恋はつづくよどこまでも二次創作小説【あをによし:第5話.陽炎の向こう】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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毎日着物で、ランチと色々なワインを楽しんでいます。イタリアワイン、サッカー、時代劇、武侠アクションが大好きです。佐藤健さんのファンで、恋はつづくよどこまでもの二次創作小説制作中。ペ・ヨンジュンさんの韓国ドラマ二次創作小説多々有り。お気軽にどうぞ。

【あをによし:第5話.陽炎の向こう】

翌朝、浬(かいり)は心地よい目覚めを経験した。昨日は長旅の後に買い物、引っ越し荷物の片付けと、慌ただしく疲労を感じる一日だったが、注文した寝具が、ことのほか寝心地が良く、ぐっすりと熟睡できたようだ。時計を見ると、起きるのには、だいぶ早い時刻だ。職場の大学病院は直ぐそばで、徒歩15分といったところだ。ゆっくり家を出ても十分に間に合う。隣には愛する妻の七瀬が、スヤスヤと寝息を立てて眠っている。さて、昨晩は親子三人、息子の颯(はやて)を真ん中に、川の字になって眠ったはずだが、当の颯の姿は何処にもいない。ふと、耳を澄ますと、リビングからテレビの音が、微かに聞こえてきた。そっとドアを開けて覗(のぞ)いてみると、颯が子供向け番組を見ているところだった。気配に振り向いた颯は、機嫌の良い顔で挨拶を返した。
「パパ、おはよう」
「おはよう」
ソファーに座った浬は颯を抱き上げると、テレビに目を向けた。見覚えのあるキャラクターが出ている。
「面白いか?」
「うん、面白い」
「再放送か。パパが子供の頃に見てたやつだ」
「ふぅん」
「戦隊物、好きか?」
「カッコいい、変身するんだ」
「パパもよく見てた」
息子と早朝から懐かしい再放送を見るのも悪くない。そうして30分経つと、父と子は仲良く並んで歯磨きをした。颯の背の高さに合わせて、早くも踏み台が備わっている。二人の気配に、どうやら七瀬も起きて来たようだった。
「おはよう、二人とも早いのね」
「僕が一番だよ」
颯は元気に答えると、踏み台を降りて甘えるように七瀬に抱きついた。
「ママ、今日の朝ごはんは何?」
「クロワッサンにハムエッグとサラダはどう?」
「それがいい」
朝ごはんが出来るまでの間、浬と颯は和装の布団を二人で畳むことにした。

朝の柔らかな陽射しが、カーテン越しに影を作っている。香ばしい湯気と共に立ち上がるコーヒーの隣にたっぷり注がれるのは、颯用のミルクだ。サクサクと軽やかなクロワッサンは、藤原朔夜から教わった、美味しいパン屋の人気商品だという。小振りのクロワッサンを二個食べた颯は、もう一個食べたいと、七瀬にせがんだ。
「美味しいから、もっと食べる」
「ミルクは?」
「飲む」
パンの欠片(かけら)が付いた颯の口元を拭きながら、浬は上機嫌のまま満面の笑みを浮かべた。
「ぐっすり眠って早起きしたから、お腹が空いたんだろう」
「今日からパパは病院だし、僕も新しい幼稚園に行くからね」
「そうだな」
「幼稚園、楽しいかな」
「慣れるまで、ゆっくりやればいい」
「分かった」
似た者同士の父と息子は、同じ仕草で、ウンウンと頷(うなず)いた。

浬が奈良総合大学病院へ赴(おもむ)くと、既にナースと同僚の医師たちが集まっていた。医長は、にこやかに浬を出迎えた。
「こちらが東京の日浦総合病院から来ていただいた天堂先生です」
「天堂浬です。宜(よろ)しくお願いします」
「天堂先生には循環器内科を受けもっていただきます」
そこへ遅れてきた女医が、飛び込んで来た。
「お、遅くなりました!」
「高木先生、珍しい。遅刻ですか」
「大丈夫です。まだ時間はありますよ」
医長の問い掛けに同僚の医師の一人が、それをフォローする。
「昨晩もまた、病院へ泊まり込みでしたか」
「帰りそびれてしまって」
その姿に目を向けると、髪はクシャクシャ、掛けた眼鏡も曇って、白衣もヨレヨレだ。ナースたちからクスクスと失笑が起きる中、医長は心配そうに声を掛けた。
「高木先生、今日から天堂先生が循環器内科に来てくれますから、少しは忙しさも緩和されますよ」
浬は軽く会釈をした。
「天堂浬です」
「高木冴子です。すみません、こんな格好で」
「私にお手伝い出来ることがあれば、いつでもおっしゃってください」
「ありがとうございます」
そこへ看護師長が声を掛けた。
「とにかく高木先生は、シャワーを浴びて身なりを整えて下さい。そのままでは、患者さんの前には出られませんよ」
「分かりました」
そそくさとシャワー室に走る冴子の後に、ホッとしたような溜め息が漏れた。見返す浬に医長やナースたちが、納得したように頷(うなず)いている。医長は浬に声を掛けた。
「高木先生は、とにかく熱心な方なんですよ。いや、頑張り過ぎるというか。それで、天堂先生に来ていただいた訳です」
「なるほど」

