俺は今まで音楽に数多くの感動を与えられてきた。

ある時は単純に自分の感情を代弁してもらって、

ある時には心の支えとして、

またある時には気分転換として。

実際にその音楽を奏でる人に会うことがなくとも、ただひたむきに聴き続けていた。



そして今、立場は変わって俺が音楽を誰かに提供する側になった。

実際に関わりのある、いろんな人の優しさに支えられて今の立場に立てているのは常々感じている。

感謝してもしきれないくらいの恩を受けているんだ。

そう感じるたび、「一人の人間として」その恩に報いることを考えてしまっていたけど、それはアーティストとして本来の在り方じゃないんじゃないかなと思うようになった。

やはり自分たちの為に大切な人生の一部を提供してくれている人に対してしてあげられることは、「素晴らしい音楽(ライブ)を提供してあげること」、それに尽きるんだ。

そもそも俺らをリスナーとして応援してくれる人たちは、俺らの音楽を好きになってくれたわけであって、もしそうでなかったとしたら(例えば「キャラが好き」とか「個人的に特別な感情を持ってる」とかならば)それはアーティストとしては「あまり好ましくない好かれ方」なんだ。

というか、音楽という土俵の外側でしか好かれられないというのはアーティストとしての力量不足に他ならない。

そりゃ今でこそ実際に話す機会のある人に気に入って貰っているから人間性がNGなら好かれなくなるのは明白だけど、いずれ目指すべき立場は俺を魅了してやまなかった素晴らしいアーティスト達と同じ土俵に立つことであって、自分の音楽活動に費やす時間を削ってまでして誰かにとっての居場所を提供することなんかじゃない。

卑屈な態度は本当に音楽が好きじゃないリスナーを思い上がらせてしまう。

だから「アーティスト」であることに誇りを持ち、「アーティスト」である自分を好いてもらえるように努力しなきゃならないんだ。



これはミュージシャンだけの問題じゃない。

誰だって人に好かれたい気持ちは持っているはずだし、その為に自分にプライドを持てるように日々精進しなきゃならないんだと思う。



まだまだ頑張れる余地はたくさんあるはずなんだ。



だから頑張って生きよう!

それが一番良い方法のはず!!



『ネネ』を久々にじっくり聴いていますなう。

なうって…(笑)

最近、Twitterやらmixiのボイスやらでつぶやきを残す人も多いみたいだけど、あまりにもインモラルな発言とかが多かったりすると疲れるんだよなぁ(苦笑)

携帯がほとんどの人に普及したばかりか、現在はSNSやオンラインゲームとかを通して離れていても1分1秒単位で他人となんかしらのコミュニケーションをとれる時代になってしまった。

こういうものってどっかの寂しがりの発明なのかな?なんて思ったりしたけど、情報技術の発達は単純に物理的な距離に隔たれている人と人を繋ぎ合わせるだけじゃなく、人間の本質をも変えているじゃないかとすら思う。

昔見てた『Serial Experiments Lain』っていうアニメでは「人間一人一人という"脳細胞"がワイアード(劇中のインターネットを指す)で繋がれることによって地球は一つの"脳"になる」っていう話が出てきたけど、インターネットで繋がれた2次元上の人間の精神の集合体は、一体どこに向かっていくんだろうね。

「ゆとり」とかいう言葉で最近の若者を区別する人もいるけど、確かに俺も「ゆとり」と呼ばれる世代の学生たちとの常識の捉え方のギャップには驚かされた…(苦笑)でも、だからといって全ての子たちが常識外れだったわけじゃない。ほんの一角を見て判断すべきことじゃない。

それに「ゆとり」と呼ばれる世代の子供たちを忌み嫌ったり特別視するとしても、「ゆとり」な子供たちを育てた人間や社会全体にも問題はあるわけで、都合よく自分だけ社会の構成員としての責任から逃れ、他人や社会を批判する権限は誰にもないはずだ。



これはあくまでも俺の自分勝手な考えだけど、「ゆとり」にせよ何にせよ、人間関係や既存の常識の概念が変化した理由は、情報ネットワーク上でのプライベートの分離とその露見にあるんだと思う。

理由らしい理由もないし、『Lain』に影響受けまくった挙句の勘といえば勘なんだけど(笑)、リアルな世界での人格とネット上での人格が併存して、どちらも真でも偽でもあり得る状況になってしまったんじゃないかと。

人は他人に見られていると意識している時の自分と、誰にも見せない自分を持って生きているけど、そこから更にネットワーク上での自分を持ってしまったのではないかと。

他人の得体の知れない部分、永遠にわかり合えない部分に恐れて心を隠していくだけでなく、誰からの干渉も受けず、その気になれば他人を無責任にけなすことすら容易い力をも持ってしまったことによって、リアルでの人間関係がますます希薄になってしまったんじゃないだろうか。

かく言う俺も、一体どれくらいの人と心開いて接せられているのかはわからないけど、自分の損得関係なく大切にしたいと思える人もいるし、たとえその先で知りたくない部分を知ってしまったとしても、もっともっと深いところでわかり合ってお互いに慈しみ合えるような関係に発展したいと願ってる人もいる。

回りくどい言い方したけど、単純に好きな人がいるってことですね(´∀`*)



…とまぁグダグダと書いてしまったけど、要はどんなに世界が変わろうと、リアルな世界で誰かをわかろうとして距離を縮めるのに頭を悩ませることは大切なんじゃないかってことが言いたいんだ。

