鬼木フロンターレという概念への嫌悪 | Fの戯言 2.0

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僕がなぜ鬼木フロンターレを支持しないのか。

 

それは言動が著しく不一致だから。

 

言ったことをやっていないから。

 

風間サッカーの継承はおろか、攻撃的なサッカーすら志向していない。


前からと言っても守備は守備。


守備、守備、守備。

 

とにもかくにも守備ありきのサッカー。

 

 

 

「等々力で守備に拍手が起きるようになった」

 

 

 

だから何だよ?

 

それがどうした?

 

そんなことよりも等々力劇場が起きなくなったことに言及すべきじゃないのか?

 

等々力劇場なんか起きなくても勝てばOKなのか?

 

それでいいと本気で思っているのか?

 

思っているのだろう。

 

そんな考えとは相容れない。

 

 

 

だから僕はブログの記事の方向性を変えた。

 

嫌いなものは嫌いだと言うことに決めた。

 

別にフロンターレが嫌いなわけじゃない。

 

鬼木フロンターレが嫌いなだけ。

 

鬼木でも庄子さんでもなく、鬼木フロンターレという概念が嫌いなんだ。

 

 

 

同意や賛同を求めているわけじゃない。

 

これは僕のスタンスなのだから読者の方々が賛同する必要性なんてないよ。

 

僕はどこぞの応援団と違って〇〇しちゃいけないなんて同調圧力をかけるつもりはないからね。

 

単に僕のスタンスを一度説明しておきたかっただけ。

 

それを知ってるのと知らないのとでは記事の見え方も違って来るでしょ?

 

ただそれだけ。

 

じゃ、そうゆうことで。