恋はつづくよどこまでも二次創作小説【あをによし:第11話.虎落笛の咆哮】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

風月庵~着物でランチとワインと物語

毎日着物で、ランチと色々なワインを楽しんでいます。イタリアワイン、サッカー、時代劇、武侠アクションが大好きです。佐藤健さんのファンで、恋はつづくよどこまでもの二次創作小説制作中。ペ・ヨンジュンさんの韓国ドラマ二次創作小説多々有り。お気軽にどうぞ。

【あをによし:第11話.虎落笛(もがりぶえ)の咆哮】

11月末、霜月の名が表す通り、奈良も随分と冷え込む日が多くなってきた。朝の最低気温も一桁(ひとけた)になり、暖房が欠かせない。七瀬のお腹も目立つようになってきて、マタニティウェアに厚手のカーディガンを重ねている。身体を冷やさないように足元もタイツとソックスを重ね履きだ。浬(かいり)も黒のタートルネックセーター姿にロングコートと装いを変えた。浬のチャコールグレーのコートに対し、颯(はやて)は濃紺のピーコートとベージュのダッフルコートを、交互に着て通園している。真っ赤なマフラーは暖かく、どちらのコートにもよく似合っている。今日は濃紺のピーコートに赤いマフラーとニット帽を合わせる予定だ。浬のロングコートの隣に、颯の可愛らしいコートが並んでいる。

幼稚園の冬用の制服はVネックのネイビーブルーに白色の縁取りのセーターだ。寒い時にはそれに、アイビースタイルのジャケットとパンツを重ね着するが、今はまだ部屋着のままだ。

洗顔を済ませた浬と颯は朝食の席に着いた。テーブルには湯気が上がる温かなチャウダーのスープが並んでいる。なかなか食が進まなかった七瀬だったが、秋から冬になると体調も回復して、食欲も戻ってきた。中でも野菜たっぷりの濃厚なチャウダーは、大のお気に入りになった。七瀬は早速チャウダーのカップを手に取った。フーッと吹き掛けた息が、芳ばしい香りを広げる。七瀬は一口食べると、綻(ほころ)ぶ口元を押さえた。
「美味しい、凄く美味しい」
「寒い日はスープがいいな。身体が暖まる」
「先生が作ったクラムチャウダーは、特別美味しい」
「玉ねぎを刻んで冷凍のアサリを入れただけだろう」
「それでも、美味しさが違うもの」
浬はチャウダーを口にした。
「旨いには旨いが、七瀬が作るトマトスープのチャウダーもいいぞ」
二人の会話を聞いていた颯は嬉しそうにスプーンを口に運んだ。
「僕はどっちも好きだよ」
とにかく七瀬は身籠って以来、チャウダーが好物になってよく食べる。
「どうしてかしら、とにかくチャウダーが食べたくて堪(たま)らないの」
「お腹の中の子が欲しているんじゃないのか」
「私もそう思うわ」
颯は七瀬の顔を覗(のぞ)き込んだ。
「僕がお腹の中にいた時、ママは何が食べたかった?」
「不思議と焼き魚が食べたかったわ」
「僕、お魚 好きだよ」
「じゃあ、今度はチャウダーが好きな子が生まれるかもね」
七瀬は微笑みながら、チャウダーにパンを浸して口に運んだ。
「ニューヨークに看護留学していた頃を思い出すわ」
「ニューヨークは佑都(ゆうと)お兄ちゃんがいる所だよね。佑都お兄ちゃんも食べているかな」
「そうね、ニューヨークの冬は結構寒いから、ママもよくチャウダーは食べたわ。クリームタイプもトマトタイプも」
「どっちをいっぱい食べたの?」
「どっちも、イ・テワン会長もお好きで、よく一緒に食べに行ったわ」
颯は振り返ると、写真立てに視線を移した。
「ママと一緒に写ってるおじいちゃん?」
「そうよ」
「ママだけでなく、パパもお世話になった方だ」
「カッコいいな。テレビに出てくる人みたいだ」
七瀬はクスクス笑い出した。
「颯もそう思った?ママも初めて会った時、同じこと思った」
「会社の社長さんだよ」
「ふうん」
「アメリカにある大きな会社だ」
「アメリカかぁ、パパとママも行ったことがあるんでしょう」
「そうよ」
「僕もアメリカに行ってみたい」
颯は窓の外に視線を移した。
「佑都お兄ちゃんは飛行機で帰ってきたって言ってた。新幹線では行けないんでしょう」
「新幹線では行けないな」
大好きな新幹線で行けないのは、ちょっと残念だ。テレビのニュースでは、今日は各地で荒れた天気になると告げている。
「颯、ご飯を食べなさい。今日は風が強くなりそうだから、少し早く出るぞ」
「分かった」
浬の言葉に、颯は残りのご飯を食べ始めた。

