季語は「時雨」で初冬。
切れは句末、切字「けり」に拠ります。
此処の「玉梓(たまづさ)」は「手紙」の意味でしょう。で、その用例として、手元の古語辞典には『十六夜日記』から「玉梓を見るに涙のかかるかな」を引いているのですが、その王朝時代においては、なんでもかんでも涙で濡らさずにはいられなかったようで、「袖の時雨」などという言葉すら在ります。この「時雨」は雨ではなく、時雨のように袖にかかる涙です。こういう「時雨」を「似物(にせもの)の時雨」と言うのですが、どうやら掲句の「時雨」もこの範疇を匂わせつつ、且つ、いえいえ本当の時雨なんですよ、胸の手紙を濡らしたのは、という作りになっているのです。
蛇足ですが、「みるみると」は「しぐれ」に掛かります。時雨ならば当然の「みるみると」なのですが、「似せ」とすれば、両眼から大粒の涙がぼろぼろと溢(こぼ)れてくるさまをスローモーションで捉えているような、そんな感じでしょうね。