障害と勘違いしている人が多いようです。

 

発達障害は脳の発達つまり脳機能の偏りが極端で、一部は健常者でもその他が劣っているわけです。勿論発達障害と知的障害を両方持っている人も大勢いますし、そうじゃなくて発達障害だけという人もいます。

そうなると、発達障害の人は知能レベルは健常者なんですが、脳機能が偏っているため、ある行動が苦手だったり、理解できなかったりするわけなんです。

 

だから発達障害があっても知能は健常者なんだから大学に行く人もいるし、発達障害があっても事業を起こして経営者として優秀な人もいます。

 

さて、卓球選手のお話は私も見てないから知らないんですが、このお話のコメンテーターに脳性麻痺の子供を持つタレントさんが呼ばれて、コメントをしていたみたいです。

 

たしかこのタレントさんのお子さんは生まれる前から脳性麻痺の可能性が高かったようなことが書かれていたように記憶しています。だけどせっかく妊娠した命だし、障害を持っていてもちゃんと育てていこうと覚悟をして産み育てていらっしゃったように記憶しています。

 

なかなかに出来る事ではないと思います。

 

こういう考えの人だからこそ、お笑い芸人の時にもこの人に汚いというイメージはわかなかったのかもしれません。

 

いいお話だったんでしょうし、ネットニュースのコメントにも感動した。素晴らしい。

など肯定的な意見が多かったんです。

 

障害者の人が身内にいない、あるいは障害者の人との接点がほとんど皆無のような人が障害者の人を知るきっかけになったり、障害者問題に関心を持ってもらうためには障害者の人が努力している姿、その親が身を削って子供のために奮闘している姿は感動を呼びますし、共感も得るでしょう。

 

障害者問題に関心を持ってもらって障害者福祉のために金を落としてもらうためには障害者絡みの感動ハラスメント番組と言ったら語弊あるんですが、感動の押し売り番組があってもいいとは思います。

 

偽善だろうが何だろうが、関心持ってもらって障害者福祉に金が落ちて集まってくれれば、高齢者福祉に力点置かれ過ぎてなおざりにされている障害者福祉にも視点が向き、金も集まってきて、今よりも経済的だけじゃなく、その他の問題でも障害者が抱える問題、その親や保護者、保護者候補が抱える問題に目を向けてもらえるようになるから、感動押し売り番組は必要悪だと思っています。

 

だから、もう何十年続いているのか知りませんけど、24時間テレビも私は無駄なようにも感じますが、失くしてしまう必要はないと思います。

夏場のあの時期だけでも障害者に目を向け、障害者が見世物みたいにされてもそれでも関心が向いて金が集まれば結果的には何かしら障害者にも還元されるだろうと思っているからです。

 

中途障害になってしまった場合は仕方ないんですが、先天性の障害がある人の場合、妊娠が発覚し、中絶迄のタイムリミットの間で先天性障害が判明する事もとうぜんあるわけで、そうなった場合は、私はやっぱり降ろす道を選択すると思います。

 

皆さんにもおろすように勧める気はありません。

 

人の命の絡む問題ですし、それは人それぞれの考えもあります。

 

何が正解で何が間違いというのはありません。

 

私が堕胎を選択する理由は私の経験から来ています。

 

私は今から30数年前、福祉バスの添乗員の仕事をしていました。

バスの添乗員のキャリアがいつの間にかベテランの域に達していた私はスポット的に穴が開いたバスに配属されて使われる機会が多くなりました。

そのバスの添乗員が社会人になるので退職してしまったために、次の添乗員の補充があるまでそのぬけたバスの添乗員を私が行う事になりました。

引継ぎもへったくれもなくぶっつけ本番でしたが、そこは馴れと転勤族で培ってきたコミュニケーション能力で短期間で利用者たちとも仲良くなりました。

 

その利用者の一人に筋ジストロフィーの男の子がいました。

 

彼は当時小学校4年生だったかな。10歳の割にはしっかりしていて、いろんなことをよく知っているし、勉強も好きなのかいろんな本を読んだり、勉強もよくしていました。10歳の段階でもう歩くことも出来なくなっており、上半身だけは健常者と変わりなく動いていました。

