改:第708話.ニューヨークへの道【連枝の行方.第二部⑦】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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毎日着物で、ランチと色々なワインを楽しんでいます。イタリアワイン、サッカー、時代劇、武侠アクションが大好きです。佐藤健さんのファンで、恋はつづくよどこまでもの二次創作小説制作中。ペ・ヨンジュンさんの韓国ドラマ二次創作小説多々有り。お気軽にどうぞ。

第708話.ニューヨークへの道

【連枝の行方.第二部『世界は愛に満ちている』⑦】

ドクターは僕の話を熱心に聞いてくれた。何から話していいのか分からない。カン・ジュンサンとしての記憶もなく、聞いた話にそうだったのだろうと、ただ頷(うなず)くことしか出来ない。話す事と言えばミニョンとして生きてきたこの10年の出来事で、僕にはその記憶しかない。本当はもっとあって当たり前なのだ。高校生活や友達やお気に入りだった音楽や、行きつけの店や、よく買うデザートや、通った本屋や図書館、旅行は何処へ誰と行ったとか、映画は何を見たとか、子供の頃は何が流行っていて、何の真似をしたとか。僕はどんな子だったのかとか。それらは全て曖昧(あいまい)な記憶にしか過ぎない。今までその事に何の違和感も持って来なかった。そして今、僕はカン・ジュンサンとして再びドクターの前にいる。

「ドクター、カン・ジュンサンは悩んでいたのですか」
「何か思い当たる事でもあるのかね」
「ドクターのカウンセリングを受けていたのなら、何か悩みがあったのでしょう」
「カウンセリングは入学して直ぐに生徒全員に行なった」
「僕だけではなかったのですか」
その問いにドクターは優しい微笑みを返した。
「私はソウル科学高校の校医で東寮に住んでいた。学生の寮長はクム・ジェビンがやっていたが、私もまた寮長という立場だった。いわば寮生の監督官だ。当時ソウル科学高校は全寮制だった。城北洞(チョンブクトン)に家がある生徒も地方から来た生徒も、皆寮に入った。初めて親元を離れて生活する。学業も精神的な面も、様々な悩みや不安が生じる事となる。校医の部屋はいつでも入れるように開放していた。こうして君と気軽にお喋りするようにね」
「すみません、カウンセリングのはずが、意味のないお喋りになってしまって」
「意味のないことなどないよ。そこから自問自答したり、気づかなかった何かを見つけることもある」
「僕は、カン・ジュンサンはドクターや友人たちを困らせましたか」
「いいや」
「僕は自分勝手で暗くて無愛想で、冷たい人間でしたか」
「何処からそんな発想が湧いてきたのかな」
ジュンサンは俯(うつむ)いたまま答えた。
「ミニョンと正反対だから」
「イ・ミニョンと?つまりジュンサンは今の君と逆だったと言いたいのか」
「そうだったんでしょう」

ジュンサンは口唇を噛むと更に下を向いた。
「誰かに何か言われたか」
「僕には記憶がないから、聞くしかないんです」
「好きだった人にそう言われたか」
「えっ?」
「オ・チェリンじゃないな」
「違います」
「彼女はイ・ミニョンの崇拝者だ」
「彼女もまた幻を見ていたという事でしょう」
「どうかな。オ・チェリンは決してイ・ミニョンを幻とは思わないだろう。彼女にとってイ・ミニョンは初恋の相手カン・ジュンサンが成長し、進化した完成形、最高の理想の恋人なんだ」
「でも僕はオ・チェリンの事をそこまで思っていなかった」
「そうだろうね。君の心は別の女性に惹かれた。チョン・ユジン、彼女に何と言われた」
「僕がカン・ジュンサンだと言いました。チョン・ユジンさんが好きだったカン・ジュンサンだと」
「彼女は怒っただろう」
「はい」
「チョン・ユジンの中の初恋の人は高校時代のカン・ジュンサンで確立している。大人になったジュンサンを君に投影しても、それはイ・ミニョンの姿だ。混乱し戸惑ったはずだ」
「そうです。僕がユジンを苦しめ混乱させた」
「それだけではない。チョン・ユジンは君を愛している」
「ドクター」
「彼女はカン・ジュンサンとイ・ミニョンを別々の男性として愛しているんだよ」

ジュンサンの目に涙が浮かんだ。
「君は今、誰だ」
「イ・ミニョンです」
「カン・ジュンサンはソウル科学高校を卒業したらニューヨークへ戻るはずだった。数学オリンピアード韓国代表としてソウル科学高校への入学を請(こ)われ、その期待に見事に応え、初出場ながら韓国を第3位へ導いた。そして自らも満点で金メダルを獲得した」
「僕はそれさえも覚えていないんです」
「いいんだ。無理に思い出さなくてもいい」
ドクターはジュンサンを強く抱きしめた。
「金メダルは君の中に燦然(さんぜん)と輝いている。誇りを持って生きなさい」
頷(うなず)くジュンサンへドクターは言った。
「ジュンサンは君と同じようにニューヨークで暮らしていただろう」
「そうかも知れませんね」
ジュンサンは涙を拭うとドクターへ告げた。
「僕はニューヨークへ戻ります。ユジンに愛された事を誇りに思います」
「大丈夫か」
「はい」
悲しみはまだ残る。しかし視線の先にはカン・ジュンサンが見つめたニューヨークへの道が続いていた。

次回:第709話.あの日のように

(風月)