天気予報が伝えるように外は徐々に風が強くなり始めた。今日は西日本でも雪が降る箇所が出てくるという。颯は厚手のニット帽を被ると、コートを着こんでマフラーと手袋を着けた。ミトンの手袋には左右に紐(ひも)が付いている。幼稚園バッグを掛けると、準備万端だ。用意する間でも、風は音を立て、ヒューヒューと吹いている。浬は自分のコートを羽織ると颯のマフラーをいつもより念入りに巻き込んだ。ニット帽も目深(まぶか)に被らせる。
「さぁ、行こうか」
「ママ、行ってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
浬は颯と手を繋ぐと部屋を出た。

マンションのエントランスから一歩 外へ出ただけで、強い風が容赦なく吹き付ける。浬は颯の身体をグッと引き寄せた。向かい風に足を取られて、なかなか前に進めない。
「パパにつかまって」
「うん」
街路樹が大きく揺れ、枝がしなってワサワサと音を立てる。いつもの10分の通園時間も、今日は倍 掛かりそうだ。浬は颯の身体を抱き抱えるようにして歩いて行った。

幼稚園に到着すると、心配した先生たちが子供たちを直ぐに迎え入れる。
「颯くん、おはよう。よく歩いてきたね」
「パパに掴(つか)まって歩いてきた」
「大変だったでしょう」
浬は風で乱れた髪を押さえながら答えた。
「颯のお迎えには、妻はタクシーで来させます」
「そうですね。妊婦さんには、この風は危ないでしょうから」
颯を幼稚園に送り届けると、浬は直ぐに七瀬に電話を掛けた。
「外は暴風だ。颯の幼稚園のお迎えには、タクシーで行くように」
「そうします。先生も気をつけて」
電話を終えた七瀬は、直ぐにタクシーの予約を入れた。

天気予報では、この風は明日の未明まで続きそうだ。台風並みに発達した低気圧が、日本列島に掛かっている。窓ガラスに目をやれば、強い風がぶつかり、ガタガタと音を立てている。どうやら、これからもっと風が強くなりそうだ。気温が下がっているのか、室内でもひんやりとして肌寒い。テレビでは強風により停電した地域のニュースが流れている。

