多くの場合、何処ぞのお偉いさんな りその筋の権威ある人なりが問題発言をした際に使われる言葉が「物議を醸す」なのですが、そして世間に論議・議論を引き起こすことになるのですが、この句はその様な一般的風潮を揶揄している気がします。だいたいにおいて、いくら物議を醸すような発言であっても、失言であったと謝罪に到るのは微々たるもの、大凡はいつの間にか揉み消されてしまうものでしょう。春泥の撥ねにしてからが、洗濯されれば片が付いてしまうのです。
いつのことでしたか、「春泥(しゅんでい)」は単なる「春の泥」ではない、春泥には春光(しゅんこう)の照り返しがあるが、春の泥は単なる春の泥で、その泥に春らしさなどは無い、と主張しましたら、虚子が「鴨の嘴(はし)よりたらたらと春の泥」と詠んでいるではないか、と歳時記を突き付けられてしまいました。まったく、黙るしかありません。