改:第714話.ユジナ【連枝の行方.第二部⑦】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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第714話.ユジナ

【連枝の行方.第二部『世界は愛に満ちている』⑦】

「ジュンサン、ジュンサン…」
嗚咽(おえつ)は彼女の呼吸を奪った。ジュンサンは崩れ落ちたユジンの身体を抱き留めた。
「大丈夫か」
頷(うなず)くユジンの瞳は涙を溜(た)めていた。息も絶え絶えに彼女は言った。
「ごめんなさい…気がつかなくて…ごめんなさい、ジュンサン」
「分かった。話さなくていいから」
「もう何処へも行かないで」
「安心して。そばにいるから」
そう言って包み込むように抱きしめた背中に出発便のアナウンスが流れた。
「只今よりニューヨーク行きの搭乗手続きを開始致します」
彼の目が幾度か瞬(まばた)きを繰り返した。右手がチケットに届く前にユジンは叫んだ。
「行かないで!」
「僕はもう十分だ。君がジュンサンと分かってくれただけで、それでいいんだよ」
「私を置いて行くの?あなたに会いたくてずっと待っていたのよ」
ユジンは止めどなく流れる涙を拭(ぬぐ)う事もなく言い続けた。
「私がどんな気持ちで過ごしてきたか分かる?二度と会えないと思っていたのに、こうして会えたのよ。それなのにまた行ってしまうなんて…酷いわ。酷いわ、ジュンサン」
「ユジナ」
ジュンサンは涙ながらにユジンを抱きしめた。
「ごめん、待たせて、ごめん」

ユジンは抱きしめていた手をほどくと、ジュンサンの頬に手を触れた。
「幻じゃないわよね。私は夢を見てるんじゃない。涙はちゃんと冷たいもの」
ジュンサンは静かに頷(うなず)いた。思い出したのは酔ったユジンがホテルの部屋で僕をジュンサンと言ったことだった。あの時、ユジンは本当に悲しそうに泣いていた。泣きながら何度も僕をジュンサンと呼び続けた。そんな彼女を僕は思いきり詰(なじ)り、冷たく突き放した。どんなに悲しく辛かったことだろう。そんな彼女を置いてニューヨーク行きの飛行機に乗るなんて僕は出来ない。
「行こう」
「何処へ?」
ユジンは不安げな目で僕を見上げた。
「また何処かへ行くの?」
「少し休もう」
「飛行機には?ニューヨークへは行かないわよね」
「君を置いては行けない」
「本当?」
「あぁ、飛行機には乗らない」
ジュンサンはユジンを連れて空港をあとにした。

ソウルへ舞い戻ったジュンサンは今まで過ごしたホテルの部屋にいた。ユジンは子供のように泣きじゃくり、ただジュンサンの名前を呼び、握った手を離さなかった。僕は彼女の話を聞いているしかなかった。そうして何一つ思い出せない自分を痛感した。ソウル科学高校の友人たちと会っても、これほど悲しくはなかった。祖父母の家でジュンサンの部屋を見ても、こんなにも辛くはなかった。ただ春川の家でカセットテープを聞いた時の、苦しいほどの悲しみと同じものが心に広がっていた。ユジンとの思い出を僕は何一つ覚えていない。
「ジュンサン、覚えてる?」
「ごめん」
そう言って首を横に振る毎(ごと)にユジンはどんなに寂しい思いをするのだろう。それは彼女を今まで以上に苦しめる事になるのではないか。

ジュンサンは泣き疲れたユジンを寝かしつけた。彼女は横になってもジュンサンの手を離さなかった。時折、目を開けては繋いでいた手を確めた。
「ジュンサン」
「うん?」
「ジュンサン」
ユジンは彼の名を呼ぶとニッコリと笑った。
「嬉しい。こうしてまた名前を呼べるなんて」
「何度でも呼んで」
ジュンサンは握っていた手に力を込めた。
「疲れただろう、眠って。僕はここにいるから」
「うん」
それでもユジンは暫(しば)しの間、ジュンサンを見つめていた。
「何だ、寝ないのか」
「だって、見ていたいんだもの」
「遅刻大魔王のくせに、いつからそんなに寝つきが悪くなったんだ」
「思い出したの?」
彼は首を振ると寂しげに笑った。
「誰に聞いたんだっけ。あぁ、ヨングクだったかな」
「ヨングクったら」
ユジンは笑いながら顔をしかめた。
「一つ聞きたい。僕は君に靴を履かせた事があったかな」
「えっ、覚えているの?」
「錯覚かも知れない。さっき空港で小さな女の子の靴が脱げたから、それを履かせた。その時なんとなく頭に浮かんだんだ」
「それは…」
「何かあったの?」
「後で教えてあげる」
「何だろうな。もしかして僕たちのファースト・キスだったりして」
「違うわ、それじゃない。ただ凄くドキドキしただけ」
ユジンは恥ずかしそうに笑うと布団を引き上げ顔を隠した。目だけがこちらを覗(のぞ)いている。あどけない表情はまるで少女のようだ。ジュンサンは思わずからかいの言葉をかけた。
「あぁ、思い出したぞ。この前、チェリンのブティックで会った時だ。君はウェディングドレスを着ていて上手く靴が履けなかった。あの時、僕が靴を履かせてあげた。な~んだ、それだったのか」
「違うったら、それじゃない」
ユジンは顔を歪(ゆが)めて泣き出した。
「茶化さないで。ジュンサンと私の大切な思い出なのよ」
「ごめん」

ユジンは眠りについた。彼女の薬指には指輪がある。サンヒョクとの婚約指輪だ。彼女が思い出を話す度、僕はこうしてユジンを悲しませるのだろう。サンヒョクはユジンの悲しみの10年を支えてきた。その前もこれからもユジンはサンヒョクと思い出を語ることが出来る。僕の10年は君を思わない10年だった。僕が『ユジナ』と君を呼ぶとき、彼女が思い出すのは過去のカン・ジュンサンの姿だ。その姿を僕は知らない。ユジンが呼ぶ『ジュンサン』は今の僕ではない。

ジュンサンはユジンへ手紙をしたためた。イ・ミニョンを愛していると言った彼女。そう、僕はもうジュンサンでもミニョンでもないのだ。ユジンの元を去ろう。ユジンの幸せを願うなら。

ユジンはそれを許さなかった。ユジンはジュンサンの後を追った。

次回:第715話.天と地と

(風月)