季語は「初涼/しょりょう」で初秋、「新涼/しんりょう」という季語の傍題(ぼうだい)です。夏の季語の「涼し」が夏の暑さの中で感じる涼しさであるのに対し、「新涼」は秋になってから、八月、残暑の候に感じる秋らしい涼しさです。「新涼」の傍題には「秋涼し」や「爽涼/そうりょう」などが在り歳時記にもその例句を見出せるのですが、「初涼」の使用例は在りません。掲句、珍しい用例と言えます。但し、この季語は「秋来ぬと思ひもあへず朝げより初めて涼し蟬の羽衣」という古歌を典拠としている観がありますから、「新涼」より「初めて涼し」の方に由緒があるとも言えそうなのですが。
 

切れは句末、「かな」が切字です。「通せる」は動詞の已然形に完了の助動詞「り」の連体形が付いたかたちで、「猫の背に芯を通せる」が「初涼」を連体修飾しています。言い換えれば、この句は二つのフレーズが助動詞の連体形によって接着されていることになり、その接着箇所には軽い切れが在ります。
 

この句、喩は猫に芯を通したところにあります。2017年のイグノーベル賞を受賞した「猫は固体であると同時に液体でもあり得るのか」を引用するまでもなくあの軟体動物チックな猫、それに芯を通してしまったのですから。
 

さて、読みです。それまで暑さに溶けてしまったかのようにへたっていた猫が、立秋過ぎの或る時、しゃんと坐って居たのです。おそらくは縁側のような所で、です。その後ろ姿を見留めた発話者は、おっ、と思ってしまったのでしょう。そしてその背筋に一本通ったものを感じたのです。まだまだ暑さの厳しい候、暑い暑いとばかり思っていた発話者には、猫に季節を先取りされてしまったように思えたのでしょう。「秋の初風」という季語があるのですが、それを猫に奪われてしまったような、そんな感触がこの句には在ります。