ネットワーク上での付き合いもいいのかもしれないけど、ありもしない幻覚に依存して現実をほったらかしていてもいけないだろうし。

なんでも偉そうにけなせるくだらない思い上がりも、実際に接する可能性のない人間のことで一喜一憂するのもほどほどにして、リアルな世界で楽しく今を生きよう。

「ヌエ」に関しては「閉ざされた心」をテーマに鳴らしてたアルペジオを、歌詞まで付けて曲に昇華してもらったんだけど、

「リアルな世界で他人と向き合うことに恐れを抱いてしまうかもしれないけど、その恐れを乗り越えた先に、大切な人と手をとりあって生きていける世界があると信じよう」って気持ちを表した曲に仕上がったのは、自分にとっても感無量なところでもあったんだ。

もっとたくさんの人に聴いて欲しいっすね(笑)

これからも自信作が作れるように頑張ろう!



当たり前だけど、好かれたい人に好かれるってことは難しい。



他人を独占したい、思い通りにしたいという欲望を押し付けるのではなく、お互いに一緒にいたいと自然に思い合える関係を目指せればベターなのかなって思う。



人間である以上、誰もが感情を持ってるんだし、完全に「誰かのもの」になることは出来ないからだ。それを強要するのは独善的な無い物ねだりに過ぎない。



まぁ「恋人として」って条件が加わると個人的なエゴが絡んできて俺のアタマじゃ解せないほどややこしくなるんだけどね(苦笑)



でも単純に人間として興味を持ってもらうことならば、そんなに難しいことじゃないんじゃないかな?



毎日を一生懸命生きてるならば、自分を恥じる必要なんてないんだ。



俺は汗水流して努力することをいつの間にか忘れて、醜い嫉妬や甘えに心腐らせてたのかもしれない。



生きざまは異なれど、同じ言語を話し、同じ文化圏に生きてきた者同士なんだから、よほどの事がなければ永遠に交わらない平行線なんてないって信じていてもいいはず。



精一杯生きて、自分も他人もちゃんと受け入れて、勇気をもって踏み出してみよう。



自分で自分を可哀想だと思ってしまうことを恥じよう。



想いが届くという喜びを、自分も含めたたくさんの人が味わえるようになることを祈って、明日(というか今日)も最善のステージを飾れるように頑張ります!


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夕方にPARCOの山野楽器で買ってきたよ♪

クラシックのCDは安いからホントいいねぇ(´∀`)

以前は図書館で借りてたんだけど、PCがイカれて取り込めなくなったから新品で買っちゃった。(図書館に置いてあるヤツでもダ○ソー程度のCDとは比べ物にならないくらい質はいいので、試しに聴くくらいなら図書館にGOだ!!)

しかしヴィヴァルディの『四季』ひとつとってもピアノアレンジのもあったし、合奏のものもいろんな楽団がやってるのがあるから真剣に迷ってしまった(笑)

結局俺が選んだのはソロイストに鬼才クレーメル、指揮は巨匠アバドを迎えたロンドン交響楽団による演奏のCDにした。よくわからんけど…(笑)

でも今まで聴いてきた中じゃ一番いいと思った!総奏の部分の迫力もあるし、細かいところで隠し味的にチェンバロが入ってたり、指揮者の絶妙なテンポ調節が心地よかった。

んでもって、慣れない五線譜とにらめっこして1フレーズでも習得してやろうと思ったんだけど、音はわかってもあんなに早く弾けないわ(´Д`;)

一番最初にして最も有名な『春』の中盤で、雷を表現してる部分のソロなんですが、もはやギターで弾くことに限界を感じた(笑)

ここ数年クラシック音楽は「癒し系」として売り出されたりしてきたけど、確かに癒しである一方で究極の感情表現だと思う。

標題音楽であれ絶対音楽であれ、言葉がなくともいろんなことを頭によぎらせるから。

音をまるまるパクるんではなく、その方法論とエモーショナルなところを自分の音楽に取り入れたいものだね。

今日はヴィヴァルディの『四季』の譜面でも探してこようかな♪



明るい曲の多い『春』や『秋』よりも、実は『四季』の中で最も暗い『夏』や『冬』の方が好きだったりするんですよね(´∀`)



「ギターで弾ける/弾けない」じゃなくて、単純に5線譜に接する機会を作るために買います。



譜面読みながらピアノ弾ける人って凄いよなぁ。



俺も人生やり直せるならそろばんなんかじゃなくてヴァイオリンとかやってみたかったな。



俺は別に長生きしたいなんて思わないけど、ジジイになっても死なずに生きてたらクラシックのコンサートでも見に行きたいね(´∀`)



24になってもこんな性格なんだから、歳とったらきっと手に負えない石頭ジジイになってるに違いないだろうな(笑)



いつだったか歳をとるごとにアタマの柔軟性が失われていくことを嘆いてたけど、遅かれ早かれ終わりは必ず来るんだし、悩むなら死ぬほど悩めばいいって話だ!(ハゲない程度に)



「自分は鬱だ」だの、「もう誰も信じない」だの、「何もかもどうでもいい」だの、いろんな人が悩んでるけど、結局救いは自分で見つけなきゃダメだってこと。



俺はいろいろと自分勝手な考え事してるけど、その根本は「好きか嫌いか」とか「ダサいかカッコいいか」くらいの二元論だと思ってる。



本当の感動はシンプルな感動のはずだし、それこそが自分だけに許された自分らしさだからね。



好きになることは強要されて好きになるわけじゃないから、自然に好かれやすい自分を作っていけたら最高だね!