洗濯を終えて片付けをしているうちに昼が近づいてきた。風が強いので、今朝は浬には、昼には家に帰らないようにと言っていた。だから今日のランチは自分一人の料理を作ることになる。七瀬は冷蔵庫を開けた。チーズとベーコン、卵もある。颯が飲むので、たっぷりの牛乳もある。
「パスタにしようかな」
この材料ならカルボナーラだ。生クリームの代わりに牛乳が使える。作り方は以前、浬が作ってくれた時に見て覚えている。七瀬はパスタを茹でると、オリーブオイルを熱したフライパンにベーコンと牛乳を入れた。ボールに玉子を割り入れ、素早く粉チーズを加えて混ぜ合わせる。茹で上がったパスタをフライパンに移して、更に溶き卵と粉チーズの卵液を注いで絡めていく。これでカルボナーラの出来上がりだ。それを野菜サラダと共に大きめの一皿に盛り付けた。早速、出来上がったカルボナーラを口に運ぶ。
「美味しい」
これなら浬が作ってくれたカルボナーラに劣ることはない。ゆっくりと食べるのは、一人の食事が直ぐに済まないようにだ。濃厚なカルボナーラだが、何故かパスタは美味しく食べられる。妊娠してから食事の好みも少し変わり、麺類でもこってりしたラーメンは食べたいと思わないが、パスタだけはカルボナーラやミートソース、トマトパスタは、好んで食べたいと思う。きっとお腹の子供が食べたいと思っているのだろう。七瀬はクスリと笑うと、優しくお腹を擦(さす)った。
「そんなにパスタが好き?それなら鎌倉のリストランテ・マーレに連れて行かないとね」
湘南の海を臨むリストランテ・マーレには、浬が子供の頃から親しくしている光太郎と海 夫妻が、今でも美味しいイタリア料理を作っている。二人の男の子、樫太郎と結之介は面倒見がよく、颯と同い年の末娘である渚を加えて、仲良く遊んでくれる。そこへ、お腹の子が加わったら、どんなに楽しいことだろう。奈良に赴任して一年会えないことは寂しかったが、また訪ねていくことを思うと心が弾む。

七瀬はハーブティーのパックを取り出すと、お湯を注いだ。優しいカモミールの香りが気持ちをリラックスさせる。外に目をやれば、風は一層強くなり、街路樹が大きく揺れている。早めにタクシーを予約しておいて、本当に良かった。浬に言われなければ、こんな暴風の中、幼稚園に迎えに行くのは困難を極める。マフラーを巻いて、手袋もして、厚手の暖かなコートを着ていこう。颯も今日は厚手のコートに暖かなニット帽を被っていった。いつものように浬が幼稚園まで送って行ったが、風が強くて大変だったろう。テレビではこの暴風による悪天候の、これからの予報を伝えている。どうやら広範囲に渡って被害も想定され、飛行機は多くが欠航し、電車も計画運休になることを、繰り返し告げている。山沿いでは、夜には雪が積もるようだ。平地でも雪が降るところがあるから、帰宅時には注意するようにと呼び掛けている。

七瀬は冷蔵庫を開けてみた。たっぷりの野菜とミルクやヨーグルトが入っている。ハムやベーコン、卵も揃っている。七瀬は時計に視線を移した。颯の幼稚園のお迎えには、まだ時間がある。ふと、トマト缶に目がいった。今からならトマトソースのミートボールを煮込んでも、十分間に合う。七瀬は早速取り掛かった。玉ねぎをみじん切りにして牛肉の挽き肉と牛乳、塩コショウをする。今日はパン粉の代わりにパンを小さくちぎって入れた。よくこねて、小さなボール状にする。フライパンの代わりの平鍋に、みじん切りにしたニンニクを入れてオリーブオイルで焦がさないように炒める。そこにトマト缶を注ぎ入れ、浬が嗜(たしな)んでいたイタリアの赤ワインを少々拝借して、2分ほど煮立たせる。その間にミートボールに少量の小麦粉をまぶして、トマトソースの中に投入する。あとは、味が染み込んで行くのを待つばかりだ。トマトソースがミートボールに絡み、ちょうどよい濃さになったら、塩コショウとパルミジャーノ・レッジャーノのチーズを乗せて、色合いにパセリのみじん切りを乗せれば出来上がりだ。当初は料理のレパートリーも少なかったが、今ではこんな煮込み料理も出来るようになった。