暫(しばら)くすると冴子がシャワー室から戻ってきた。さっぱりとした姿は、先ほどとは見違えるような麗しさだ。ナースたちが、からかうように浬に話し掛けた。
「天堂先生、驚いたでしょう」
「あぁ、いや」
「遠慮しなくていいですよ」
「高木先生は、元は素晴らしい美女なんです」
「患者さんにも人気なんですよ」
「ただね、本人に自覚が無くて、いつの間にか、髪はクシャクシャ、ヨレヨレ」
そこへ看護師長が声を掛けた。
「それでも高木先生は優秀な医師です。さぁ、皆、お喋りはもうおしまい」
仕事に散ったナースを後に、高木冴子と天堂浬も引き継ぎに向かった。

内科担当医の準備室は廊下の向こうにあった。長い廊下の両側は中庭を挟んでガラス張りになっている。大学の医学部に連なる庭には樹木が生い茂り、野鳥が飛び交う風景が広がっている。朝日を浴びた木々は木漏れ日を作り、長くなり始めた影が廊下に連なっていく。不揃いに揺れる影は、時折 日溜まりを作り、進む足元を照らしていく。高木冴子の僅(わず)かに後ろを歩く天堂浬の足音が規則正しく響くのは、新調した靴のせいかも知れない。シャワーを浴びて、まだ半分しか乾いていない髪が、肩の下で小気味良く揺れている。新しく着替えた白衣は、真っ直ぐに折り目がついていて、初対面の時に見たヨレヨレの姿とは大違いだ。そんな冴子は歩きながら、申し訳なさそうに浬に話し掛けた。
「あの…天堂先生、すみません。実は私、お腹が空いていまして」
「朝食はまだでしたか」
「はい、ディスクに突っ伏して寝てしまって、先ほど目が覚めたもので」
「何も食べていない」
「そうなんです」
「それでは売店で何か買いましょうか」
「すみません、ちょっと待っていてください」
冴子は廊下を曲がった先にある学食へ浬を誘った。
「ここは大学の研究室の面々が来る学食でして、なかなか美味しいんですよ」
冴子はそういうと、食券機からA定食を選んだ。
「天堂先生は何か召し上がりますか」
「僕はコーヒーで」
ニコニコと笑う冴子は、面白いことを教えてくれた。
「実は食券機では売っていない美味しい物が買えるんです」
そうして100円硬貨を手にすると、カウンターで食券と共に差し出した。
「今日はチョココロネ、ありますか」
「ありますよ、一個でいいの?」
「はい」
A定食を待っているトレイに、小ぶりのチョココロネが乗せられた。
「なかなか美味しいパンで、100円硬貨と引き換えで買えます」
「そうなんですか」
「昭和の懐かしいパンを売っていましてね。他にあんパンやクリームパン、メロンパンや焼きそばパンがあります」
途端に浬の目元がピクリと動いた。
「クリームパンがあるんですか」
「昔からのクリームが美味しいですよ」
浬はポケットから小銭入れを取り出すと、中から100円硬貨を3枚添えてカウンターに差し出した。
「クリームパンを3個お願いします」
「3種類じゃなく?」
「はい、クリームパンで」
昔ながらの白い紙袋に入ったクリームパンを持って、浬は高木冴子と席に着いた。

A定食は、卵焼きとかつお節が掛かったお浸し、がんもどきの煮物と野菜サラダが盛ってある。熱々の湯気を上げた味噌汁とご飯が食欲をそそる。
「間に合うように食べますので」
冴子はそう言うと、急いで卵焼きを口にした。外来の診察時刻までには、まだ時間がある。浬はコーヒーを飲みながら、紙袋に入ったクリームパンを袋から出すと、一口、口に含んだ。懐かしいクリームパンの味が、口の中に広がる。
「このクリームパン、確かに美味しいですね」
冴子は相変わらず口いっぱいの料理をモグモグと動かしながら、満足そうに頷(うなず)いた。
「ところで天堂先生はクリームパンを3個も食べるんですか」
「大好物ですが、3個は食べません。後の2個は妻と息子へのお土産です」
「優しいんですね。そう言えば奥さんと息子さんも一緒に奈良にいらしていましたね」
「えぇ、今日は妻が息子の颯を連れて、幼稚園の編入手続きに行っているかと」
「そうでしたか」
冴子は途端に目を伏せて、悄気(しょげ)返った。
「昨日は息子の佑都がお邪魔してしまって、ご迷惑をお掛けしました」
「高木先生がお忙しかったのですから、仕方がありません」
「佑都とは、夜遅くに電話で話しただけです」
「まだ、会われていないんですね」
「すみません、佑都にもマンションの部屋を貸したことを話していませんでした。とんだ失態です」
目を潤ませる冴子を元気づけるように、浬は明るく言葉を返した。
「今日から循環器内科には私が赴任しました。高木先生は今夜は帰って、ゆっくりして下さい」
「ありがとうございます」
冴子は残りのおかずを、急いで口に含んだ。二人は席を立つと、食堂を後にした。

