父の遺骨が墓の下に眠って最初の月命日3月6日、墓参りに妻と江戸川橋へ。
墓参の後昼飯に「新雅」と思ったのだけど、微妙にランチ終了までに時間が足りない。
仕方なく先にしようと行ったら、土曜日なのにずらりと行列20名ほど。
いつものことなのだけど、もうあと30分で昼の閉店なのにこの並びか!
結局最後尾から3組目くらいのポジションでおよそ1時間半待ちであった。
朝食抜きで来たので腹ペコに久々の「新雅」はまさに至福であった。
いつもふたりで頼むのは、炒飯に餃子に湯麺だ。
炒飯のボリュームが凄いのだが、この写真だとスープがでかく映って分かりにくいね。
ラーメンどんぶりにご飯を盛って、その量で攻めて来るのだ。
そして絶品叉焼がゴロゴロ入っている。ちらりピンクが見えるのは、鳴門巻きを切ったもの。
これがまたフワッとしたアクセントをつけてくれる。
しっとり系の炒飯でここより美味いのはそうないだろう。
しかも安い。
行列ができるわけだ。
餃子もごくごくふつうなのだけどしっかり美味い。
そして湯麺だ。
これもとにかくバランスが素晴らしい。
久美が主に湯麺担当。炒飯はわし担当である。
いつもはこれにサッポロの赤ラベルが付く。
他にはニラソバや、かた焼きそば、レバニラ炒めなどが人気だ。
わしは五目そばをオススメ。
さて、墓参りである。
ここ本法寺に来る前日に録画した「じゅん散歩」を観たら、なんと冒頭、高田純次の背後に見知ったお寺がババーンと映った。そう、まさに本法寺だ。夏目漱石の一家の菩提寺であるというので訪れたらしい。
住職は出るのを嫌がって、奥さんがいつもの調子で応対していた。
屈託ない面白い姐さんである。
夏目家の墓しか映らなかったが、静謐な裏庭もぜひ映して欲しかった。
奥さんとその話題で盛り上がった後、ほとんど寺の裏山な崖上にある鈴木家の墓へ。
昔は本当に裏山然としていて、墓の向こうは鬱蒼とした林だった。今はすっかり住宅地になり、家々が墓所を見下ろしている。
墓石を洗い、花を活け、線香を置いて手を合わせる。
宗教設定上はもうこの墓所に父の霊はない。極楽浄土とやらで楽しくやっているはずである。
少なくとも、床ずれの苦痛や背骨の痛みからは解放されている、極めて楽ちんな世界のはずだ。
では墓所とは何か? 結局遺族が心慰める場所にしか過ぎない。
生前父もそう言っていた。
オカルト的には、墓石はゲートである。
思う人が亡き人に手を合わせれば、霊界と現世がたまさか繋がるのである。
こちらからは繋がったかは分からないが、父任せで勝手に信号を飛ばしまくる。
まだまだゲーム作るので見ていてください。
さて、本法寺を後にして懐かしの江戸川橋散策。
かつてはこの寺から徒歩十分ほどのところに住んでいたのだ。
この本法寺は上野から空襲で焼け出されて引っ越してきたと聞いていたのだが、それは鈴木家の墓だけの話だった。
寺自体は戦国時代初期、蓮如によって近江の堅田で開山したが戦火で焼失した。秀吉か光秀にやられたのだろうか。
江戸初期には三河で中興し、その後江戸の牛込に移転、江戸中期にこの場所に移った古刹であった。
浅草田原町の本法寺は日蓮宗でまったく歴史が異なるのだった。
本法寺の近く、「Suido Cafe」という小洒落た店に立ち寄る。作家さんが作った小物を展示販売しているのだ。
夜は会員制の寿司屋になるというスノッブ感あふれる店である。店員さんもそんな雰囲気だ。
そこで少しばかり無駄遣いをして、神楽坂へと向かう。
「魚周」を覗いてみたが、今日は是非欲しいというものは無かった。
懐かしい店舗を幾つか過ぎ、赤城神社近くの「ねこの郵便局」という猫小物専門の風変わりな店に立ち寄る。
ご隠居さん風の御老体がずっとひとりでやっている店だ。
店内は上から下まで、もう、ネコ猫ねこ猫猫……!! で、少しばかり無駄遣い。
さらに「小路苑」という花屋でクリスマスローズとローダンセという貝殻草に似た白い切り花と、枝ものを購入。
そして、時間も遅くなったので、再び江戸川橋の方に坂を降り、保守仲間の木下さんがやっている「たまねぎや」を目指すのだった。
ローダンセの花