以前から
集中と没頭の違いを
纏めようとしてました。
明らかに違いを
感じるからです。
でも
なんやかんやで
放置していました。
そして先程
突然繋がりました。
なんと言うか、、
集中すると言う事はポジティブで
やり甲斐もある状態なんですが
予想外は少し
起きにくいと感じます。
もちろん
それにはそれの
価値があります。
ただ、
想像を超えた結果は没頭
してる時起きやすくなります。
改めて文章に
しようとしたら
集中と没頭の違いは
字に顕れていました。
集中が氣を一点に集めてコミット
「しよう」とする働きとすると
没頭は字の如くアタマが
「落ちた」状態を現している
とでも言えるのでしょうか?
既知の認識層での線形的な価値増加
からコマ送りの瞬間体験重視へ。。
集中は自我が
「しよう」とする働き
没頭は
集中さえ忘れた時
自我が対象に対して
同一化(溶けていく)?同質化?
していく働きって感じがしてます。
もちろん自分の感じ方ですが。
同一化と言うと一般的に
何かと悪く言われがちです。
思考との同一化
感情との同一化
信念との同一化
etc、、、
でも
アタマを「落として」
対象へと同一化していく
その働きは
自我を通した前述の同一化
とは少し質が違うようです。
ベクトルが真逆で
言い換えてみると
境界消失とも時空が止まる
とでも言えるんですかね?
ここで意識、と言う
ワードを足してみます。
集中とは自我が対象へ向かって
意識氣を集める状態とも言う事が
出来ると思います。
でも
まだその段階では矢印の流れは
一方方向への力が強いんです。
そして
集中の度合いが極まって来ると
臨界点で没頭にシフトする事があります。
集中から没頭への
反転が起きる前から
自我から放射される
意識氣は対象へ向かい、
それに対して対象からの
反射や反応、応答として逆方向
への流れももちろん起きています。
ただ
まだその段階では
自我からの意識氣の
流れが優勢なので
ある意味で理想に近づこうとか
何かしらの結果を得たいと言う
焦りが残る働きとも言えます。
なんとかして先に質の高い
キックを当てようとか。。
もちろん
理想はとても価値のある事。
でも今は没頭から起こる
理想以外のことを纏めたい
ので少し置いておきます。
話を戻すと
集中は自我から
放たれそれに伴い
対象からも反射される
方向性のある意識氣
没頭はそもそもの
矢印の向きが消えた
一つの意識
と言う分け方をして見ると
分かりやすいかも知れません。
その時
消えたハズの矢印から
自我の予想を超えた体験を
受け取る事が起きて来ます。
例えば
本来はお互い闘って主導権
を取り合ってるはずが
打撃と言う非言語コミュニケーション
の中で相手を何故か愛おしく思ったり。
変ですかね?
って言うかオトコ同士だと
なんか気持ち悪いですよね!笑
またその他にも
集中では先の先も後の先も
お互い狙い合っているのだけれど
没頭状態ではそもそも
後とか先とか敵とか味方とかの
区切り自体が消えていて。。
でも
その様な楽しい体験も
集中すると言う過程が
とても大切だと思いますし
結局はどちらにも得られる
メリットはあると思います。