とんねるず保毛田保毛男の放送ネト荒れから、一橋大の男子学生のアウティング自殺の件を思い出す。
俺の思う想像と課題。
社会的マイノリティーが社会に受け入れてもらおうと、社会に向き合おうと、理不尽なリスクを抱えたまま意を決してカミングアウト。
彼らにこんな思いさせている社会や無知無関心な❝ノーマルやストーレト❞とする我々一般市民の理解と認識。
そういう人の些細な言動で傷付く人がいる。
一方で、ノーマルにしても余裕のない生活が誰からも報われない現状から「障害者ばっかり」「働かないで俺らの税金で」という言動やヘイトになるとも想像できる。
思うのは、ここでいうノーマルにも個々に障害もマイノリティーの側面を持っているということ。
身近な進歩は、ノーマル同士でもそれに気付いてお互い様と思えたなら、よりバリアを抱える人にも気付いてお互い様の思いやりが繋がると思う。
むしろそうでないと、市民の成長がないままに社会福祉に税金投入しても未来の人と社会生活には繋がっておらず、刹那的で虚しい代償行為でしかないのでしょう。