HAIKU日本大賞 大賞発表

 

 

大賞

こほろぎや診察長き妻を待つ

[ 三重県松阪市 谷口雅春 ]

 

(評)秋に鳴く虫のなかで最も身近なものの一つが蟋蟀でしょう。初秋から鳴きはじめて、秋遅くまで鳴いていることがあります。掲句を読んで私のなかに広がったイメージとしては、体調のわるくなった夫人に付き添って夜間診療に訪れている場面です。日中の正面入り口とは違い、夜間診療の専用入口は病院の脇や裏手に設置されていることがあります。夫人が診察を受けているのを廊下の長いすで待ちながら、容体を案じ、難しい病状でないことを祈っています。静まり返った夜の病院に、窓の外から蟋蟀の鳴き声がしきりに聞こえてきたのでしょう。夫人を思いやり、不安になる作者の心情を思うと、蟋蟀の鳴き声がいっそう哀切に聞こえてきました。

 

特選

倒木をのぞきし風や秋遍路

[ 千葉県千葉市 千葉信子 ]

 

(評)倒木を覗き込んでいるのは「風」だという。風雨になぎ倒された木が「秋遍路」の行く手を邪魔しているのか。四国の札所巡りをするお遍路さんの全行程は約1400キロ。平坦な道もあれば、山岳には“遍路転がし”と呼ばれる難所も多く険しい道のりです。お遍路を人生と重ねて詠んだ句と思われます。味わい深い叙景句となっており、「秋遍路」の一歩一歩の歩みに刻まれる重みが伝わってきます。

 

 

 

銃持たぬこの手で絞るレモンかな

[ 神奈川県相模原市 渡辺一充 ]

 

(評)いきなり、ドキッとする五音から始まるこの句は、読み手の心に響き印象に残ります。現在も続いている戦争。銃を手にした姿が日々放映されています。握っているものが、「レモン」であることの安堵感が伝わってきます。もし「レモン」でなかったらという恐怖が読者にも湧いてきます。銃とレモンの取り合わせが鮮烈で、一読して忘れがたい今を詠んだ俳句となります。

 

準特選

紙なぞる指に脂のなき秋思

[ 東京都中央区 梨木悠介 ]

 

(評)「なぞる」のは、紙に書かれた大切な箇所。秋の夜長に、何を思い巡らせているのでしょうか。作者の微妙な影を感じさせ、季語「秋思」にその乾いた心情が託されています。「秋思」は秋の“ものおもい”です。指の乾きに失われていく若さを、敏感に感じ取る作者。一種の哀しみを持つ境涯俳句としてしみじみと心に響いてきます。

 

 

墓終ひのことにはふれぬ墓参かな

[ 大阪府大阪市 清島久門 ]

 

(評)近年は少子化という大きな時代の変化の中にあります。「墓終ひ」は、今や世情の大きな問題になりつつあります。我がことのように鑑賞する人も多いだろう一句。いつかは現実のものとなる「墓終ひ」。「ふれぬ」には、作者の様々な心情が読み取れます。日常の中の作者の感覚が、社会詠とも言える鋭い作品となっています。

 

 

吊し柿五棹なす父懐かしき

[ 徳島県徳島市 山本明美 ]

 

(評)秋の風物詩の一つ「吊し柿」。かつては多くの家で見られました。「五棹なす父」の中七が、思い出の中の父親像を具体的に想起させます。山里の暮らしぶりの中に「父」の姿があって、黙々と手早く仕上げていく姿に尊敬の念を抱いていたことでしょう。下五の形容詞の連体止めも一句に相応しく、父の姿を強く印象付けます。昔の父親像が共感を呼び、読者を懐かしい日々へといざないます。

 

 

2022秋の写真俳句大賞

 

 

大賞

戦など無きがごとくに蕎麦の花

[ 宮城県仙台市 遠藤一治 ]

 

(評)青空と眼下に広がる蕎麦の花が印象的です。今の不安定な世の中を背景に、大自然を前にした作者の素直な感情が込められています。説明になりがちな写真俳句を目にしたものへの感情を描写した良い写真俳句です。

 

次点

空っぽの海は新涼置きにけり

[ 神奈川県横浜市 風人 ]

 

(評)禍々しい程の空の赤に、それを映す渦巻く海、その間にある暗い山と、ビジュアルだけでなく、構成のしっかりした写真が見事です。そこに、「空っぽの海」という言葉を選んだのが詠み手のセンスでしょうか。置いてきたものは何なのか、考えさせられる写真俳句です。

 

 

手を上げし別れが最後曼珠沙華

[ 熊本県熊本市 あさひ ]

 

(評)曼珠沙華の花から死者を思い出すことは想像がつきやすいことですが、別れのシーンが映像として残っているのでしょうか。あの時、もう少し話しておけばという後悔か、いつもと同じ風景だったのか、想像を掻き立てられる写真俳句です。惜しむらくは、写真にある曼珠沙華を句に入れず、どう描写するかが次の課題です。