小学生の頃に考えたことがあった。
もしいつか自分が父を失うとしたら、それがいつなら耐えられるのだろうかと。
50代を目前にした妻であり、母である私が、80代の父を見送る日が来てしまったけれど…
その日はマンション購入の契約の日。
契約手続きが終わり、海の見える食事処で夫と2人でランチをしていた。
少し前に購入したApple Watchがブルブルと震えて、母からの電話を知らせてくれた。
「お父さんが立てなくなって、今隣の部屋の布団で横になっているんだけど…」
こんな電話は初めて受けた。
少し母の話を聞いていると、これはただ事ではないと感じた。妹にもすぐ電話するように伝え、すぐに行くと言って電話を切った。
夫に父が倒れたすぐに実家に行きたいと伝えると、救急車は呼んだの?と聞かれた。父は救急車を拒否していると母が言っていたが、やはり病院に連れて行かなければならない状態であることは間違いないはず。
母に電話をかけて、救急車を呼んだ方がいいと伝えた。「お父さん、ゆきえが救急車呼んだ方がいいって」と父に受話器を向けた。父は「わ、わかった、わかった」と言ってくれたように私には聞こえた。
気が動転している母にはそれが聞こえなかったのか、救急車は嫌だってと母は言っていたが、お父さんわかってくれたから、救急車呼んで、私もすぐ行く。
夫の運転で平塚に来ていたので、実家まで時間がかかりそうだ。夫はスマホで乗り換え案内を出してくれて、すぐに最寄駅まで連れて行ってくれた。
もう気が動転して、頭の中は真っ白で、どうやっていったら最短で父の元へいけるのか考えられない私に夫はそっとLINEで乗り換え案内を送ってくれた。
乗り換えの駅のホームの場所や、グリーン車の乗り方や降り方など、私が簡単につまづきそうな箇所を要点を押さえて教えてくれた。
必要な事だけ話して、あとは静かに運転してくれる夫に感謝しながら車を降りた。
妹に到着時間をLINEして、グリーン車に乗った。
電車に乗りながら、救急車を呼んでと言った私の選択は正しかったのだろうか?と悩んだ。コロナ禍を経た今、父が病院に入る事で会えなくなってしまう可能性はないのだろうか。会う事はできるのだろうかと。
母から病院の場所を伝える一報が電話できた。
父は問診を受けていて、別室にいるという。
問診を1人で受けられるという事は意識もあり話もできるということか。少し安心してしまった。
乗り換えて、あともう少しで病院の最寄駅というところでまた母からの電話。
「いまどこ?延命治療をするかどうか今すぐ決めてと言われたの。どうしよう…」
急激な変化に驚き、胸がドキドキした。涙もぼろぼろ溢れた。
「お父さん、延命は希望してなかったよね。妹が私より早く駅に着いているはずだから電話してすぐ来てもらって。」
妹にLINEすると同じ電車に乗っていた。
電車が着くとすぐに妹と合流して、タクシーで病院に向かった。
案内された救急の病室で父はベッドに座り、全身で呼吸をしていた。
すぐに駆け寄り「お父さん、ゆきえ来たよ」と言うと父はしっかりとしたアイコンタクトをしてしっかりと頷いた。そしてその後妹の目を見てしっかりと頷いていた。父は私たちに左指の血液中の酸素濃度を測る機械を見て、これが嫌だと言った。
妹は「これは酸素測るやつだよ」と言っていた。
私たちの到着を待っていてくれたんだ。父の様子からそれがはっきりと見てとれた。
母が「苦しいの?」と聞くと「苦しくない」と答えた。たぶんこの苦しくないという言葉は私たちのために言ってくれてるんだろうなぁと思った。
たぶん最後に聞いた言葉が「苦しい」だったら私たちはこれから先ずっとその言葉に苦しめられるような気がするから、あれは父の優しさのように思う。
