私がまだ障害者に転落する前、二足の草鞋を履いていました。

正社員としてグループホームで働く一方で、アルバイトで警備員として働いていました。

最初のうちはグループホームの方の給料の方が当たり前ですが上でした。

あくまで警備員はアルバイトだったので、毎日働いていたわけではありません。

それでも給料が安いのでやっぱりダブルワークしないとやっていけなかったので、気分転換とお小遣い稼ぎの両方で警備員の仕事をしていました。

 

グループホームでの私の仕事は最初は普通に生活指導員という役職で、生活指導員というたいそうな役職名が与えられていましたが、やっていることといえば、入居者の日常生活の介護や介助をするといった感じでした。

 

働き始めて1年半くらい経ったら、仕事に対する欲が出てきました。

グループホームと言いながら、お年寄りと障害者の入居者が混在していました。

障害者の人はお年寄りに比べるとうんと若く、何人かの人には私が入職する前からお年寄りの介助を手伝ってもらっていたりしていました。勿論障害者の入居者の人も混在させるくらいに重度で何もできない人も大勢います。

またグループホームという組織的な事情もあり、生活保護世帯の独居老人などが終の住処として利用している人もいたのです。

そういうお年寄りには元気な人もいました。

勿論、そういう元気な人には掃除や洗濯、シーツ交換なんかを手伝ってもらったりしていたのです。

 
 
それである時、ふと気づいたんです。
 
 
これ、障害者雇用出来なくない?と
 
それで施設側と相談し、入居者の中で働けそうな障害者をアルバイト採用しませんかと切り出したのでした。施設長は簡単にやってみろと言ってくれたので早速開始したのでした。
 
 
手始めに入居している利用者のうち、働けて戦力になっている人を実際に採用しました。
 
正社員ではなくアルバイトとしてです。
 
 
これには生活保護で入居している年寄りはいれませんでした。
 
働いた収入が入ると彼らはグループホームからでなければなりません。
 
 
だから、彼らには申し訳なかったのですが、今迄通りの宙ぶらりんのままで働いてもらいました。
 
障害者の方は障害者雇用で働いてもらえばこちらも障害者採用でわずかですが助成金ももらえます。
 
それに障害者雇用に積極的な企業として企業ブランドのイメージもよくなります。
 
 
それで近所に隣接していた別法人の通所の障害者施設(仮にAとします。以降Aと表記)ともタイアップし、彼らの日常や生活状況を何度か私がじかに見せてもらいに行きました。
 
私と施設長、施設長夫人(グループホームの生活指導員をしていました)の3人でよく訪問して使えそうだなという人間をピックアップして、Aの職員の方たちとも相談し、何人かの人を研修という名目で預かり、やって行けそうだなと思ったら採用していきました。
 
このやり方をA以外の近隣の作業所にも拡大し、さらには社会福祉協議会ともタイアップして障害者雇用に積極的に取り組むようになりました。
 
とはいえ障害者で作業所レベルの人を雇っても彼らだけでは多少の戦力になってもやはり健常者とは違います。そこで健常者で障害採用の人をヘルプする人材をこれまたアルバイトで採用していました。
 
言い出しっぺだった私は採用関係一手を引き受けさせられることになり、障害者採用も健常者採用も両方引き受ける羽目になり、障害者採用もグループホームの支援だけの採用じゃなく、障害者の人に登録してもらって働けそうな仕事場を斡旋するようなことをやるように迄なりました。施設長が人材派遣や斡旋の資格を有していたので、事業として進めることが可能になりました。実際には私があちこちの作業所や福祉協議会や障碍者団体やサークルに顔を出して働きたい人を手当たり次第に声をかけ面接を受けさせ、研修に放り込んで適性を見て働いてもらいました。
 
グループホームを経営している企業は、グループホームは副業であって本業は土建会社でした。私は副業で警備員の仕事をしており、主に雑踏警備なんかをしていたので、土建会社で雑工が足りないというのはよく知っていました。
そして障害者の特性にもよるんですが、意外と一つの事を無限に集中してやる能力が高い人が障害者には結構いるんです。
だからそこに特化して雑工として採用してもらえたら意外と仕事が続くんじゃないかと思い、何人か親会社の土建屋に雇ってもらいました。
それが軌道に乗って評価を得る人も少なからず現れたので、これはイけると思い、アルバイト先の警備員の仕事先の現場の職長に話をして障害者を雑工で雇ってみないと声をかけアルバイトとして採用してもらえるようになりました。
 
私が口利きしたのは100人未満くらいだったと思います。
勿論、直ぐにやっぱり合わなくて辞めてしまう人も結構いましたが、多くは研修を噛ませて採用してもらっていたので、グループホームが倒産した後も継続して雇ってもらえた人も少なからずいました。
 
