第707話.校医と学生
【連枝の行方.第二部『世界は愛に満ちている』⑦】
ソウル科学高校で待ち合わせしたのは登校時間と同じ頃だった。今日は日曜日だがセットされた時刻にベルが鳴る。いつもなら学生でいっぱいの教室も静かに休息している。
四人は校庭の向こうにある校舎へ目をやった。マシューは不思議そうに首を捻(ひね)った。
「校舎までこんなに遠かったか?」
「あの頃は毎日走っていたようなものだったからな」
「ウォンセは遅刻大魔王だったのか」
「遅刻大魔王?」
ジュンサンの言葉にウォンセは目を丸くした。
「なんだそりゃ」
「寝坊してよく遅刻していたんだろう」
「遅刻しないようにジュンサンが起こしてくれたじゃないか」
「僕が?」
「相当手荒かったけどな」
「俺も見たことがある。ウォンセは普通に呼んでも起きないから、ジュンサンは思いきり蹴り飛ばしていた」
「容赦なくやるから一発で目が覚めるんだ。酷いときは顔の真横に踵(かかと)落としをお見舞いされたぜ」
聞いていたジェビンはニヤリとした。
「それは僕だ」
「あれ、寮長だったのかよ」
「面白そうだから僕にもやらせろと言った」
「それでネリチャギ(かかと落とし)か」
「何か分からなかったがブルッときたんだよな」
「殺気じゃないの」
「そうそう」
「呑気(のんき)に口を開けて大の字になって寝ていたので、股間ギリギリに落とそうとしたらジュンサンに止められた」
「たぶん誰でも止めます」
「あの時は驚いてベッドから落ちたんだからな」
「天地がひっくり返ったような顔してた」
「見たかったなぁ」
「ここで再現しようか」
ウォンセは身震いした。ジェビンは女のような顔をした優男だがテコンドーの有段者だ。
「俺は起きています。やるならマシューにやって下さい」
「俺は寝坊なんてしなかったよ。腹が減って目が覚めるから」
「寮の朝飯を食べてから、また何か食べていたもんな」
「マシューは大食い大魔王だったね」
一頻(ひとしき)り笑うと三人はジュンサンへ視線を向けた。
「ところでさっきの遅刻大魔王って誰だ?」
「さぁ」
「やっぱりウォンセだろう」
「俺は遅刻はしてないぞ」
「バレたのは早飯だったもんなぁ」
「じゃあ、誰のことだ」
「カク・ソンジンか。マシューと同室だったろう」
「ないない、ソンジンがそんな事するもんか。取り巻きが迎えに来たよ」
「ジュンサン、カク・ソンジンは覚えているか」
「いいや」
「ソンジンも数学オリンピアードのメンバーだ」
「それからお兄さんのオク・スンシンも」
ジュンサンは首を横に振った。
「寮長、二人とは連絡がつかなかったのか」
「カク・ソンジンは議員のお父さんの秘書。オク・スンシンは診察中。二人とも時間が取れないそうだ」
「スンシンはお医者さんになったのか」
「あぁ、今はペ・ヒョンジュン先生のところのソウル聖愛病院にいるよ」
「ソンジンもそのうち議員になるんだろうな」
皆は感慨に耽(ふけ)った。
「ウォンセと僕は共に会社経営に至るだろう」
「ヒョリンさんはオペラ歌手だ。本当に歌姫になったんだ」
「マシューは大学に残って数学の教授か」
「夢はカメラマンだったけどね」
「ソンジンの妹のギュリちゃんは売れっ子の人気モデルだ」
「それからリナちゃんはアクセサリーや小物のデザイナーをやっている。可愛いと中高生の女の子に大人気だ」
マシューはカバンから当時の写真を取り出すとジュンサンへ指し示した。
「青華女子校の奉仕活動の時の写真だ。それからこれは青瓦台(大統領官邸)の庭で写したやつ。リナちゃん、可愛いだろう」
「ヒョリン姉さんはこれ。セビンはこれだ」
「奉仕活動の後なのに皆、元気だなぁ」
「ウォンセ、セビンちゃんの隣でにやけ過ぎ」
「うるさいぞ、マシュー」
「おっ、ジュンサンと寮長は爽やかだねぇ」
「当たり前だ」
「写真の撮り方が上手いんだろう。ところでこの写真、誰が撮ったんだ」
「ドクターだよ。ペ・ヒョンジュン先生が撮ってくれた」
マシューは片目を瞑(つぶ)ると校舎に向かって両手でカメラアングルをとった。
「2年の特A教室へ行ってみるか」
「あぁ、うん」
「ジュンサンが先に行けよ」
「教室の場所、覚えていないんだ」
ウォンセはジュンサンの腕を取った。
「心配するな。俺が連れて行ってやるよ」
階段を上がった先に特Aの教室はあった。今は特別選抜クラスは無くなり普通教室になっている。4人はそこで高校生活を懐かしんだ。
「卒業してから10年か」
「ここで数学オリンピアードを目指して頑張ったなぁ」
「ウォンセとジュンサンはいつも一番を競いあっていた」
「寮長は受験なのに数学オリンピアードへも参加したんですよね」
「信じられん、俺には出来ない」
「僕はクム・ジェビンだから。でも本当は大変だった。何度、ヒョリンに励まされたことか」
「寮長、泣かないで下さい。いい男が台無しですよ」
「僕は泣いても魅力的な男」
昼近くになるとジェビンは言った。
「これから柊(ひいらぎ)孤児院へ行く。昼食は子供たちと一緒に食べよう」
出迎えたのはシスター・マリアンヌとペ・ヒョンジュン夫妻だった。
「ドクター、ジュンサンを連れてきました」
「待っていたよ」
「わぁ~ドクター。ちっとも変わってない。相変わらずカッコイイ」
「マシュー、ドクターになつくな」
「君は僕と先に行こう」
マシューがウォンセとジェビンに両脇を抱えられて行くと、ドクターはジュンサンに優しく微笑みかけた。
「僕はソウル科学高校の校医ペ・ヒョンジュン、君のカウンセラーだよ」
「あの…僕は」
「事情は聞いている。君の目に映る私は初めて会う人間だろう。しかし心配はいらない。私はいつでも君たちの校医だ。さぁ、お喋りから始めよう」
次回:第708話.ニューヨークへの道
(風月)