1982年の吉田聡先生② | STATIONS OF THE 暮らす。

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しがない新中年の何も起こらない日々

漫画賞に入選の喜びも束の間、当の少年キングが休刊してしまう事態に…なので週刊少年サンデーに持ち込むつもりの作品をひたすら製作していたという吉田先生…

朝の8時には測量のバイト、夜はムッシュー・田中先生のアシスタント、深夜2時3時に帰宅してから自分の作品を描き、また朝にはバイトという過酷な日々。数々の幻覚におそわれ、ファンにはお馴染みの“ゴミ箱から拾ったソーセージで食中毒事件”もこの時期だ。


当時描かれた読切作品『天国と地獄』。



※現状読めるのは1985年のKING増刊号に初出の『改訂版』で、描き変え箇所複数有ると思われる(スペシャルサンクスとしてアシスタント石井氏のクレジットも)。

地獄拡張工事に勤しむ冥府設計(建設)は後の作品にも度々登場。


(↑『純ブライド』より)


 水木しげるなどのパロディ色が濃いのは当時ならでは。


吉田先生が好きな漫画家/影響受けた漫画家としてこれまで名前を挙げているのは、藤子・F・不二雄、萩尾望都、手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、永井豪、ジョージ秋山、小山ゆう、大友克洋、江口寿史 etc…。

初期の作風には少女漫画の影響が顕著だが雑誌としては『別冊マーガレット』のみ愛読していたという。
これは先生ご本人にお会いした時にも直接伺った。「高校ん時ね、みんなで教室の後ろで〇〇〇〇〇〇ながら読んでたよぉ」と語ってらした。当時の風潮に漏れずトッポい若者だったと思うが、ここで少女趣味が入ってくるのが面白い(個人的にはデフォルメに亜月裕作品の影響大と思う)。


『別マ』の影響か、当時吉田先生の中では「マンガというとやっぱりメルヘン」という意識があったようで、天上界シリーズやこの作品にもそれは表れているが、アポロンのリーゼントやバイク、主人公・三吉のハイウエドカン等、徐々に“自分”をのぞかせてきている。


少年キングはフレッシュ少年KINGとしてめでたくリニューアル創刊。吉田先生も受賞者として作品を求められ、再度持ち込むが何を描いても「何かが違う」と言われ採用されず。自分でもその自覚もあったという。

アイデアを出して出して全て出し尽くして、たったひとつ残ったのは“自分”のみ…。剥き出しの自分で次の勝負に出ていき、ついにチャンスを掴むのだった。