季語は「稲光」で秋。この句、西東三鬼の「秋の暮大魚の骨を海が引く」から大袈裟な部分を取り去ったような、そんな印象を受けます。瑪論句の場合、食卓の皿の上の魚の残滓でもよいのですし。それでも、「稲光」と「魚の骨」との取り合わせには、何か哀しさを感じます。瑪論さんには珍しく、一句に配合(取り合わせ)以外の喩は使われていません。それがこの句の強さなのですけれど。