HAIKU日本大賞 大賞発表

 

 

ランドセルから牛革の匂う春

 

[ 大阪府池田市 宮地三千男 ]

 

 

(評)小学生の背負うランドセルは、色や素材などさまざまな種類がラインナップされています。春季の俳句において、新一年生のために用意されて出番を待つランドセルや、小学校に入学したばかりの児童が体より大きなランドセルを一生懸命背負って歩く姿などは、好まれて詠まれる題材です。掲句のランドセルが従来の作と一線を画しているのは、真新しいランドセルの様子を牛革の匂いによって示しているところです。入学を祝う気持ちを「明」とすれば、ランドセルが出来あがる過程に牛の殺生がともなっているという「暗」の要素にも目を配った作品と言えるでしょう。

 

 

特選

若芝に我群青の影となり

 

[ 神奈川県横浜市 要へい吉 ]

 

(評)萌え出でて青む若々しい芝生からは、春の歓喜の声が聞こえてきそうです。そんな「若芝」に群青色の影を落としていたのか、自分の感じたままを素直に詠んで、印象的な一句に仕上がりました。「群青の」と影に黒以外の色を付けて詠んだ着眼点が光ります。枯れた芝の間から緑の芽が伸び始める春。その上を歩くのさえ頼りなく見える若芝の広がる中で、春を謳歌する作者の姿が浮かびます。

 

 

 

脳トレの逆さ言葉で麦を踏む

 

[ 大阪府大阪市 清島久門 ]

 

(評)秋に蒔いた種が発芽した後、春の茎立ちまでの間に、麦の生育に欠かせない作業が「麦踏み」です。根の張りをよくし、倒れるのを防ぎ、株を多く出させるなどの効果があります。晩秋から初春にかけての作業ですが季語は春です。掲句は切字の「や」ではなく格助詞「で」で下五へと繋ぐ一句一章の句。早春のまだ寒い中、逆さ言葉を言いながら丹念に踏み固めている景は、何とも日本的な平和な日常を浮かび上がらせています。

 

準特選

風に揺れ鯉の背に揺れ花筏

 

[ 埼玉県行田市 吉田春代 ]

 

(評)春の情趣がたっぷりと詠み込まれた一句。川の流れに任せゆったりと形を変えながら進んでいく「花筏」。豪華絢爛たる姿や優雅さに酔いしれた桜も、やがて落花を迎えます。桜吹雪は儚くも美しく、いつまでも見飽きることがありません。水面に揺れながら浮かぶ花筏は桜の最終章です。「揺れ」のリフレインが、水面を漂う花びらの寄る辺なき身を表わしているかのようです。

 

 

 

春立つや座椅子の向きを庭にかへ

 

[ 愛知県日進市 嶋良二 ]

 

(評)「春立つ」と言っても、実際にはこの日以降もまだ寒い日が続きますが、今日から春なのだと思うと気配が和らぎ、春を味わってみたい気分にさせられます。陽は柔らかく感じられ、いつも座っている座椅子の向きを日差しの方へ変えたとのこと。ただ、それだけのことですが、この句は季語と切れ字が決まって、優しくて楽しい庶民の詩となりました。春を心待ちにしていた作者の心境を、一つの行動で表現して見せた一句。ベテランの味が滲む作品です。

 

 

受験子に一番風呂を譲りけり

 

[ 兵庫県神戸市 平尾美智男 ]

 

(評)受験生のいる家庭は、家中が緊張感の中で暮らしているようなところがあるのでしょう。家族全員が健康管理に最善を尽くし、言葉掛けひとつにも注意を払います。「受験子」に対する家族のさり気ない優しさが伝わってきます。中七の「一番風呂」が効果的で、結句の「けり」で綺麗に仕立て上げた一句一章句です。家族愛の感じられる温もりのある作品です。

 

 

 

2022春の写真俳句大賞

 

写真をクリックすると新しいウィンドウで大きく表示されます。ぜひ皆様の力作を拡大画面でご覧ください。(オリジナルの写真サイズが小さい場合は拡大されません。)

 

 

 

見はるかす有為の世を染む花の雲

[ 福岡県飯塚市 日思子 ]

 

(評)今の世の有為は何色なのでしょうか。この桜のように、この空のように、この雲のように、鮮やかであって良いのでしょうか。世界から聞こえてくる様々なニュースには心傷むものが多く、その全てがいつか、この鮮やかさへと移り変わっていくことを祈ってやみません。

 

 

次点

 

童になりひいな並べる百寿かな

[ 新潟県新潟市 小野茶々 ]

 

(評)雛飾りのある家庭は何世代で暮らしているのでしょう。百寿の年になっても、雛人形を飾るときのウキウキした気持ち、楽しい気持ちが微笑ましく表現されています。行事を大事にされているご家族が目に浮かびます。

 

 

 

生きざまの澱を溶かして黄水仙

[ 宮城県仙台市 繁泉祐幸 ]

 

(評)暗闇から出(いず)るように咲く水仙の黄色にはっとしました。溶かすほどの生きざまの澱とは何でしょう。誰もが持っているものでしょうか。この世を生き抜くには、澱を溜め込んでいかずにはいかないのかもしれません。命の表と裏を考えさせられる秀句です。