不法滞在者が100万円を埼玉県に寄付して知事は不法滞在者に感謝状を贈りました。

 

難民申請中らしいけど今現在は不法滞在者が日本で事業を起こし、それで得た金かどうかは分からないけど100万の金を捻出して寄付金送って感謝状を知事が渡すってそれって入管の仕事を否定していることにならないんかな。

 

自分の身分が不安定な人が100万もの大金をまともな金で捻出したのかどうかも気になるところ。

 

 

クルド人に対する日本人の目が警戒しているまさにその渦中にタイミングよく露骨に寄付をするというあたりも実に気持ちが悪いです。

 

個人的には寄付金の受け取りを拒否し、寄付した人間の身分が確定するまでは保留にしておくべきだったんじゃないかと思うんですけどね。

 

それと解体業を行っているとあったけど、解体業って確か許認可があったはず。

死角も必須要件だし、誰でもできる商売じゃない。

にも拘わらず不法滞在者が解体業を運営で来ていたというのはどうしてなんだろうかという疑問も感じました。

 

 

昨今の移民の増長目に余るものがあります。少額の寄付をすることで何を要求してくるのかわかりません。

薄気味悪くて仕方ないですね。

 

まあ、私が移民、特に発展途上国と新興国の移民を忌み嫌うのは私の経験からくるもので、多分他の人でも私のような経験をしていたら発展途上国や新興国の移民に対して穿ってみるようになるでしょう。

 

ファーストコンタクトは幼稚園の頃、当時は東京都江東区大島というところに暮らしていました。

そこの在日朝鮮人の不良グループに乗っていた自転車を奪われ、ごみ箱に捨てられてしまいました。

私は当時幼稚園児でしたが、成長が早かったので小学校中学年くらいの身長がありました。

なので小学校3~4年生くらいに見えるのにコロ付き自転車に乗っていてこいつどんくせえ、馬鹿じゃねえのと勝手に因縁吹っかけられてゴミ捨て場に捨てられました。

彼らがこの辺界隈で評判の不良グループの名称を名乗っていました。

日本人の不良グループは自分達より年齢が幼いものを相手に意地悪やカツアゲなんてことはしませんでしたが、在日支那朝鮮人の子弟はその辺の抵抗はないので、平気で自分達よりも弱い相手を虐めたりカツアゲしたりしていました。

私も金銭を要求されたのですがほんとに金なんてもってなかったので、ないといったのに、あちこちまさぐられて、ほんとに金がない事を確認した後で嫌がらせに自転車をゴミ捨て場の中に投げ込まれてしまったのでした。

ごゴミ捨て場にはカギがかかっているから中に入れないし、高いフェンスが障壁になっていてよじ登るのも幼稚園の私では無理でした。

 

この後幼稚園を卒園し小学校入学と同時に大阪に引越ししました。

 

大阪では標準語しかしゃべれなかったために言葉遣いが生意気だと在日朝鮮人が主導して女の子ばかりで2~30人くらい集めて私を集団暴行し、文字通り身ぐるみはがしてスッポンポンにされ、ポケットの中身やランドセルの中身をぶちまけられました。家の鍵も財布も持っていなかったから金銭的な被害は蒙りませんでしたが、何もない事が彼女たちをより逆上させ、夕方6時くらいまで自宅前に待ち伏せされて家に帰りたくても変えれませんでした。

 

 

同じ小学校1年生の時に朝鮮人の子供と喧嘩をして私がその場は勝ちましたが、翌日私が学校から帰ろうとすると「滝山はお前か」と言われ、そうだというと路地裏に連れ込まれて老若男女20人以上くらいからまた集団暴行を受けポケットに手を突っ込まれて中身を確認するためにまさぐられ、ランドセルは取り上げられて中身を全部ぶちまけられて金目のものがないか確認していました。

 

子供の喧嘩に親が出るというのは日本人の子供同士の喧嘩では恥ですから、絶対にしませんが、朝鮮人や支那人にそんな習慣はありませんから子供の喧嘩に一族郎党が参加して子ども相手にも容赦なく暴力を集団でふるい略奪をしようとしましたが、略奪できる物品を持ち合わせていなかったために物は取り上げられませんでした。

 

