改:第717話.愛の目覚め【連枝の行方.第二部⑦】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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第717話.愛の目覚め

【連枝の行方.第二部『世界は愛に満ちている』⑦】

ユジンはミヒに付き添いを断られても容易に受け入れなかった。
「あとはこちらで手配するから、あなたはお帰りなさい」
「ジュンサンのお母様、どうか私に看病をさせて下さい」
「あなただって仕事があるでしょう」
「いいえ、ジュンサンが目を覚ますまで傍(そば)にいます。いさせて下さい」
「もう十分よ」

そんな会話の最中、看護師に呼ばれた医師が慌ててジュンサンの病室へ入って行った。ユジンとミヒが駆けつけると、ジュンサンはベッドの上で手足をバタつかせ暴れていた。苦し気に呻(うめ)く姿は二人の胸を締め付けた。
「ジュンサン、母さんよ。どうしたの、苦しいの?」
「ジュンサン、ジュンサン」
ユジンの震える声に呼応するように、彼はまた静かな眠りに落ちた。

「先生、息子は気がついたのでしょう」
「意識を取り戻した訳ではありません」
「そんな」
医師が去るとミヒは力無く椅子に座り込んだ。
「いつまで続くのかしら」
ミヒは頭を抱え込んだ。
「もうたくさんよ」
「お母様」
「事故の時だってこんな風に意識が戻らなくて、目を覚ましたら何も覚えていなくて。自分が誰かも分からなかった」
「ジュンサンは名前を忘れたのですか」
「えぇ、そうよ。息子は元々、春川へ行く予定は無かったわ。ニューヨークへ戻るはずだったの」
ミヒはユジンを見つめた。
「帰ると言ったわ。母さん、ニューヨークへ帰るよって。空港へ向かっていたのに途中で何かを思い出してタクシーを飛び降りた。誰かと会う約束をしていたみたい。間に合わないから空港から電話するように言ったのに」
ユジンは震える口元を押さえた。
「お母様、今まで通り呼び掛けを続けさせて下さい」
「ユジンさん」
「ジュンサンが目覚めるまで、やめません」
そう言うのが精一杯だった。帰り際、ミヒはユジンに告げた。
「ジュンサンの事、お願いするわ」
それが本心でなのは分かっていた。

ミヒが去ると母がやって来た。叱責の言葉にもユジンは涙を流し従わなかった。
「世界中の人が私を嫌いになってもいい。私一人になってもジュンサンの傍(そば)にいるわ」
項(うな)垂れるユジンの肩にそっと手を置いたのはイ・テワンだった。
「ユジン、君は一人ではないよ」
「あの…パパのお葬式にいらしていた」
「そうだ。私がジュンサンの父親になった」

テワンは手作りの詩集を持参していた。
「これは私の息子と孫娘がジュンサンの為にと選んでくれたものだ」
「ジュンサンのお兄さん」
「二人は生まれた時から私の元で一緒に育ったんだよ。双子のようにね」
テワンは寂しげな表情を浮かべた。
「だが様々な試練が二人を襲った。彼の記憶の中に私の息子はいなくなった」
「おじ様」
「ジュンサンが目を覚ましても、私の息子の事は話さないで欲しい」
「分かりました。話しません」
何か事情があるのだと、その時はそう思った。

テワンは詩集を開いた。
「アメリカの詩人エミリー・ディキンソンの詩だ。韓国語に訳してあるから毎日読んであげるといい」
それは希望に満ちた美しい詩だった。

『どんなときでもうららかな空もどこかにあるし、

たとえそこが暗闇でも光はどこかにある。

枯れた森など忘れて、オースティン、寂しい野原など忘れて。

ここは、いつまでも緑のままの小さな森。

ここは、霜の降りたことのない明るい庭。

色褪せぬ花に囲まれて蜜蜂の羽音が聞こえます。

どうか、お兄さん、私の庭にいらしてください』
ユジンは言った。
「オースティンはエミリーのお兄さんなんですね」

それから毎日、ユジンは熱心にジュンサンに詩を読み聞かせた。

『春の間は鳥が春に惹かれて訪れ私のために歌う。

やがて夏が近づきやがて薔薇が顔を見せるとコマ鳥は行ってしまった。

でも泣き言は言わない。

なぜなら知っているから。

飛んで行ってしまっても海の向こうで新しいメロディを覚えて戻って来てくれることを。

確かなのはよりしっかりした手。

より正しい地をつかんでいるのは私の両手。

そして今は離れているけれど、私は疑う心に言い聞かせる。

それはあなたの両手。

穏やかさの増す輝きの中で、黄金色の増す光の中で私は理解した。

かすかな疑いと恐れと、かすかな違和感がここからなくなったのを。

それからは泣き言は言わない。

なぜなら知っているから。

私の鳥は飛び去っても遠くの木の上で輝くメロディを覚えて、戻って来ることを』

ユジンは涙を拭(ぬぐ)い、また読み始めた。

『朝は以前より穏やかになり、木の実は茶色く色づいて、ベリー果実の頬はふくらみ薔薇は町を去った。

楓(かえで)は派手なスカーフを掛け野原は真紅のガウンをまとう。

流行に乗り遅れないように私も小さな宝石を身につけよう』

「これ、チェリンみたい。ジュンサンもそう思うでしょう」

『ほんの一日二日の間まごついていた。

戸惑っていた。

恐れていたのではない。

思いがけない少女に庭で出会うことに。

少女が手招きすると木々が芽吹き、少女がうなずくと全てが始まる。

確かにこんな国を私は訪れたことがない』

「あなたはこんな女の子に会った事があるの?」

『彼女は木の下で眠っています。

覚えているのは私だけ。

私が音を立てず揺りかごに触れると、彼女は足取りに気づいて深紅の衣服を身につけて目を開きます』

「私たち、初めて会ったのはバスの中だったね」

ユジンは堪(こら)えきれず席を立った。その背中に彼の声が響いた。
「ユジナ」

目覚めたジュンサンは幾日かすると、次のページの詩を読んだ。

『宝石を手にして私は眠った。

その日は暖かく風も普通で私はいった。

「これなら大丈夫」

目を覚まして正直な手を叱った。

宝石は消えていた。

今はただ紫水晶(アメジスト)の思い出だけが私の全て』

参考:対訳ディキンソン詩集アメリカ詩人選(岩波文庫)

次回:第718話.スミレ

(風月)