うちのお父さん(長文) | とある女の日記

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DV 、モラハラ、マザコン、風俗と出会い系依存症、サラ金借金夫に離婚調停を申し立てられとうとう裁判離婚しました。

今日は父の日

ちこっと、私の父のお話


昭和17年生まれ

ど田舎の食堂の7人兄弟の次男

中卒で都会に出てペンキ職人として働いてた

実家は貧乏で隙間風ビュービューの家だった

冬は兄弟で暖め合いながら寝ると、朝は布団の足元が凍ってた

食べるものは山が近くにあり、山菜とか野栗とかキノコを採り、川にどじょうを捕りに行き、田んぼにセリを採り、食べるものはすいとん、何も入ってない饅頭などを食べていた


幼少時から働き者で、食堂で作った饅頭を兄とリヤカーを引っ張り、都市部まで2時間かけて歩いて行商に行ってた


小学校は家のすぐ近くにあり、昼休み友達の家で日の丸弁当を友達と食べていた


中卒から都会の塗装会社に就職し住み込みで働いてた


この親父、塗装の腕は一流一級塗装技能士だが大酒飲みだった

 若かった私の母の弟(私の叔父)が、まだ独身の父の部屋に家出した時、 日本酒の一升瓶がごろごろ転がってたと言う。

叔父は都会の大農家の裕福育ちの為、朝が早く父と生活リズムが合わず、1週間で父の部屋を出たと言う


なんの因果か都会の大農家の裕福育ちの地元では名家で有名なお嬢様の母と結婚する

結婚に際し、母の父(私の祖父)からは猛反対をされ

「どこの馬の骨だ!」

と罵倒された


昔の塗装職人はサラリーマンより手取りが良かったらしい

銀行振込ではないので、給料は現金手渡しだった

給料日はその金を持って酒を飲みに失踪してしまう(母曰く“ドロン”)

金が無くなると出てくるの繰り返しだった


なので、私の生家は貧しかった

母も女性は家を守る専業主婦時代だったので働かず、家事、育児に専念していた


父は飲酒し塗装道具の乗った商業車に乗って、道の脇に駐車し寝てしまう為(駐車してエンジンは止まってたので飲酒運転で逮捕出来なかったそうだ)

「人が車で死んでるかもしれない」と

通報され、数々の警察署の大虎箱にいれられ、酔いが冷めた頃、幼い兄を背中に背負った母が何度も迎えに行く羽目になった

警察署で夫婦喧嘩が始まる


そのせいで、母は塗装会社の親方に相談し、親方がわざわざ給料を自宅の母まで持ってくるようになった

白い外車に白いスーツでサングラス、肩掛けの携帯電話の親方

幼い私達兄妹に会うと

「これでお菓子でも食べな」

と一万円くれた


そうして、めでたく父はお小遣い制となり我が家に平和が訪れると思いきや、友達と仕事を始めると実姉に200万借金し騙され返済したり、一日3000円小遣いくれないと仕事行かなかったり、ガソリンを入れると一万円持っていきそのまま失踪したりと貧乏は変わらなかった


父は普段は温厚で育児にも積極的だった

私をおんぶし、近所の酒屋に自分の

酒と煙草を買いに行ったり、釣りにも良く連れて行ってくれた

絵本も1回買ってくれたし、まあ良く動物園やら遊園地やら連れてってくれた

私が欲しがった電気オーブンも買ってくれた

 どこに行くにも私を乗せて車を走らせた

母のやる事にも文句言わないし、子供がやる事は全肯定

家でキリンラガー大瓶2本の晩酌を毎日してれば大人しかった

一生懸命働いた手や服にはペンキがこびりついて、顔は日焼けで真っ黒だった


しかし、外で呑むと最悪で職人気質か売られた喧嘩は買う始末

買ったはいいがボコボコにやられ入院

親戚の葬儀は呑むと必ず実姉の夫と喧嘩し、父の母(おばあちゃん)に叱り飛ばされ、社員旅行に北海道に行くと一ヶ月行方不明(お小遣いをもらったので)

いとこの新居の仕事の途中で失踪し、帰ってきた車に大量のワンカップの空き瓶

近所のスナックに入り浸り、迎えの電話がママから入り、未成年の兄か私が迎えに行く、更に多額のツケが発覚

夜9時に父が帰って来ないと母に捜索命令を出され近所中、未成年の兄と私がチャリで捜索

と言う具合だった


時代は変わり、塗装の仕事も少なくなりサラリーマンに年収を抜かれ、母に「就職してこい!」と履歴書を渡され、 行ったは良いものも会社に行かず飲んで帰ってくる始末


職人気質の父は頼まれた仕事はやるが、営業してまで仕事はしなかった

そして、仕事は採算ど外視で丁寧にやる

一級塗装技能士試験も定規📏を使わなければならないものを「 棒で十分」と棒で受け不合格になり、ふてくされたが、2回目に定規を持ってて一発合格した



そんな父も49歳の朝、てんかんを起こし救急車で 搬送、 手足を縛られ入院。

全身くまなく検査すると、胃癌が見つかり、「このままだと5年後に死にます」と言われて 健康に自信のある父は市立病院で再検査。

胃癌ですと言われ、  胃を3分の2取る手術をした

経過良好で月一度の検診を受けてたが、ある日同じ病室だった方に「元気?酒飲んでる?俺は飲んでるよ」と言われ主治医に

「酒は飲んで大丈夫でしょうか?」と聞くと

「お仕事がお仕事だから少しなら良いでしょう」と言われたらしい。

飲兵衛の少しは少しではない

ビールはジュースなのだ

発泡酒ロング缶を毎日5本以上は飲むようになった。

その上、抗癌剤と胃薬である。

ペンキのシンナーも仕事上吸引している


5年後の元旦、父は自宅で母の目の前で倒れた。

脳出血だった

手術はしたが、良くて半身不随の失語症。

父は21日間意識不明のまま息を引き取った

享年54歳


今、生きていれば今年83歳

母は墓参りの時しか酒はやらない

あの世で迷惑かけないようにだ


仏壇には私が修学旅行で買ってきた湯飲みにお水が添えられてる