木崎神社という
そのむかし 航海の安全祈願のために
港のスグ横にあった場所の
城跡の麓へ建てられた旧い神社がある。
8月18日 8時15分集合
そこで例年通り朝の挨拶。
この日 は ここ数年のいつもの年よりも
夏の暑さが それほどではなかったものの
それでも日中になると
太陽がいちばん高くにある時…
俺も産まれてはじめて見たんだけど
あれは 何という現象なのか?
空に太陽を中心とした虹のような光りの円が描かれ
そのまま太陽を見てしまうと眼がつぶれてしまうので
手をかざし その向こうに太陽を隠して見ると
ちょうど自分の手の周りに その不思議な円が見える。
作業中 だったので
ずっと長い間それが消えるまで見ていることはできなかったけど
....End of the Rainbow? August 01, 2008
夕方 帰るときに黒いカバンを持ちあげると
それまでそこで涼んでいたのか
わりと若い色をした一匹のでかいムカデがいた。
俺の鞄は 雑木林の木陰で
ふたつみっつの古資材の側溝がひっくり返された上にあった。
すかさず踏み潰してブチ殺してやろうと
逃げる姿を追ったけど
肉体労働のあとの疲れた足では仕留められなかった。18時20分。
その日 は荷物をまとめ そのまま帰宅。
翌日は朝から雨だった 。
日本海側の、しかも この孤島だけを局地的に大雨が襲う…
という勢いで強く振る雨の中
午前中の仕込みがつづき
ステージは出来あがっていても天幕を張る作業や
ステージ周辺の楽屋や楽器庫のテントの足場、
プレイヤーの通路などの組み立て、設置作業があった。
毎年、夏に もう20年(今年で21年目 )もやっていて
正直、(限界集落や高齢者の多い)島内に住む人間には
それほど関心が高いイベントではないにしても
俺自身、4年目の参加ともなると
この野外公演 の成功を祈ることが決して他人事ではない。
夏の盆明けの三日間。島の夜が最も熱く染められる。
観た人にしか判らないことかもしれないけど
単に祭囃子のように太鼓を叩いて終わるわけではない。
日本独特の演奏のスタイルやサンバなどのリズムのほかに
メロディもあり、歌もあり、踊りもあり、様々な楽器が取り入れられたパフォーマンスもあった。
それが 今どうして? というほど
日本人よりも海外の人間に人気が高い和太鼓を中心としたコンサート。
それもそれで####また、偉大なるアーティストのサポートにあたる仕事なので
俺自身が生きている自分の肉体を通して音楽に携わってることには意味がある。
もう既にはじまっちまったものを
途中で上映中断はできない。
誰も解らない結末を
何人かの残された者が
いつ、どこで、どんなふうに観るのか?
少なくとも、第二次大戦の世に生きた世代は
それを観ることはない。
この時代はもう決して、模索や試行錯誤ではなく
覚悟を決めて、腹をくくって
自分たちで用意した次なる過酷な…
ああ、暗れぇな。やんなっちまう。
ただ、今後この地球上を完全に不毛の地にしちまうのか?
あるいは天国と地獄の狭間を
いつまでも幻想のまま存続させられるのか?
そういう中で、気づいた者だけは
本来の人間の生きるべき道筋や道理を
次の世に残こしてゆく必要もある。
政治も宗教も秘密結社も大本営の残骸も
今まで通りにはやってらんなくなる。
最初に封切られたEpisode1とかの続編。
そのディレクターズ・カットは
途中で心ある者によるプロデュースで変えちまえばいい。
特殊効果やSFX、サンプリングは一切なし。
人間が産まれたままの姿で営む実像の記録。
その中で、フレームから切れる有象無象のエキストラ に終わるか?
もしくは主演の隣で脇役として光り輝くか?
俺は音響効果の手伝いに徹するけどね。たぶん。
2006-08-22 19:34:28
そしてその日 は
夕方から また雨がパラつく中
いつもの軽トラックを走らせて翌日の仕事へ備えた。
帰る途中…
海岸沿いを50キロで走行中の前方 5メートルほど先の道路の真ん中に
一匹のカエルの姿が見えた。
薄暗くなった場所にヘッドライトを照らすクルマが通るたび
その光の中に浮かびあがる虫の陰を追って
よせばいいのに道路の真ん中に現われるカエル。
避けられるわけねぇだろ。
たいがいのクルマのライトの下は高速回転するタイヤだ。
ガッ、ガコン!
わりぃけど 踏み潰してしまったよ。 殺る気はなかったのに。
そこで想った。
ムカデ一匹の命と カエル一匹の命は ちがうのか?
どうだろう?
こうして自分が生きていられることだけが
まず ありがたい とおもうべきで終わりにすべきか否か…