少しだけ、余談。
 

俳句は、滑稽です。で、私にとっての滑稽とは何か、なのです。東海道中膝栗毛が面白いのは、弥次さん喜多さんが失敗を重ねるからです。それも、誰でもが遣ってしまいそうな失敗を、なのです。俳句も同じなのです。ですから、偶々の成功ならば兎に角、誇らしげな成功などを句にするのは、馬っ鹿じゃないの、と思ってしまいます。それに、俺は頭がいいんだぞ、も、俺は知っているのだぞ、も、そんなの俳句にしてナンボのものよ、なのです。ええっ、そうなんだあ~、知らなかったぁ~、ならば、まあまあ許せます。本物は、そういうことに対しては、きょとん、としたままです。内心では、そんなこと疾うの昔に知ってらあ、であっても、五七五の言葉の上では、きょとん、を押し通すのです。俳句が負の文学と言われるのは、作者が作者自身を貶めるものだからです。他者を貶めているような俳句を作る奴は、俳句の風上にも置けぬ、と私などは思ってしまいます。この辺の呼吸、瑪論さんがお茶目であったとすれば(事実、そうだった訳ですけれど)、俳句以前にその辺の呼吸を身につけていたからでしょう。このこと、プライドの高さとは関係ありません。本当のプライドは、自身を貶めても傷つきはしません。しかし、だからと言って悲劇の主人公になってはいけないのですけれど。