区切りが大事 | 大石眞行の玄学ライフ

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大石眞行が占いの観点から日常を観察します。

このところ、世間の流行りにしたがって家康の生年について話すことが多い。(このブログでも何度か触れている)

皆様の最大の興味関心は家康は寅年なのか卯年なのかという点であろう。

 

その前にこの年の十二支、そもそも何に使うのだろうかという点を考えなくてはならない。

現代人ならさしずめ年賀状を書くときに十二支を気にするくらいだろう。

それ以外の用途で十二支を使うことがあったかどうかよく考えていただきたい。

社会的に十二支が必要とされることはまずないだろう。

そう、占いをするときかあるいは神仏に祈願するときくらいではなかろうか?

これは家康の生まれた時代でも同じこと。

神仏絡みはひとまず措くとして、占いに限って言うならば寅年なのか卯年なのかは何の占いを使うかで決まってくるということになる。

四柱推命などの干支暦を使う占いなら卯年生まれ、なぜならば卯年の立春を過ぎているからである。

しかし同じ命術でも紫微斗数を使う場合には寅年の12月26日生まれとなる。

紫微斗数は節入りで年月を区切らず陰陽暦(いわゆる旧暦)の日付を以て年月を区切るからである。

 

家康の生まれた日は一日しかない。もちろん家康に限らず誰だってそうだ。

その日をどの暦でどう表現するかという違いだけだ。そして多くの占いは暦の上に成立している。

ここに猫がいるとする。日本語なら「ねこ」だろう。英語なら「Cat」ドイツ語なら「Katze」フランス語なら「Chat」と言語により呼び方は異なる。

しかし呼び方が違ってもここにいる猫はただ一匹、何の違いもない。そしてどれが正しくどれが間違いというわけではない。

その言語の中ではそれぞれの呼び方が妥当なのである。それを他の言語がガタガタいう必要はない。

 

同様に同じ日付に対して陰陽暦で表記しようが遡及グレゴリオ暦で表記しようが、その系の中で矛盾がなければそれでいいのである。

 

今回そういえば家康の命盤を出したことなかったなあと思い書いてみた。

改めて昔のいわゆる旧暦表記だと紫微斗数は楽でいいなあと実感。

命宮辛亥、天梁化禄、右弼、禄存。

「一生漂泊の感を免れず」

晩年は落ち着いたのではないかと思われるが幼少期の人質生活や秀吉からいきなり関東へ行けと命じられるなど落陥天梁の面目躍如たるものがある。

そして何と言っても天梁星といえば解難呈祥。

困難が多いがそれを全知全能をかたむけてねじ伏せていく人生。

大間違いの八白寅年などで説明するより、こちらの方が理論的も正しく筋が通っている。

 

ということで家康は干支暦的には卯年、旧暦表記では寅年の生まれという結論になる。

当たり前すぎる話で珍しくもないがご参考まで。