鈴木大司教の戦慄のグルメと心霊体験そして政治と歴史

鈴木大司教の戦慄のグルメと心霊体験そして政治と歴史

女神転生シリーズ、真・女神転生シリーズ
モンスターメーカー・シリーズを手がけたゲームクリエイター
鈴木一也(すずきかずなり)が、深夜に読むのが極めて危険とされる
グルメと心霊体験の話しを綴る

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子供の頃保谷(現西東京市)に住んでいたのだけど、ポルターガイスト現象が激しかった。

父はそうしたことにも造詣が深く、それはわしが起こしているのだと言っていた。

 

ポルターガイスト(Poltergeist)は、ドイツ語で騒がしい霊という意味だ。そのまま騒霊と訳される。

家鳴りが主なものだが、器物が飛んだり、家具が動いたり、ひどいものでは発火現象までもある。

鈴木家のそれは壁や天井を叩くものだった。

 

心霊科学者たちは、これを子供が起こす現象とした。そうした現象が起きる家には、必ず思春期の子どもたちが住んでいる。

彼らの成長過程の心身に由来する性的なストレスによって、強い精神的パワーが発生し、それがサイコキネシス現象を起こしているのだと考えられたのだ。

科学者達が認めるにはここが限界である。

(もちろん一切認めない、あるいはまったく無視する科学者の方が多い)

 

しかし、イギリスの哲学者コリン・ウィルソンらは、これをさらに深く研究した。そして強いポルターガイスト現象には、必ずと言っていいほど死霊の存在が示唆される点に着目した。

幾つかのケースでは、知り得ない過去の殺人事件や、死者の情報を、子供たちが語ることがあった。子供らは何らかの目に見えぬ存在から、そうした情報を聞いたと答えている。

ウィルソンらは、ポルターガイスト現象の主犯は死霊であり、子供たちの精神的パワーが、その騒動の動力源であると結論づけた。

わしもこの説を支持している。

 

鈴木家の動力源にはわし、そして弟と妹と三人も揃っていた。死霊の存在だが、これも当てはまる事件があった。実は家の斜向かいの空き地に放置された浄化槽があって、鈴木家が越してくる1年前、そこで5歳児が溺死した過去があったのだ。その子はどうやら遊びたかったらしい。もっともこの話はずっと後で確認したことなのだが。

 

こうして霊と親しむ思春期を過ごし、29歳でゲーム企画会社を独立させ、その渋谷の事務所で、さまざまな霊現象に遭遇することになる。これに懲りてわしはチャンネルを閉じることにした。霊に関わってもたいへんなだけで、良いことはないと。

 

事務所を閉じた後、次第にあちらの世界とは疎遠になっていった。

 

最近は夜寝る前にKindleでコミックを少しずつ読んでいたりする。『ドロヘドロ』『チェンソーマン』『葬送のフリーレン』『ガンニバル』『応天の門』『よふかしのうた』『天国大魔境』など気に入って読んでいたのだが、昔大好きでよく雑誌で読んでいたタイトルを見つけて読み始めた。『もっけ』である。もっけとは、ようするに物の怪のことだ。
あちらの世界のものが見えてしまう姉妹が、それと上手く付き合いながら成長していく物語で、淡々とした調子で日常の中に入り込む怪異を描いていく。

真っ暗な寝室でベッドに横たわり、そのもっけの世界に入っていくと、つい昔の霊感を開放していた感覚を思い出してしまった。そのとき居間で何かコツコツと変な音がしたなと思った。

 

【著:熊倉 隆敏 月刊アフタヌーンに連載。アニメ化もされた】

 

翌朝ちょっとパニックに陥った。BRレコーダーとHDDを接続していたのだが、まったくHDDが読み込めないのだ。大量のアニメだけでなく、さまざまな番組が録画されており、見ていないものが多い。

立川のビックカメラの店員さんに聞いたところ、著作権保護のためにHDDは別のレコーダーには繋げられないのだという。また、HDDを修理した場合、同じ理由で中身は消えてしまう可能性大。本体を修理しても、基盤が変えられると別の機械と見做されて、過去のHDDドライブは認識できないとのことだ。
なんてひどいシステムだ!!

やれやれ、やってしまったのかも知れない。渋谷の事務所時代、PCをとにかくクラッシュさせてしまう率が、わしがダントツで多かったのだ。

やはりあちらの世界に触れるものではない。

父の遺骨が墓の下に眠って最初の月命日3月6日、墓参りに妻と江戸川橋へ。

 

墓参の後昼飯に「新雅」と思ったのだけど、微妙にランチ終了までに時間が足りない。

仕方なく先にしようと行ったら、土曜日なのにずらりと行列20名ほど。

いつものことなのだけど、もうあと30分で昼の閉店なのにこの並びか!

