帰る途中でひとつのお堂に寄りました。
吾妻郡嬬恋村にあります鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)。
1783年(天明3年)、火口より約12kmにあった鎌原村は、浅間山の大噴火による土石ながれによって流されてしまいました。
この観音堂は丘にあったため、残ったものです。
爆発と同時にここへ難を逃れて、当時の村の人口570名のうち、助かった村人はわずか93名だったそうです。
現在、地上部分にある石段(赤い橋の上の部分)は15段ですが、村の言い伝えではもっと長いものだったとされていました。
1979年に発掘調査が行われた際、石段は全体で50段あったことが分かりました。また、埋没した石段(赤い橋の下の部分)で、女性2名のご遺体が発見され、若い女性が年配の女性を背負うような格好で見つかったそうです。
火山災害から村人の命を救った観音堂は、厄除け信仰の対象になり、現在でも村人の子孫たちが交替でお堂に詰めており、参拝者は昔語りを聞くことができるそうです。
現在でも各地で発生している災害に、心が痛むニュースを多く耳にします。いつ何が起こるかわからない世の中だからこそ、こうして生きていることに感謝しながら、一日一日を大切に過ごしていきたいと改めて感じる旅となりました。