蓋(ふた)をしていてもキッチンには、トマトソースの甘酸っぱい香りが立ち込めている。これなら、寒い中を帰ってきた浬も身体が暖まることだろう。パルミジャーノ・レッジャーノのチーズも、七瀬が身籠(みごも)ってからパスタを好んで食べるようになったので、浬が買い足していたものだ。七瀬はお腹の子供に問い掛けた。
「よかったね、今夜はイタリア料理よ」
その声が聞こえたのか、お腹が動いて元気に反応する。
「美味しいチーズもあるわ。ショートパスタも食べる?」
きっと、この子が大好きなパスタとトマト、そしてチーズの食事だ。蓋(ふた)をしても余熱で、更にトマトソースとミートボールが、美味しさを増していくことだろう。時計を見ると、そろそろお迎えに向かう時間だ。七瀬は暖かく着込むと、マンションのエントランスに降りて行った。

朝に予約していたタクシーは定時の少し前にやって来た。外に出ると今更ながら、風の強さが寒さを含んでいる。行き先を告げるとタクシーはゆっくりと発車した。数分の乗車でも、強い横風に僅(わず)かにタクシーが揺れる。程なく到着した幼稚園の入り口から、颯の姿が見えた。口元が『ママだ!』と言っている。七瀬はタクシーに待ってくれるように告げると、颯を迎えに外に出た。徒歩通園の園児たちが、保護者のお迎えを待っている。颯は足早に七瀬の傍(そば)にやって来た。
「先生、さようなら」
「颯くん、お母さん、お気をつけて」
「ありがとうございます」
七瀬と颯は、折り返しタクシーに乗って家路に着いた。

「ただいま~」
元気よく帰宅した颯は玄関で、勢いよくニット帽と手袋、コートを脱ぎ捨てた。それを自分で抱えてリビングに持って行く。
「ふぅ~、ママ 凄い嵐だったね」
テレビをつけると、画面の片隅にずっと天気情報が映し出されている。
「これからもっと風が吹いて酷くなりそうよ」
颯はテレビの前に正座した。
「この丸い青いのが嵐なの?」
「そうよ、低気圧といって、大きくなって強い風や雨や雪を降らせるの」
「ふぅん」
颯は早速、スケッチブックを持ち出して、天気図を書き写した。
「これが嵐か」
「奈良はここだから、もうすぐ嵐が強くなるわ」
「うひゃ~」
颯は大袈裟に両手を上げた。
「明日、幼稚園に行けるかな」
「颯、明日は土曜日だから、幼稚園はお休み」
「あっ、そうだった。パパの病院もお休みだ 」
ホッとした颯は鼻をクンクンさせた。
「ママ、凄く美味しそうな匂いがするよ」
「夜のご飯に、トマトソースのミートボールを作ったの」
「見せて、見せて」
颯はキッチンに椅子を持って行ってよじ登ると、トマトソースのミートボールを覗(のぞ)き込んだ。
「わぁ~」
煮込んで置いたせいか、さっきより美味しい香りが増している。
「パパが帰ってきたら食べようね」
「パパ、早く帰って来ないかなぁ」
時計は3時を回ったところだ。今日はタクシーで迎えに行ったので、いつもより少し早い帰宅になった。
「おやつ、食べる?」
「食べる」
「パンケーキでいい?」
「うん、僕もパンケーキ焼く」
七瀬はホットケーキミックスをボールに移すと、牛乳と卵を入れて混ぜ合わせた。ちょうどよい頃合いで、少量をホットプレートに落としていく。それを真似た颯は次々とミニサイズのパンケーキを並べていった。
少し経つとプクリと膨らんで小さな泡がパチンと弾ける。
「ママ、もうひっくり返してもいい?」
「いいけど、出来る?」
「僕一人で出来る」
颯は器用にパンケーキを裏返した。
そうして焼きたてのミニサイズのパンケーキがたくさん出来上った。颯は自分で焼いたパンケーキを、美味しそうに頬張った。
「美味しいね、もっと食べていい?」
「牛乳も飲みながらね」
小さな手が幾つもパンケーキの山に伸びる。
「食べ過ぎると夜ご飯のミートボールが食べられなくなるわよ」
七瀬にそう言われて、颯はちょうどよいところで、パンケーキを食べ終えた。

