Crazy Mixed Up World - The X-Pensive Winos | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
 
    Crazy Mixed Up World - Keith Richards and The X-Pensive Winos with Johnnie Johnson
 
 
またかよ? 
Madの次は Crazyかよ? 
 
まぁいい。
どのみち今の時代、
原子力発電というヒラキナオル人間の象徴によって
国の定めた基準値もアヤフヤな放射線による地獄への片道切符や
遺伝子組み替えの原料や作物の種に騒ぐ以前に
日本が世界トップで農薬に汚染されてるほどの
発展過剰な盆栽帝国の狭っ狂しい仲にいて
汚れていない新鮮な空気を吸って 
汚れていないきれいな水を飲めて 
食べたものも飲んだものも
きちんと出せて
汚れていない血液循環のその肉体を動かす心も魂も
汚れていないクリアな精神状態で‥
そういう当り前のことが当り前にできる正常な人間なんて
いるようでいない世の中が
1985年から何十年と経過しても
誰も変えられない始末・落葉松・十姉妹!
決して今まで通りには生きられないのに今まだ、そこいらで
 
   普通のヒトづらしてる者こそ異常者だよ。
 
わりぃけど。
 
 
あぁ‥またこんなことばっか云ってると 
今そこへせっかくアクセスしてくれたのに
もうどっかいっちまったヒトばっかになっちまうな
 
そんな話はどうだっていいんだ。 
自分のことは自分でやってくれ。
ただな‥そのうち世間で、
「この健康食品(?‥みてぇなもん?)を喰えば放射能汚染も安心!」 
とかなんとか腐った情報があふれかえる仲、
テキトーに老いぼれるのもひとつの人生。
 
   達者でな。 
 
自分と他人の区別・識別・判別もしっかりとした、そうじゃない方々は 
自分だけ基準に生きて死んで此の世が終っちまうような格好してる連中と
今まで通りつきあうこともやめて、 
テレビ・新聞を覘く毎日の洗脳社会も見限り、
みんなと同じようにやってりゃぁ安心・安泰だった常識も終って
みんなと同じようにやってると心身共に危険な世の中になってきたことにも
既にお気づきになられていることと想うので
そんなクソっ滓な学者風情が拵える程度のシロモノに頼る他力本願な連中や
そんなゴミ情報に踊らされる連中にかまってるヒマはない。
 
わりぃけど、おれは120歳まで生きるよ。えぇっ‼ 
決めたの。つい最近‥というか、この夏。
東京都のみなさんが遣う電力を供給するための、
地方の発電所の事故現場から全国へ拡がる放射能汚染によって 
雨風も穢される日本国土の片隅で
市営プールの監視員やってみて
大勢の子供たちが今後これからも
たのしくプールであそべるのか?
来年も再来年も
誰が今日ここに生きていられる有難さを実感できるのか?
って考えたときな。
自分たちで用意する地獄を
どこまでも見届けられない年寄連中より何倍も長生きして
明日こそは放射能なんてもんに負けない人間が
ひとりでも多く誕生する‥はずの、
世の中を確認してから死ぬと決めたよ。おれなりにな。
ああ?
おれが明日も生きている保証なんてどこにもない? 
 
  んなこたぁ、百も承知なんだよ゛っ!! 
 
便利さ快適さを必要以上に追求させる経済社会の教育常識で 
自分が産まれる以前から何でも用意され
食べるにも飲むにも事欠くことのない衣食住。
そこに誰のどんな苦労や努力が積み重ねられた世の中であろうと、
ヒトがヒトとして生きるって本質をなめた文明常識に流され、
原子力なんて人類の英知の敗北を
今なお誰もどうすることもできない時代に
まず基本的にテメェ様が
人類がこの地球上へ創られた当初に近くして
心身共に健全な人間であることを心がけてないとな。
 
  自分を救えない者が他人を救えるわけがねぇ! 
 
 
 
 
てなわけで(?) 
この曲は、かつて
ウィリー・ディクソンさんというひとが作ったリズム&ブルースのひとつで 
1959年に、リトル・ウォルターさんがレコードに吹きこんでいる‥
というデータがネット上にあった。
こういった類のアメリカの黒人音楽を海を越えたイギリスの地で
誰よりも聴きこんでいた若かりし日のキース・リチャーズさんが
1988年におそらく一度だけニュー・ジャージーのステージでカヴァーした一曲。
ゲスト・ピアニスト、ジョニー・ジョンソン!
 
