相対性理論でいうなれば、光のように速いスピードで動いていると時間の流れが遅くなるらしい。
といっても、例えばその光の如く速い宇宙船に乗っていれば一日で一年分の時間がとれる…というわけじゃない。
時間の流れの違いに気づくのは地球に帰ってきてから。
地球時間の2010年に出発して、光速で1年過ごして地球に帰ると、その時地球は何年も過ぎてしまっていて、かつての友人は歳をとってしまっている、ということだ。
地球で待っててくれた人からすれば、「一年で戻る」という大嘘をつかれた気持ちになるだろう。しかも光速で過ごしてきた人たちは旅立った頃とさほど変化はない。
とはいえ、光 速で移動することは原則的に出来ないらしい。「エネルギーが質量に化ける」という摩訶不思議な現象が、人やモノを光速に近づくのを妨げるからだ。
時間は何もしなくても過ぎてしまうものだし、楽しい時間こそ何もしていない時間と比べて、感覚的にあっという間に過ぎてしまうものだ。
時間に追われて、時間が止まるのを願ったことすらある。
でもちゃんと「今」という時間が自分にも流れているからこそ、みんなと同じ時間の流れの中で生きていけるんだ。
この際、光速で移動出来るか否かは関係なく、つねに同じ時間を生きる者として恥ずかしくないように生きていなきゃいけないんだな。
といっても、例えばその光の如く速い宇宙船に乗っていれば一日で一年分の時間がとれる…というわけじゃない。
時間の流れの違いに気づくのは地球に帰ってきてから。
地球時間の2010年に出発して、光速で1年過ごして地球に帰ると、その時地球は何年も過ぎてしまっていて、かつての友人は歳をとってしまっている、ということだ。
地球で待っててくれた人からすれば、「一年で戻る」という大嘘をつかれた気持ちになるだろう。しかも光速で過ごしてきた人たちは旅立った頃とさほど変化はない。
とはいえ、光 速で移動することは原則的に出来ないらしい。「エネルギーが質量に化ける」という摩訶不思議な現象が、人やモノを光速に近づくのを妨げるからだ。
時間は何もしなくても過ぎてしまうものだし、楽しい時間こそ何もしていない時間と比べて、感覚的にあっという間に過ぎてしまうものだ。
時間に追われて、時間が止まるのを願ったことすらある。
でもちゃんと「今」という時間が自分にも流れているからこそ、みんなと同じ時間の流れの中で生きていけるんだ。
この際、光速で移動出来るか否かは関係なく、つねに同じ時間を生きる者として恥ずかしくないように生きていなきゃいけないんだな。
4/1生まれの人って何故前の学年に組み込まれるんだろうか?
そもそも、なぜ年の数え始めである1月が冬なんだろうか?
考えてみると難しいけど、別に調べる気になるかというと、別にならないのだ(´∀`)
ただ凄いと思うのは、
24年間生きてきて1月1日に天気が悪かった記憶がないという事。
東北の方では普通に雪降ったりしてたみたいだけど、俺にとって元日は毎年晴れだった。
どんなに時間が経っても忘れない日。
1月1日のほかにも何日か忘れられない日がある。
明日はどんな一日にしていこうか。
そもそも、なぜ年の数え始めである1月が冬なんだろうか?
考えてみると難しいけど、別に調べる気になるかというと、別にならないのだ(´∀`)
ただ凄いと思うのは、
24年間生きてきて1月1日に天気が悪かった記憶がないという事。
東北の方では普通に雪降ったりしてたみたいだけど、俺にとって元日は毎年晴れだった。
どんなに時間が経っても忘れない日。
1月1日のほかにも何日か忘れられない日がある。
明日はどんな一日にしていこうか。
もう4月になるっていうのに相変わらず寒いですね(´Д`)
おまけに財布の中身も氷河期で…困ったものですorz
しかしながらワンマンライブも終えて落ち着いたので明日いよいよ面接受けに行きます♪
24歳にして初めての居酒屋、勤まるかどうか不安いっぱいですが、毎日ちょっとでも達成感がないと鬱になりやすいタイプの人間なので、精一杯頑張りたいと思います(^_^;)
経験は長いけど、コンビニじゃ生計立てるのでいっぱいいっぱいなので…
んでもって履歴書用の写真を探したんですが、添付写真の右のヤツは一応1年以内に撮ったんだけど、あまりにも違い過ぎるので没…(笑)
かといって今日撮った方もなんだか変な顔しているという…(笑)
ともかく、心入れ換えて頑張ります

明日は午前中に大掃除だ!!
仕事やらライブやらで4月はてんてこ舞いになること必至ですが、なんとか自分のペースを掴んでいこう!
満足とは一体どういう条件を満たしたら得られるのだろう。
例えば食べたいものを好きなだけ食べたとする。
確かに満足かもしれない。
でも満足する一方で「こんなに食べちゃったら体重が…」とか「食費削らなきゃな…」とか思うわけで、ひょっとしたら「今度は違うのが食べたいな」とか思ってしまうかもしれない。
一つの満足は新たな不満をもたらし、また遅かれ早かれ満足するための代償を払わなくてはならなくなる。
いつまで経っても満たされないこの心は、それ自体が悪なのだろうか。
でも満たされないから成長できたという事実もある。
じゃあ成長とは何ぞや。
新たな欲求を満たすための方法論を身につけることなのか。
特別な欲求を持たずに平凡な暮らしのなかで楽しみを見つけることも悪くはないけど、心のどこかで常になんかしらの刺激を求めてるような感覚もまた確かにある。
今の自分に必要なもの、ただそれだけを求めて生きていくことにさえ躊躇いが生じるのはなぜなんだろう。
「人間はなんのために生きているのか」
「償い」だと思ったときもあるし、大してそんなことすらも考えずに生きてこられた日々もあった。
よくわからないまま、曖昧なまま生きていくのも悪くない。
おおよそ満足できそうもないものを求め続けるのも、逆にいいことなのかもしれない。
今はただ、自分で自分に言い訳をしないで生きていきたい。
そう願い続けて、そのためになすべきことを成し遂げてきたい。
多分、それが自分にとっても、自分と関わる誰にとっても一番いい道。

