濾布ならば兎に角、「濾紙」ということになると、私にはコーヒーを淹れる時しか思い浮かばないのですが、・・・。さて、「月の光」を濾紙で濾すことは出来ませんから、一句はひとつのイメージとして読むべきでしょう。となると、コーヒーであろうが何であろうが、濾紙を通過させた液体、その濁りの無さ、透明度を想起すればよく、「月の光」をそんな濾過すべき液体と考え、雑物雑味ならぬ雑光を濾紙を通して取り除いたならば、と。そして、濾紙を通過した月の光に、発話者は「痩せ」を見出したのです。
 

俳句の喩的には、光という波動を液体という物体に置き換え、更には物体に生命体的な「痩せ」を見出したことになります。ま、俳句に対して「痩せ」と表現することもありますから、一句は何かを揶揄しているのかも知れません。