「結廬在人境 而無車馬喧 ~ 采菊東籬下 悠然見南山」
にぎやかな人里に家を構えているのに、車や馬で客が騒がしく訪れるということもない。~東の垣根のあたりで菊の花を摘んでいると、遥か遠くに南の山の廬山(ろざん)の姿が見えるという陶淵明の『飲酒』の抜粋ですと。いいねえ、シブクて…この枯れ山水的な響き!こんな季節だからこそ、爽やかにこうありたい。そうそう、人間も歳とってくるとやっぱギラギラのステーキなんかより、和食がよくなってくるのと同じでこういう境地に遊びたくなるのよ。ここでの暮らしがこんな感じかな…、ホンマでっか?でも本当は少しだけくすぶっているけど、ね。しかし、小人閑居して不善をなしてはいかんのじゃ。でも、これってヒマで仕事ないともとれるよね。……ヤバイ!
※ 私の知っている瑪論さんは、経堂駅近くのアパートの三階に。しかし、少なくとも私とは、経堂駅界隈でお目にかかることはありませんでした。ただ、話は少なからず聞きました。身体に不具合が生じて以後も、これは同じでした。上記の漢詩の「~」で省略されている部分には、「心が世俗から遠く離れているので、にぎやかな人里といえども、自然と僻遠(へきえん)の地に変わってしまうのだ」というフレーズがあります。瑪論さんの場合、心が世俗から遠く離れて、ではなくて、世俗の側からの侵入の拒否、であったように思えます。もっと私たちを頼ってくれても、と思いつつも、彼の引いた一線を越えることを私は最後までしませんでした。