この句の難しいところは「古畳」の解釈 です。まだ使われている古くなった畳のことなのか、古くなってすでに破棄された畳のことなのか、それが存外に不明瞭なのです。中原道夫はこの句を秀句としているのですが、これはおそらく、用済みの畳、農業用に解体されて再利用される古畳が農地等に積み置かれている景として読み取っているからだろうと思います(この句、道夫の「捨案山子不遇そもそも顔もたず」の畳バージョンと読めるのです)。確かに、その方が「月を展げて」を理解しやすい面もあり、無難と言えば無難な解釈ではあります。そうは思っても猶、窓からの月の光を浴びている自室の古くなった畳という読みを捨てきれないのは、こちらの方にこそ凡人の心の翳がより深いと思えてならないからなのですが。