「片雲」なのですが「かたぐも」とも「ヘン ウン」とも読みます。ひとかけらの雲、ちぎれ雲のことなのですが、俳句の場合、芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭部、その「いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」の所為なのでしょう、概ねは「ヘンウン」と読ませているようです。ただ、この句に関しては、「片雲」が芭蕉を踏まえていることを心の片隅に置いておきさえすれば、なんと読もうと問題は無さそうにも思えます。寧ろ、「ヘンウン」などと漢語を句頭に据えてしまうより、「かたぐも」と和語に開いて「ちぎれ雲」のニュアンスに寄り添った方が良いようにも思えます。
さて、芭蕉は「漂白の思ひ」の末に深川の芭蕉庵を引き払って旅に出る訳ですが、その前に「破屋に蜘蛛の古巣を払」っています。それは新しい年を迎える年用意にも似ています。一句の季語の「畳替」も年用意の一つ、古い畳を新調したり、畳表を替えたりすることを言うのですが、虚子の「又人の住みかはるらし畳替」など、まるで瑪論さんの句を別の角度から読み取っているかにも感ぜられます。それにしても「片雲の裏まで晴れて」、畳替日和とでも言いたくなるほどに冬の晴れ渡った空なのです。