窓をちゃんと閉めているはずなのに、カーテンが僅(わず)かに揺れている。テレビでは相変わらず今後の低気圧の進路を予想している。暴風警報が発令され、海上では波浪警報も出ているようだ。外の嵐は一段と激しさを増して、視界が雲ってきた。カーテンを開けて窓の外を見た颯は、びっくりするような表情を見せた。
「ママ、雪が降ってる。凄い、雪」
覗(のぞ)いてみた七瀬も目を見張った。
「吹雪になってる」
視界は悪天候で、真っ白な雪が横殴りに吹き荒れている。
「パパ、大丈夫かな」
心配になった二人は時計に目をやった。病院の勤務時間はまだ終わっていない。テレビではこれから夜にかけて、一層激しくなる吹雪の状況を知らせている。そのうち、停電している地域が増したと報道された。決して少ない数ではない。それを見た七瀬はリビングの引き出しから懐中電灯とキャンドルを取り出した。
「ママ、何してるの?」
「停電になったら大変だから、用意しておこうと思って」
テーブルの上に、停電に備えて色々なものが並んでいく。
「そう言えばカセットコンロがあったような」
七瀬はキッチンの棚からカセットコンロを取り出した。
「これ、どうするの?」
「停電したら、これでミートボールの鍋を温めようね」
「ふぅん」
その横に七瀬は手際よく食器を並べた。
「停電したら大変だから、用意していようね」
「僕もお手伝いする」
颯はランチョンマットを広げると、フォークとスプーンを置いた。もちろん自分のものは子供用だ。そうしている間にも、外は吹雪で大荒れになっていく。七瀬はふと時計に視線を移した。浬が帰宅するまで、まだ小一時間ある。
「先生、帰る時、大丈夫かしら」
そう呟(つぶや)いた時だった。玄関のドアが開く音がして、七瀬と颯は顔を見合わせた。直ぐ様、颯が走り出す。
「パパ?」
そこには雪まみれの浬が立っていた。

頭のてっぺんから爪先まで、雪に覆われている。浬はコートにこびりついた雪を払うと、濡れた頭を振った。
「パパ、大丈夫?雪だるまみたい」
「驚かせてすまん」
七瀬は慌ててタオルを取ってきた。
「吹雪の中、歩いて来たの?」
「あぁ、病院も早めに切り上げた」
「とにかく拭いて。風邪を引いたら大変」
そう言った直ぐ後に、浬は大きなくしゃみをした。
「冷えたんでしょう。お風呂に入ったら」
七瀬は濡れたコートを受け取った。
「颯も入るか?」
「僕もお風呂に入る」

七瀬はその間に夕食の用意をした。トマトソースのミートボールの鍋を中火で暖める。ショートパスタのペンネが茹で上がると、オリーブオイルを入れたフライパンで、軽く炒める。火を止める前にパセリのみじん切りを散らした。颯は好き嫌いなくパセリも平気で食べる。サラダとパスタをお皿に盛り付けていると、お風呂で暖まった浬と颯がやって来た。直ぐに部屋着に着替えてドライヤーをかけている。
「パパ、今日の夕御飯はトマトソースのミートボールだよ」
「それは旨そうだ」
三人はテーブルに着いた。

七瀬はキャンドルに火を着けた。
「今日は何かあったのか」
浬の問い掛けに答えたのは颯だった。
「嵐で停電になるといけないから、ママがキャンドルを用意したんだ」
「そうか、停電か」
「急な嵐になったから、停電するところも増えるみたい」
「パパ、早く帰ってきて良かったね」
「電線にも雪が付着していた。このあたりでも停電になるかも知れないな」
「じゃあ、早く食べなくちゃ」
颯はそう言うとトマトスープとミートボールを口に運んだ。
「おいしいね。僕、このミートボール大好き」
颯はおかわりをして、いっぱい食べた。