 

ある時、彼と彼の両親が送迎場所で口論をしていました。

 

いつまでたってもバスに乗ってくれないんで、喧嘩を仲裁してさっさとバスに乗ってもらわないと次の利用者にも影響が出ます。

 

何がきっかけで言い合いになっていたかはわかりませんが、私が聞いた言葉は強烈な言葉でした。そしてそれは今も忘れられません。

 

「誰が、産んでくれって頼んだ。しかもこんな不倶に。お前ら産む前に俺が不俱だってのわかってたんだろ。だったらおろせよ。なんで産んだんだよ。なあ」

 

「こんな欠陥品。生む前に処分するべきだったんだ。なぜおろさなかったんだよ。」

 

「人生80年の時代に俺は20歳までは絶対に生きられない。おれは人間だろ。

なんで犬猫並みしか生きれないのわかっていて産み落としたんだよ。

俺はお前らのペットなんか?俺は人間だよ。

人間だから生きていろんなことしたかったよ。

でも俺は出来ない。

俺は後1年か2年もしたら話す事すらできなくなる。

そして自分が何者であるのかもわからなくなる。

でも、お前らは俺という大事なペットが可愛いんだろ。

だから俺が死にたくてもしなせてくれないで、管に繋いで惰性の人生をすごさせるんだろうな。」

 

「お前らの勝手で俺は毎日が地獄なんだよ。代わってくれよ。なあ。頼むよ。代わってくれ。」

 

両親は言い返せませんでした。

 

父親の方はただ少年の血を吐くような言葉を黙ってしっかりと聞いていました。

 

母親の方は自分が産んだという責任もあってか泣きじゃくっていました。

 

私も流石に仲裁に入れません。

 

彼の心の叫びを止めることはできなかったのです。

 

しかし、こんなつらい言葉を子供に吐かせるくらいならやっぱり先天性障害がわかっているのならおろすべきなんじゃないかとわたしはそのとき強く感じましたね。

 

彼は小学校卒業するまでは確か生きていたと思います。

けど中学校に上がって直ぐに亡くなりました。

 

彼の予言通りでした。

 

半年後暗いから言語障害が酷くなり聞き取るのが難しくなりました。

その半年後にはとうとう発声機能が停止し、自分で話すことが出来なくなりました。

話すことが出来なくなった彼は私や運転手に対して多分気を使ってくれていたんだと思います。お話は出来ないけど、こんなに毎日楽しく過ごしていますよというのをアピールしたかったのか、それとも覚悟を決めていたから明鏡止水の世界に入っていたからなのか、穏やかに始終笑みを浮かべていました。

 

その一年とちょっとたったのち、亡くなったと教えてもらいました。

私はそのころはもう社会人になっていたので、当時のバイト仲間から教えてもらって知りました。

 

私が彼と知り合ったのは彼が小学校3年生の時、そして彼が小学校4年生の時にかれと彼の両親との大げんかを目にしました。5年生の時にはしゃべれなくなり、急速に死に向かって人生の幕引きを始めだした彼に私はほんとどう接していいのやら困りました。

 

彼と一緒になって悩んだり考えたりすることは自分がそういった障害を持ってないからわからない。だから私は私の方法で彼にこの時間だけは楽しく過ごしてほしいと思い、馬鹿話ばかりをし、とにかく下車するまで笑いの絶えないそういう空間作りを意識して作っていました。

 

しゃべれなくなっても人の話の内容は理解していますから、馬鹿話をすれば声には出ないけど、大爆笑してくれているのは表情からわかりました。

 

何もしては上げられないけど、今のこの時間を笑って過ごしてくれてたらそれでいいかなと思い、私がそのバスを降りて別のバスに移るまで続けていました。

 

話すことが完全に出来なくなってしばらくして私の異動が確定し、私の代わりに別のバイトさんが入ってくれることになりました。その人のために利用者一人一人の知ってる限りの個人情報をワープロで打ちだしてファイリングして渡しました。

 

結局、私の後釜に入ってくれた人の時に彼は亡くなってしまいました。

そして彼の死について知らせてくれたのもこの後釜の人でした。