大岡山に引っ越した時にはフィリピーナの母親を持ち、母子家庭で暮らす友人がいました。

このフィリピーナの母親が育児放棄をしていただけじゃなく、自分の生活費を稼ぐため自宅で売春をしていました。

自分の息子が友達を家に誘っているその横で壁一枚隔てた向こう側で平気で売春をしているフィリピーナの母親。

子供ながらになんて母親だと思いましたね。

しかも子供の方はその生活に慣れているから、睦言が途絶えて間が出来たそのタイミングで氷や水やウイスキーを準備し、母親と客の下へおつまみもって接待しに行ってました。

 

ほんと絶句しましたね。

 

私が東南アジアの事を盗難アジアと書いて侮蔑するのはこの時の子供の時の体験からも来ています。

 

このフィリピーナには5人の子供がいて全員父親が違います。

そして5人の息子の長男がクラスメイトで弟妹を食わせるために仕方なく万引きや畑泥棒をして暮らしていたのでした。

 

農業祭というお祭りがあり、それに彼と一緒に出掛けた時、オスの鶏のひなを無料で配っていました。

 

私は一羽もらって家に連れて帰りましたが、彼は大量にもらって帰っていました。

オスだから卵産まないよ。

と伝えたら、

知ってるよ。1カ月経つか経たないかで結構大きく育つからそしたら弟妹に潰して食わせてやるんだと言って、余っている鶏全部もらって帰っていきました。

 

1980年代の日本で小学生が生活のために鶏をもらって自分で屠殺して食べる・・・・

まず、そんな子供いませんよ。

でも、クラスメイトはそんな異状な子供だったのです。

 

それから時は過ぎて大学生時代、いろんなアルバイトでラテン、中東、盗難アジア、支那朝鮮の外国人と仕事で組むことがありましたが、彼らの適当さはすさまじく、これなら仕事させないで、まずは日本語教育から進めて行かないとどうにもならないゴミ集めになってしまうと感じました。

 

社会人になって警備員と福祉業界を掛け持ちしていた時、ラテンアメリカの万引き少女を捕まえました。

ところが彼女は抵抗して手にしたサバイバルナイフを腰に当てて突進してきたのです。

警備員として後にも先にもこの時だけでしたが、初めて職場で護身棒を使って応戦し、ナイフを叩き落とした後、首に手をかけてねじ回しの要領で相手の首に全体重をかけてねじり倒しました。

捕まえた後は正直に話してくれて、親の命令で万引きをしていた。親は不法滞在なので捕まったら強制送還されるから子供の私が万引きをしたものを親が仲間内に売って生計を立てていた。親から万引きの仕方、ナイフの使い方も教わった。

子供なら捕まってもお目こぼししてもらえるから自分が万引きするように親から命令されたと。

発展途上国の屑っぷりが露わにされ、怒りを通り越して呆れましたね。

この事件が原因で完全にラテンを見る目が変わりました。

 

このほぼ同時期に警備員として現場仕事をしていた時に現場で発展途上国の作業員が出鱈目な仕事を繰り返して現場でトラブルを多発させるだけじゃなく、手癖の悪さを発揮して現場から銅線やグレッジングを盗んでいくなど結構悪い部分ばかりを目にする機会が日常的になり、益々発展途上国の移民に対する警戒と偏見が固まって定着していきました。

 

全部が全部ゴミだとはいいません。

 

まともな人間もいるんでしょう。

 

だけど目にする人間がほぼゴミばかりだったら・・・

 

10人発展途上国の移民街て、1~2人だけがまともで後は劣りまくっていたら、私は1~2人に残りの人間を導くよりも、1~2人諸共切り捨てる道を選択します。

ゴミのリサイクルに手間やコストかけるよりもゴミの処分の方が手間やコストがかからないなら私は間違いなくそちらの道を選択します。

 

いい加減、移民の受け入れは考えた方がいい様に思います。

二流の国から二流の移民を受け入れて労働力不足に当てるより、自分の国から三流の人間や一度リタイヤした人間を使う方がまだマシです。

例えば前科者や高齢者、障害者を活用して需要が旺盛な労働市場に再教育して(資格が必須の仕事なら資格取得の助成や取得まで時間がかかるようならそれまでの生活費の保証を含めて)彼らを積極的に利用した方がいい様に思います。