テレビでは暴風雪の予報をテロップで流している。浬はそれを見ると七瀬に早く入浴するように促(うなが)した。
「停電するかも知れないから、早く入ってこいよ」
「食器を洗ってから」
「俺がやる」
「僕もパパとやる」
「でも…」
浬はトマトソースが入った平鍋を指差した。
「残ったトマトソースは器に移しておけばいいんだろう」
浬は手際よくトマトソースを移すとラップを掛けた。
「明日の朝、オムレツにでも掛けられるな」
「わぁ、明日はオムレツだ」
「オムレツ、好きか」
「パパが作るオムレツ、大好き」
「じゃあ、パパが作ろう」
「やったぁ~」
七瀬は浬と颯に急(せ)かされ、バスルームに向かった。

いつものように、浬が七瀬の濡れた髪にドライヤーをかける。パジャマに着替えた颯は、今夜は早めの歯磨きだ。そうしてちょうど七瀬の髪が乾ききった時だった。急に何の前触れもなく、テレビ画面が消えた。辺りは真っ暗と思いきや、テーブルに置いたキャンドルが明るく灯っている。
「消えたな」
「消えたね」
「停電?」
「そうみたいだな」
「僕、初めて」
颯は浬の膝(ひざ)の上に乗った。
「怖がらなくても大丈夫だぞ」
「キャンドルが点いてるから怖くないけど、ちょっとビックリした」
浬は颯を抱いたまま、窓辺に寄るとカーテンの隙間から外を見た。いつもは明るい街灯も、今は消えている。街の灯が点っているのは、ずいぶんと向こうのようだ。
「この一帯で停電だな」
風が唸(うな)りを上げて、雪を舞い上げる。颯は耳を澄ました。
「動物が吠えてるみたいだ」
「鋭い指摘だ」
浬はクスクス笑うと颯に応えた。
「強い風を伴う雪が垣根を通して笛のように音を立てているんだ。こんな音を昔の日本では、虎落笛(もがりぶえ)と呼んだんだ」
「笛?」
「そうだ、虎が落ちる笛と書く」
それを聞いた颯は面白そうに笑い出した。
「ママ、可笑しいね。虎が落っこちた笛だって」
「颯ったら、怖くないの?」
「怖くない」
浬と七瀬は顔を見合わせると笑い出した。
「今夜は暗いから本は読み聞かせ出来ないな」
「いいよ、僕は虎落笛を聞きながら眠るから」
ヒューヒューという咆哮(ほうこう)も颯は楽しんでいる。
「一人で眠れるか?」
「大丈夫」
「怖くなったらパパとママの所に来ていいぞ」
「多分、行かないよ」
颯は七瀬に問い掛けた。
「ママ、赤ちゃんが怖がったら直ぐにパパに言ってね」
「分かったわ、ありがとう」
外は奈良には珍しい猛吹雪だ。絶え間なく虎落笛の咆哮が続いている。鼻歌交じりの颯は、早々に子供部屋にこもった。浬は面白そうに七瀬に問い掛けた。
「怖がるかと思ったら、面白がるとは」
「度胸がいいのは先生に似たのかしら」
「半分はお前だろう」
「私?」
「何年か後に俺を追ってやって来た」
七瀬は浬の隣に来ると肩に寄り掛かった。
「先生を追い掛けて来て、良かった」
「大胆不敵な奴め」
二人はキャンドルの揺らぎに目を移した。

外は吹雪だ。虎落笛も絶え間なく聞こえる。それでも愛する人と、こうしているだけで、安心していられる。きっと颯もそうなのだろう。
「今夜は虎落笛を聞きながら眠ろう」
浬は愛しげに七瀬を抱き寄せた。

続く…






風月☆雪音