グループホームで採用されたものやその親会社で採用された人たちは倒産に連座して職を失ってしまいましたが、そうでない人達は私が障害者に転落した後でもまだアルバイトを続けてくれている人もいました。
 
しかし、実はグループホームや土建屋で採用してもらった人たちがかなり優秀な人が多かったので、彼らが倒産に連座して失職したのは本当に残念でしたし、彼らの大半に次の仕事を提供してやれなかったのが残念でなりませんでした。
 
何人かは自力で次の仕事を見つけて再就職してくれた人もいましたが、大半は無職のままでした。まああれから四半世紀経ってますから、その後に彼らが再就職できたかもしれませんし、あのままだったのかもしれませんが、そこは分からないですね。
 
なにせ倒産した年に私も障害者に転落してしまいましたから、自分のことで手いっぱいでその後の彼らの事を心配はしてましたが、何もできる立場じゃなくなったんでどうしようもありませんでした。
 
さて、話は変わりますが、障害者を採用してそのサポートに健常者を採用するという事をしていたという話をしましたが、その健常者採用の時に書類選考で落としていた人がいます。
 
自分達の身内に近い人達であれば気心も知れてるし、付き合いもあるからそこには信用や信頼の関係も出来ています。
 
だからそういった伝手での採用の場合は保証人がいなくても高齢者は採用していました。
 
しかし、そういった関係性のない人達が募集に応じてやってきた場合は、高齢者と外国人だけは容赦なく落としていました。
 
最大の理由は連帯保証人がとれないからです。
 
ただ、募集をかけてもなかなか人が集まらない時は高齢者は面接していました。
 
外国人だけは連帯保証人がまず取れない事をわかっていたので書類選考だけで落としていました。
 
募集をかけて書類選考を通過し、面接となった時、貴重な時間を割いて面接に来てもらっているからという理由で、お車代の予算をつけてもらって、一人当たり1000円と非常にしょぼいのですが、車代を封筒に入れて渡していました。
 
この時、忘れもしない一人の応募者がいました。
ラテン系の人間で、もう名前も忘れてしまいました。
誰か日本語に通暁する人が知り合いにいたのか、日本人でいたのか知りませんが、日本人の名前でワープロ打ちして履歴書を書いて送ってきました。
写真も日本人の協力者がいるのかそれともネットから手に入れたんでしょうか。
よくわかりませんが、日本人の顔立ちの写真をつけて、送ってきました。
面接会場には日本人の見た目のはずが完璧にラテン系の顔の人間がやってきました。
 
え?うそ??これってどういう???
 
目が点になりました。
 
しかも日本語も結構適当な日本語しか話せないから、面接でコミュニケーション取ろうとしてもうまく取れません。
 
尤も本人とは似ても似つかない写真をつけて送って来る段階で採用する気はありませんでした。
 
こんなのでも来てもらったからにはしゃあないなと車代を渡して帰らせました。
 
するとこの御仁、その後何度も名前を変え、写真を変えて応募してきました。
 
ワープロ打ちの履歴書は送らないでとすればよかったんでしょうが、実際の仕事ではワープロやパソコンもそこそこ使う事があります。
だから、ワープロ打ちやパソコンで自家製の履歴書を作ってきてくれる人はそこそこⅠTに通じている人として私の中では評価していたんです。
だから、写真と名前を変えられたら同じ人が何度成りすましされてもこっちはそうかもしれないなと思っていてもやはり面接するしかないんです。
 
 
同じラテンが何度もワープロ打ちしてお車代だけもらいにやってきました。
 
 
流石、発展途上国、日本人とは次元の違う考えと行動をするなあとある意味感心しました。
 
恥なんて概念がないんでしょうね。
 
現物主義者というか、現金主義者というか、なんというかまあ、あのラテンはなかなかに強烈でした。
 
するとこのラテンが他のラテンに教えてやったんでしょうか、ラテン達がこのラテンと同じ手法で何度も面接を受けに来るようになったんです。
 
まあ、金額は微々たるものだからいいんですけど、こっちは期待しているのにこんな乞食ばかりやってきて、本当に働きたい人間は受験してくれないというのは結構精神的にはクるものがありましたね。
 
私が発展途上国移民を殊更蔑視するのはこういった経験もかなり影響しています。
 
たまたまラテンだけしか発展途上国の受験者がいなかったんで、ラテンばかり相手にする羽目になりましたが、きっとラテンだけじゃなく、東アジアや盗難アジアが面接までこぎつけていたら、同じような事をしていただろうなあとは思います。
 
だって、行ったらお金もらえるんだもん。それがたった1000円でも自転車や徒歩で行けばまるまる1000円の儲けになるんですからね。
 
ラテン達は自転車で面接に来てましたよ。
 
いや、こんなしょうもない微々たる小遣い稼ぎするくらいなら日雇いでもいけよと思いましたけどね。
 
日本語殆ど話せないから無理だったのかもしれませんね。