結局最後尾から3組目くらいのポジションでおよそ1時間半待ちであった。

 

朝食抜きで来たので腹ペコに久々の「新雅」はまさに至福であった。

いつもふたりで頼むのは、炒飯に餃子に湯麺だ。

 

炒飯のボリュームが凄いのだが、この写真だとスープがでかく映って分かりにくいね。

ラーメンどんぶりにご飯を盛って、その量で攻めて来るのだ。

そして絶品叉焼がゴロゴロ入っている。ちらりピンクが見えるのは、鳴門巻きを切ったもの。

これがまたフワッとしたアクセントをつけてくれる。

しっとり系の炒飯でここより美味いのはそうないだろう。

しかも安い。

行列ができるわけだ。

 

餃子もごくごくふつうなのだけどしっかり美味い。

そして湯麺だ。

これもとにかくバランスが素晴らしい。

久美が主に湯麺担当。炒飯はわし担当である。

いつもはこれにサッポロの赤ラベルが付く。

他にはニラソバや、かた焼きそば、レバニラ炒めなどが人気だ。

わしは五目そばをオススメ。

 

 

さて、墓参りである。

ここ本法寺に来る前日に録画した「じゅん散歩」を観たら、なんと冒頭、高田純次の背後に見知ったお寺がババーンと映った。そう、まさに本法寺だ。夏目漱石の一家の菩提寺であるというので訪れたらしい。

住職は出るのを嫌がって、奥さんがいつもの調子で応対していた。

屈託ない面白い姐さんである。

夏目家の墓しか映らなかったが、静謐な裏庭もぜひ映して欲しかった。

奥さんとその話題で盛り上がった後、ほとんど寺の裏山な崖上にある鈴木家の墓へ。

昔は本当に裏山然としていて、墓の向こうは鬱蒼とした林だった。今はすっかり住宅地になり、家々が墓所を見下ろしている。

 

墓石を洗い、花を活け、線香を置いて手を合わせる。

宗教設定上はもうこの墓所に父の霊はない。極楽浄土とやらで楽しくやっているはずである。

少なくとも、床ずれの苦痛や背骨の痛みからは解放されている、極めて楽ちんな世界のはずだ。

では墓所とは何か? 結局遺族が心慰める場所にしか過ぎない。

生前父もそう言っていた。

 

オカルト的には、墓石はゲートである。

思う人が亡き人に手を合わせれば、霊界と現世がたまさか繋がるのである。

こちらからは繋がったかは分からないが、父任せで勝手に信号を飛ばしまくる。

まだまだゲーム作るので見ていてください。

 

さて、本法寺を後にして懐かしの江戸川橋散策。

かつてはこの寺から徒歩十分ほどのところに住んでいたのだ。

 

この本法寺は上野から空襲で焼け出されて引っ越してきたと聞いていたのだが、それは鈴木家の墓だけの話だった。

寺自体は戦国時代初期、蓮如によって近江の堅田で開山したが戦火で焼失した。秀吉か光秀にやられたのだろうか。
江戸初期には三河で中興し、その後江戸の牛込に移転、江戸中期にこの場所に移った古刹であった。

浅草田原町の本法寺は日蓮宗でまったく歴史が異なるのだった。

 

本法寺の近く、「Suido Cafe」という小洒落た店に立ち寄る。作家さんが作った小物を展示販売しているのだ。

夜は会員制の寿司屋になるというスノッブ感あふれる店である。店員さんもそんな雰囲気だ。

そこで少しばかり無駄遣いをして、神楽坂へと向かう。

 

「魚周」を覗いてみたが、今日は是非欲しいというものは無かった。

懐かしい店舗を幾つか過ぎ、赤城神社近くの「ねこの郵便局」という猫小物専門の風変わりな店に立ち寄る。

ご隠居さん風の御老体がずっとひとりでやっている店だ。

店内は上から下まで、もう、ネコ猫ねこ猫猫……!! で、少しばかり無駄遣い。

さらに「小路苑」という花屋でクリスマスローズとローダンセという貝殻草に似た白い切り花と、枝ものを購入。

そして、時間も遅くなったので、再び江戸川橋の方に坂を降り、保守仲間の木下さんがやっている「たまねぎや」を目指すのだった。

 

 

ローダンセの花

 

ビーフシチューをハヤシライスにしようと、牛肉の薄切りを買ってきたのだけど、国産牛のいいところで、炒めて味見したらそれだけでかなり美味い。ちょっともったいない。玉ねぎスライスも炒め、トマト缶投入。そして業務用スーパーで買うデミグラスソースの粉末をドバドバ。

美味しいハヤシルーの出来上がり! だがしかし、やっぱり国産牛の良いところがすっかり消えている。

残念!

パルミジャーノ・チーズを入れた卵焼きにディルとボアブルロゼを散らして彩りも良し。

小さいニンニクのようなものは和風のエシャロットと紹介されていた。名前忘れた!!

 

サラダには雲仙ハムと黒オリーブ。レモンも無農薬のものをスライスして散らしてある。雲仙旨し。

スープは生協で買った野菜たっぷりのインスタントでちょい手抜きだけど、オリーブオイルで炒めた玉ねぎを入れたのだけど、上手く合わなかった。方向性の違うものを合わせてはいかんということだ。

 

妻はまだ歯の治療中なので、ノンアルスパークリングワイン風。