廊下には、来たときより濃い光の影が揺れている。木々の影が作る陽炎(かげろう)の向こうに、新しい時間が待っている。浬の足取りは、軽やかだった。

初日の仕事を終えた浬は、内科医準備室を出るとき、高木冴子に声を掛けた。
「今日は一日、ご苦労様でした。高木先生も、今日はちゃんと帰ってください」
「そうですね、私も何年かぶりに息子の顔を見ないと」
「佑都君には、息子の英語のレッスンをお願いしてあります」
「そうでしたか。こちらこそ、よろしくお願いします」
冴子は浬が手にしたクリームパンの紙袋に目をやった。
「私も、お土産 買えば良かった」
「佑都君の夏休みはまだまだ長いですよ。これから幾らでも美味しいお土産を買っていけます」
「そうですね」
冴子は嬉しそうに微笑むと、開いていた本を閉じた。
「私も今日は早く帰ろうかな」
「そうしてください」
冴子は照れたように苦笑した。
「こんな早い時間に帰って、朔夜さん、驚くかも」
「じゃあ、待っています。途中まで一緒に帰りましょう」
浬は高木冴子と肩を並べて歩き出した。年齢も近いせいだろうか。会話もスムーズだ。大学病院を出てから左右に分かれるまで、さほど時間もなかったが、話題は尽きなかった。浬は心地よく家路に付いた。

帰宅すると颯は待ちきれず浬に飛び付いた。
「パパ、おかえりなさい!」
「ただいま」
「ママと新しい幼稚園に行ってきたよ」
「どうだった」
「すごく面白そう」
「それは良かった」
颯を抱き上げた浬は、そのまま迎えた七瀬にキスをした。
「ただいま、七瀬」
「おかえりなさい、先生」
颯はすかさず指摘した。
「パパ、ちゃんと手を洗ってからだよ」
「確かに」
「今日、幼稚園の先生から守るように言われたんだ。お家の人にも言いましょうって」
「なるほど」
浬は快く納得すると、手洗いに向かった。颯は浬がテーブルに置いていった白い紙袋に興味津々だ。
「ママ、これなんだと思う?」
「さぁ、何かしら」
やって来た浬は紙袋を手に取ると、中からクリームパンを取り出した。
「大学病院の食堂で売っているクリームパンだ。二人にお土産だよ」
「わ~い、食べていい?」
「夕飯前だが、まぁ、小さいからいいだろう」
美味しそうに頬張る颯は満面の笑みで答えた。
「幸せだぁ~」
「颯ったら」
クスクス笑う七瀬も、嬉しそうにクリームパンを頬張っている。
「先生、早速こちらでも美味しいクリームパンを見つけましたね」
「あぁ、懐かしい味だ」
「鎌倉の的屋さんのカスタードクリーム饅頭と、クリームが似ている感じ」
「そうだな」
颯ではないが、これだけで二人がこんなにも喜んでくれるのは、この上なく幸せだ。食卓には七瀬の心尽くしの夕飯が並ぶ。
「大学病院はどうでした?」
「滞りなく終わった。初日としては良いだろう」
「良かったです」
「僕も幼稚園でたくさん遊んだ。お日様がいっぱい当たって、皆で影踏みしたよ」
「本当に陽射しがいっぱいなの。校庭も広いけれど、木々があって、木陰のベンチで休むことも出来るわ」
七瀬は楽しそうに話した。
「今日は私も大学の学食でお昼を食べたけど、美味しかった」
「何処の学食だ?」
「教育学部の学食」
「俺は医学部の研究員がよく来る学食だった」
二人はクスクス笑いだした。
「学生に戻ったみたい」
ふと、浬は思い付いたように七瀬に話した。
「颯の幼稚園、俺が送ろうか」
「先生が?」
「颯は少し早く出ることになるが、同じ大学の敷地にあるんだ。一緒に連れて行こう」
七瀬は嬉しそうに頷(うなず)いた。
「颯、明日からパパと一緒に幼稚園に行くぞ」
「わ~い、パパと一緒だ」
明日も颯はお日様の下で影踏みをするだろうか。大学病院の廊下にも、あの陽炎(かげろう)が、ゆらゆら揺れているだろうか。食卓には、温かな湯気が上がっている。浬は美味しそうに七瀬の料理を口に運んだ。


第6話に続く…





風月☆雪音