そこでちょっと疑問がわきまして、紗綾形はこの時代にあったんだっけ?と思いました。
紗綾形は万の字、卍から出来た形でお寺のマークと同じように仏教を表すということで、インドから中国へ伝わり、中国で紗綾形と言われるようになったのは明の時代で(以前は中国でも違う名称で呼ばれていたとか)、その紗綾が着物の柄として日本に出てくるのは、安土桃山時代だと言われていました。
そうなりますと織田信長と豊臣秀吉の時代で、足利将軍家は既に滅びていることになります。ではこの時代に紗綾形の狩衣を着ているのは、あり得るのだろうか。
まあ昔のことです微妙な時期のズレ、もしくは重複している期間があるかもしれません。
私はどうしても時代劇ですと着物の柄や模様色に目がいってしまうので、そういう小さな疑問を抱いてしまいました。
まあ京都にはいち早く紗綾形が入っていて、織物として織られていたかも知れません。
ちなみに明智十兵衛を演じる長谷川博己さんが着ている着物の柄は立涌ですが、毎回同じ立涌の着物なので一枚しか持っていないのかなぁ。いやいくらなんでも1枚ってことはないだろう。もっといろんなものを見たいなと思います。
せっかく室町時代は日本の時代の中で一番カラフルで鮮やかな色柄の着物だったと言われているので、毎回楽しみにしています。