  Crazy Mixed Up World by The X-Pensive Winos
 
このジョニー・ジョンソンというひとは何者なのか? 
我らがキース・リチャーズとどういう関係にあるのか?
マトモに書くと長くなるので簡単にしてしまいますが‥ 
The Rolling Stones のアルバム『Dirty Work』(1985)のしめくくりに入ってる、
Key To The Highwayという楽曲の一部。
そのピアノを弾いてるイアン・スチュアートという、
実質上ストーンズのメンバーが、この世を去る前に云っていた、
忘れるなよ。ジョニー・ジョンソンは今でもニューオーリンズでピアノを弾いてるぜ 
という言葉が頭の中をめぐっていた、かつて、
チャック・ベリーの楽曲は10代後半にすべてマスターしたというギタリストが
ある日、チャック・ベリーさんの映画を撮ろうよ!という仕事のとき
そのむかしチャック・ベリーさんのステージでピアノを弾いていたジョニー・ジョンソンさんも呼んで 
様々なアーティスト共演のドキュメンタリー映画をつくることになった1986年。
 
    Chuck Berry - Hail! Hail! Rock 'N' Roll / Soundtrack     Chuck Berry - ヘイル!ヘイル!ロックンロール(完全限定版 4枚組コレクターズ・エディション) [DVD]
 
そのリハーサルをやってる最中にキース・リチャーズさんが大発見したことは、
チャック・ベリーの曲のほとんどは、
クレジットされてないが、
 
  実はジョニー・ジョンソンとの共作だったのか! 
 
という‥まぁ、この話は1988年当時の数々の音楽雑誌等のインタヴュー記事や
Keith Richards 自伝『Life』にも書かれている。
日本版では522ページから528ページの間に詳細。) 
その後、自分のソロ・アルバム『Talk Is Cheap』のなかの4曲目、
 
     Talk Is Cheap / Keith Richards
 
I Could Have Stood You Up
という曲でジョニー・ジョンソンさんにピアノを入れてもらい、
ジョニー・ジョンソンさんの1991年のアルバム『Johnny B. Bad』の中で2曲、
 
    Johnny B. Bad / Johnnie Johnson
 
『Tanqueray』でギターを弾いて、Key To The Highwayでヴォーカルも演っている。
 
んで、そういった互いに尊敬しあい、
黒人にも白人にもわけ隔てない関係のキース・リチャーズさんの
自分の誕生日ちかい日のLive会場に 
ジョニー・ジョンソンというピアノの名手が来てくれて一緒に演奏したのが
 
  Crazy Mixed Up World by The X-Pensive Winos
 
この音源は今のところ市販のオフィシャルCDにはない。
当日の模様がオーディエンス録音された、やはり!音質のわるい、いくつかのBootlegと
1988年の‥そんな‥DVDなんてのもない時代に
 
  誰が撮ったのか?
 
ステージ上手【かみて】2階席あたりから覗いてるビデオ映像が残され‥何年になるのか? 
えぇっとぉえぇと‥今から何年前?
しかもそれらの音源は、どれもピッチ(曲の速さ)がちがう! 
録音可能なウォークマンのようなテープレコーダーを使って
アリーナあたりの席で記録されたらしき音源と 
当時のコンサート関係者の何者かがステージ上で隠し撮りしたような音源と 
先のビデオ映像の音源‥どれがモノホンの速度だったのか? 
そこで! 
 
  やってくれるぜ、おれのノートPC ‼ 
 
例によって(?)できるかぎりノイズを圧えるばかりか 
高域・中域・低域の三つに分解したWAVファイルで
ギターもドラムもピアノもホーンも各パートの音が左右にひろがるようにして 
さらに5分30秒を四つに切って
16Bitの44100Hzを基準に
遅いところへ速さを合わせるには42900Hzで
速そうなモノを遅くするには44700Hzにサンプリング周波数を変換して
数秒以下のコンマ単位で
音が一致するタイミングを捜して数時間!
三つの音源を前後に貼りあわせたような違和感が少しあっても
曲そのもののリアルな雰囲気はなんとか保つことができた! 
 
‥と、こんなことやっても 
誰がどう喜ぶという問題でもないな。 その手のマニアはべつとしても。)
 
 
ようするにだ。
その歴史や物語の原点がどこにあるのか?
それを形に残したかっただけだ。
個人的にな。 
 
世の中いま、年齢や性別に関係なく、
自分自身が何者なのか?
仕事でもなんでも
夢中になって取り組めるモノがない‥ 
というか、見つけられない、あるいは
見つけられなかった者ほど 
自分が今どこにいるのかさえハッキリしないような
現代日本人が非常に多くなっているのではないか? 
 
   「とりあえず、こうしとこう」 ?。 
 
    それでいいのか? 
 
人間として日々を生きる時間という限られた命が
昨日より今日は成長することを放棄して 
テキトーな知識のバケモノに完成されて出来あがるの?
 
   「まぁこんな感じで」 ?。 
 
   それでよかったのか? 
 
他人ではなく自分自身に対して、
嘘で嘘を塗り固める惰性なる日常?
 
 
   すばらしいじゃないか 
 
 
今日を生き凌ぐカネがあっても 
死んだあとは笑えずにクタバリ害うだけだろ?