天命に安んじて人事を尽くす | やすのど素人的ブログ

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日本のいいところを子供たちに残したいですね。

いつもの日課であるブログめぐりをしていますと、みぬさよりかずさんのブログ「国家戦略特区ブログ」にて、ソウルメイトさんが質問をコメントされていました。

http://ameblo.jp/minusa-yorikazu/


「日本人であることの痛切な自覚と覚悟について、やや似通った認識を共有するかに見えて、結論は、おそらく正反対になるであろう2つの意見をならべてみました。個人としての存在と、国家・民族に同化し吸収されてしまう個人との関係性、それを利用する全体主義的な考え方について、賢明かつ聡明な保守思想家のご意見を伺いたいと存じます。」

(すみません、私なりに要約させていただきました。もしかして主旨が違ってきてますかね?)

ひとつは、EーKONEXT ONEさんとおっしゃる方の「フロギン・エッセイ」と言うブログの「姜尚中・田口ランディ・本多弘之『親鸞 いまを生きる』(朝日新書)」というエントリーです。

http://ameblo.jp/e-konext/


もうひとつは、石川さんとおっしゃる方の「初代石川流~日本が日本であるために」と言うブログの「国が守れないのは憲法9条のせいではない」というエントリーです。

http://shooota.blog.fc2.com/


これは面白いと、すぐさま、ご紹介のブログを拝見した私は、なんと、どちらのブログ内容にも「共感」してしまったのです。


前々から小林よしのりさんの著作などでも問題提起されていたのですが、単純に「日本人の生命と財産を守る」ことをだけを目的とした場合、日本がアメリカの州になろうが、中国の自治区となろうが、それらが守られれば構わないという事になるじゃないかと。生命と財産を守るよりも、もっと守らなくてはならない物があると考えなければ、なんのために戦うのか、その意味が分からなくなると、思っていました。


それを石川さんは、こう仰っているのではないかと思います。


「国内の誰かの命」を使い、「国内の誰かの命」を守る。そこには命に序列や順序が存在するという前提がなければ成り立たない。そこには「命を超える価値」というものはあると考えられていなければならない。


その価値とは、「個人」と言うものの中に「私が運命的に引き受けたナショナルな領域」、「尊厳」と言うものの中に「歴史的感覚」、「幸福」と言うものの中に「共同体」、「権利」と言うものの中に「世襲の理」、「公共の福祉」と言うものの中に「文化圏の慣習」、それらの中に存在する。


「日本人の命を守る」と言う考えの中に「諸個人の中に無意識的に横たわっている日本」や「共同体の連綿の中で体現される幸福」が含まれるはずである。



そして、EーKONEXT ONEさんのブログです。


ひめゆり学徒隊の方が、米軍に追い詰められ、日本軍にも自決を強要された、そんな絶望的な状況下で友人に「行けるところまで行ってみましょうよ。ただ天命を待てばいいですもの」と仰った。その「天命を待つ」とは「人事を尽くして天命を待つ」と言うよりは「天命に安んじて人事を尽くす」と言った方がいい境地だったのではないか。


自分では望んでもいない状況、境遇、人生、災難、それら与えられたものは、大きなはたらきの中にあって、自分ではどうすることも出来ない。それは神のなされることと受け入れるしかなく(ここは私の考えです)、あとは自分の命として全力を尽くすだけ。そんな他力の境地にあったのではないか。


その絶望的な状況下で彼女たちは、自分の生への執着、ひたすらに生きようと言う力、自分に対する全肯定的概念にたどり着いたのではないか。



私も戦後的思考にガチガチに固まった人間であると自覚しています。


個人としての人生、それが自分なら、自分の家族ならばどうでしょう。そこに命の序列があるなど、とても受け入れられるものではありません。みんな等しく貴い命なのです。


しかし、一方で、その戦後的思考の脆さも分かっています。平和な時にこれほど素晴らしい自分に対する全肯定的概念が、有事には自分達の家族を危険に晒すのです。


ひめゆり学徒隊の彼女たちは、石川さんの仰る「自分の命を超える価値」の為に、戦場で戦いました。戦って戦って、十二分に自分達の「義務」を果たし終えたのちに、自らの命への全肯定的概念に至ったのです。


確かに、この「想い」は容易に全体主義に利用されかねません。しかし、仮に利用されていようとも、その「想い」は、人間の集団としての「国家」を維持する為にはなくてはならない物だと思うのです。この「想い」があり、かって自分ではどうすることも出来ない状況下で、「自分の命を超える価値」の為に戦ってくれた同朋がいてくれたからこそ、我々は日本人として胸を張って、この日本という国に生きているのではないでしょうか。




なんだか、ありきたりな感じになってしまいました。もっと熟考が必要ですね。


お二人とも、まったく解釈が違っていたら、すみません。



しかし「天命に安んじて人事を尽くす」いい言葉ですね。


大いなるものを絶対的に信頼してしまい(その結果が良くも悪くも。そもそも自分ではどうしようもないのだから、絶対的な信頼を持ってしまう方が潔い)、自分は出来ることをするだけと覚悟を決める。


座右の銘にします。