季語は「鮟鱇」で兼三冬。
切れは句末、形容詞の終止形に拠ります。
「慨嘆」は、憂え嘆くこと。人がその慨嘆をしているときの口の形は、鮟鱇の口の形のようになってしまって当然のことだ、と言っていることになりますが、逆に、鮟鱇の口の形は、人の慨嘆の果てのようでもあるなあ、とも言っていることに。これは比喩(特に、直喩)というものの双方向性でもあります。
付言すれば、このような発想、実際に「鮟鱇」を見ていなければ出て来ない筈です。ただ、ここでの「見る」は、季語を実際に眼前に置くことではなく(置いても見てなどいない人も居ますけれど)、季語の有り様を確と自分のものにするという意味に於いて、なのですが。