鳥山明先生 | STATIONS OF THE 暮らす。

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しがない新中年の何も起こらない日々

職場の同僚が上司に向けた「鳥山明亡くなったって」の言葉に僕の方が「ヴエェェェ!?」と声を上げてしまった(僕は普段職場ではワリと無口)。

鳥山明という存在が我が国の文化に空気や水の様に当たり前に浸透していて、実在の人間だということをすっかり忘れていたみたいだ。鳥山明が死ぬって、そんなことあるんだ...そりゃあるだろうなと。

 

『ドラゴンボール』の画集持ってたりする(これ『Dr.スランプ』時代のが出てたら最高なんだけど)。今日はこの画集をジックリと眺めていた。僕が言うまでもないことだが、相当に作画の巧い漫画家と改めて思う。人物に怪物にメカニック、もうダントツセンスの塊で80年代以降のスタンダードを確立してしまった。これが毎週雑誌連載してたってのはスゴい贅沢な時代だったんだなぁ。 

 

僕が小学4年生の頃に『Dr.スランプ』が「ばいちゃ」と終了。その次の号のジャンプで新連載されたのが我らがジョージ秋山先生『海人ゴンズイ』!

 

あまりの怪作ゆえに最も有名な短命作品となってしまったが、当時の読者に強烈なインパクトを残したのは事実。そして『ゴンズイ』終了の次号に『ドラゴンボール』連載開始、史上空前のジャンプ653万部を打ち立てることになる。

『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』のちょうど狭間に『海人ゴンズイ』が連載というのは何か象徴的なものを感じる。 ジャンプが大爆発を起こす直前、 僕らは輝かしいジャンプ黄金時代を享受しながら、心の片隅に黒いトラウマを宿していたのだ。アチョプ!

 

世界に誇る日本漫画産業の象徴たる存在、鳥山明。その偉業に異を唱える者はいないだろうが、果たして当人はそれを望んでいたか。

19歳になった僕は昔の漫画にハマっていくうち、産業化を推し進めるジャンプがすっかり肌に合わなくなっていったが『ドラゴンボール』だけはどのように収拾をつけるのか見届けようと立ち読みしていた。

連載後期の展開に「コレ本当に描きたいものなのかなー」と痛々しさを感じていた。延々と繰り返されるバトルのつるべ打ちが鳥山先生の資質に合ってないように思えてならなかった。

そんな中、強く印象に残ったのが老界王神が命を落とし即起き上がる場面。そこに痛烈な自虐をみた。

 

それから程なくして『ドラゴンボール』連載終了。鳥山先生直筆の謝罪文になんとも言えない気持ちになった。いや、仲間にかなり文句を言い散らかしてたな。ふざけんな、晴れの最終回になに謝らせてるんだと。それからはもう立ち読みでもジャンプを読むことはなくなった。


僕は今でもアンチ少年ジャンプであると思う。世界的ヒット作品を量産する巨大メディア。それは日本にとっても業界にとっても素晴らしいものかもしれないが、あまりにも漫画を産業化しすぎてしまっているように思う。できるだけ漫画家のダイレクトな表現を読んでみたいと願う自分のような古い人間にはなかなか受け入れ難いものがある。

 

今回の訃報を受けて天才・鳥山明のエピソードに関するツイートを色々目にして大変興味深かった。あらためて、絶大な影響を与えていたんだなと。僕がtwitterやこのブログでよく採り上げている『湘南爆走族』にしても初期の湘南の描写にはペンギン村を感じることが多々あったりする笑

また鳥山先生に先んじる存在として鴨川つばめ先生が再評価されてたのも面白い。僕も鳥山明の登場は鴨川つばめなくしてはあり得ないと思っているが、鳥山先生のオリジナリティはマジで度を越していた。手元の画集を見てると溜息が出てしまうくらいに...

 

鳥山明先生お疲れさまでした。