改:第710話.鳴らせなかったベル【連枝の行方.第二部⑦】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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毎日着物で、ランチと色々なワインを楽しんでいます。イタリアワイン、サッカー、時代劇、武侠アクションが大好きです。佐藤健さんのファンで、恋はつづくよどこまでもの二次創作小説制作中。ペ・ヨンジュンさんの韓国ドラマ二次創作小説多々有り。お気軽にどうぞ。

第710話.鳴らせなかったベル

【連枝の行方.第二部『世界は愛に満ちている』⑦】

テーブルにはヘジが腕を振るった料理が幾つも並んでいた。
「さぁ、ジュンサン。お食べなさい」
「こんなにいっぱい」
「全部、あなたが好きだった料理よ」
「僕が好きだった料理…」
潤んだ瞳は思い出せない記憶を探っていた。ジュンサンはテンジャンチゲに手を伸ばした。掬(すく)い上げたスッカラ(スプーン)から熱々の湯気が上がっている。
「熱いわよ。気をつけて」
「はい」
「どう?」
「美味しいです。母さんのと同じだ」
「よかったわ」
「向こうでもよく食べるのか」
「たまに食べますが、テンジャンチゲは久しぶりです」
「ミヒは作らないの?」
「母さんは忙しいから。時々ウンミンが作ってくれます」

ジュンサンはケランチム(茶碗蒸し)を口にした。
「ウンミンのとは違う」
「これが我が家のケランチムよ」
「濃厚ですね。僕はフワフワのケランチムしか食べた事がありません」
ジュンサンはこのケランチムが好きだったのか。
「美味しいです。とても美味しい」
ジュンサンは言葉を詰まらせると口元を押さえた。
「熱い」
「そんなに急いで食べては火傷をするわ」
ヘジはそう言うとスッカラを持つジュンサンの手を引き寄せた。
「こうしてフーフー冷ましてからよ」
「ジュンサンは子供ではないぞ」
「大丈夫です、お祖母様」
「いいから。せっかく綺麗に治ったのに、また火傷をしたら大変よ」
「僕が火傷を負ったのですか」
「覚えていないの?」
ジュンサンは申し訳なさそうに首を振った。
「ビルの火災に巻き込まれたんだ。混乱したマスコミがミニョンとジュンサンを取り違えて行方不明と伝えたものだから、私たちも随分と心配したよ」
「じゃあ、僕は」
「直ぐにレスキュー隊のヘリコプターで救出されたんだ」
「ミニョンは奇跡的に地下室で生きていたのよ」
「それでナルコレプシーを引き起こしたようだ」
ジュンサンはミニョンとの電話を思い出した。時々、急に眠りに落ちるかも知れないと言っていた。そういう病を持ってると。ミニョンの口調は明るく、悲壮感は漂っていなかった。
「ミニョンは命懸けでジュンサンを守ってくれたそうよ」
「ミニョンが僕を」
「あぁ、幾多の試練が二人を襲っても、ミニョンは立ち向かったそうだ」
「あなたはテワンさんとミニョンに守られてきたのよ。だから私たちもジュンサンをミニョンと呼ぶことを受け入れたの」

ジュンサンは二人の話を淡々と聞いていた。自分がジュンサンと分かっても、それまでの記憶は何一つ覚えていないのだ。そして一番話を聞きたいミニョンとテワンはここにいない。やはり僕はニューヨークへ戻らなければならない。ユジンが僕をカン・ジュンサンと認められないだけではない。僕はイ・ミニョンとして生きているんだ。
「ジュンサン、どうかした?」
「いいえ。お祖母様の料理はどれもとても美味しいです」
「食べなさい、もっと食べて」
「明日、僕に似合うセーターを買って下さい」
「えぇ、いいわ」
「お祖父様も一緒に行きましょう」
「私もか」
「お二人と歩きたいんです。是非ご一緒に」

翌日、ジュンサンは二人とショッピングに出掛けた。ヘジからピンクのセーターを買ってもらい、二人にもセーターやマフラーを買った。
「孫から買ってもらうなんて、一生の宝物だわ」
「ジュンサン、ありがとう。大切に使わせてもらうよ」
「あなたもニューヨークへ行っても元気でいるのよ」
「お祖母様」
ヘジは分かっていた。
「テワンさんとミニョンの元へ帰りなさい。そうしてこれからも二人の力になりなさい」
涙ぐむヘジは言った。
「時々声を聞かせてね。あなたは私たちの可愛い孫だから」

祖父母と別れたジュンサンはCDショップに立ち寄った。買い求めたのは『はじめて』のアルバムだった。ジュンサンはその足でユジンのアパートを訪ねた。ユジンに唯一ジュンサンの証(あかし)を残して行きたかった。ドアの前に立ってはみたが結局、呼び鈴は押せなかった。ドクターは言っていた。ユジンはジュンサンとミニョン、二人を別々に愛していたのだろうと。
『僕が去ってからこの曲を聞いてくれればそれでいい。思い出すのはジュンサンでもミニョンでもいいから。僕を愛してくれた事、忘れないで』

短い期間で関係者に帰国の挨拶を済ませた。チェリンのブティックでは思いがけずウェディングドレスのユジンを目の当たりにした。神様は残酷なのか親切なのか分からない。ユジンは息を飲むほど美しく、直視することも躊躇(ためら)われた。その姿で君は僕の隣に立たない。
『幸せになって、ユジン』

ジュンサンはホテルの部屋にいた。明日はニューヨークへ旅立つ。彼女の部屋の呼び鈴を押さなかった事に後悔は無かった。空港へ行く前にポラリスに立ち寄り『はじめて』のCDを置いて行こう。その時間ならユジンは外に出ているはずだから。ピンクのセーターは暖かく着心地が良い。グラスのウイスキーが火照った身体をほどよく冷やしてくれる。

ドアの外にはユジンがいた。
『ミニョンさん、どうしてあなたは私の前に現れたの?』
震える指が呼び鈴を押すのを躊躇(ためら)った。
『私はずっと待っていた。ジュンサンに会いたいって。もう一度ジュンサンに会いたいって。もしかしてあれはジュンサンなのかも。ミニョンさんはジュンサンなのかも』
けれど押せなかった。
『ミニョンさんだろうがジュンサンだろうが、確かめて何になるの。私はサンヒョクと結婚するのよ』

ユジンはエレベーターに逃げ込んだ。泣き崩れたユジンはポラリスを見失っていた。ジュンサンが見下ろす部屋の窓からも、ポラリスの光はビルの明かりにかき消され姿を見せなかった。

次回:第711話.眠れぬ花嫁

(風月)