この句は映画『ガルシアの首』を知らないと読めない、のかも知れません。知らない私は「拗ねてゐる」の読みが、正直のところ、珍紛漢紛です。その『ガルシアの首』なのですが、サム・ペキンパー監督の映画『 Bring Me the Head of Alfredo Garcia 』(1974年)の邦題です。ペキンパーらしい映画の一つのようで、死んでしまった女誑しのガルシアの首、それの賞金稼ぎ達の争奪戦(ペキンパーらしい銃撃戦)、のようです。瑪論さんに映画を語らせると、単なる映画好きを越えているところがありましたから、この映画についても尋ねれば一見識の披露が為されたとは思うのですが、残念ながら聞いていません。
季語は「晩夏光」で晩夏。季語「晩夏」の傍題なのですが、飯田龍太の「晩夏」の解説に、「バンカ、という語感には、『夏深し』とはちがって、どこか男性的な、キッパリとしたひびきがある。いくぶんかもの憂い感じを含みながら、なお衰えぬ暑光を思わせる」、と記し、更に「眼にうつる風景は夏そのままであっても、こころの内側には夏果てのおもいが深い」と。極端な物言いになりますが、「晩夏」は「挽歌」なのです。
切れは句末、季語に拠る体言止めです。「拗ねてゐる」の後にも軽い切れが在ります。
さて、「ガルシアの首」ですが、掘り返された墓地の遺体から切り取られた「首」なのです。これに100万ドルの賞金がかけられていたのでした。「首」にしてみれば、ラグビーボールじゃないのだから、とでも言いたくなるような状況ではなかったかと。生きていたのなら兎に角も死体の首、拗ねようは無いのですけれど、それはそれ、レトリックというものです。結末は知らないのですが、どの様な結末であろうとも、確かに「晩夏」ではあったろうと思います。