AS time is gone! (仮題:それは誰に与えられた人生なのか?)  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
格差☂ネタ:萌え方言は好きですか? に、参加中。一応な。  
    
    
佐渡地方全域にわたって、子供でも遣っている方言には 
「~だっちゃ」
という、モロボシアタル君の彼女の語尾のような云い回しがある。妻や子供は遣っていなけど。) 
噂では、地方から来て、この島へ移り住んだ若者には 
あのトラ模様のビキニ・スタイルに憧れたオタク系もいたりして 
「あそこにはきっと、ラムちゃんのようなカワイイ娘がいるにちがいない!」 
っちゅう、オメデタイ頭で、来てみると、
限界集落もいっぱいの、日本の縮図のような超高齢化の世界! 
海に囲まれた島には、たくさんの海水浴場があっても 
そこでビキニを着た島民よりも、その人生においては 
ナッパ服を着ていた時間が、あまりにも長い女性、かつての別嬪さんたちが 
どこに住んでおられるのか捜す手間も必要ないほど 
案山子の脇に、畦端のトラクターの影に、農協の建物のキャッシュ・ディスペンサーの前に 
至る所に存在していて、どの人も全国各地の農村地域のみなさんで 
申し合わせたように同じような服装をして歩いている! 道端の草を毟っている! 
どうして? なんで? 
「そういうとこなんだっちゃ!」 近所の婆さん。) 
    
そういう島国の中央に位置する蔵元の裏口の脇に
木でできたベンチがある。
昼休み、メシを喰ったあと、そこへ腰掛け、
空を見あげて煙草の煙を吹く。
観光バス6台収納可能な駐車場の脇。 
荒海の上から逆巻く風が吹きつける場所。 
俺はここへ来て、もう6年目になる。
そんな、ひとつの会社で働いた経験なんて 
これまでは5年未満だったのに、
「もう落ち着かないと…」 
などという周囲の言葉に耳も傾けながらも 
どうしても頭の中から離れない1998年3月に訊いた言葉と伴に 
寝ても醒めても俺の気が晴れることはない。
「死ぬときは一緒だって云ってるじゃない!」 
そう云って、あの人は俺の両頬を張り手で叩いた。
でも、西暦2001年の2月14日に死んじまった。
俺より先に。
ところが、俺の中では死んだことになっていない。
側近として仕えた5年間はおろか、10年以上も家族グルミで つきあいがあり 
人が人として この世に生かされるために 
交換条件のない愛が必要であることや 
生きることは限りなく義務の遂行でしかない事実を知らされた。
簡単にいうと、気づかせるという仕事でメシ喰ってたわけなんだけど 
ほんとうの意味で、その仕事が継続可能な人物は 
もうこの世にはいない…と想う。 
人間独り、その肉体の頭の天辺から脚の爪先まで 
その、衣服を身にまとい立っている姿を視て 
瞬時に、肉体の中身まで解ってしまう存在。 
電話の声をヒトコエ訊いて、相手が何者であるのかを
すべて説明してしまう存在。
自然界と人間の関係については すべて何でも知っていたので 
目の前の生命を活かすも殺すも自由自在。
普通のヒトならという基準を常識的に捉えた場合
そんな活殺自在のエネルギーの塊りに巡り逢うことはなくても、
実際に人間の姿カタチで存在してしまった事実があった。
世界中の人類、万人が己自身で
今の時代に自由へ解放する導きを見出すために必要とされていた存在。
太陽や水や空気とおなじく、
すべてのいきとし生ける命の育みを正気にただす存在。
神でもなく、Bodhisattva でもなく 
誰かが、いつかどこかで答えの出ない問題を心の外へ吐き出したとき 
すべて容易に応えることが可能だった存在。
要するに、創られた側ではなく、創った側だった。 
   
その人は、簡単にいうと、ある独りのオバサンに殺されてしまった。
…と、そういう云い方は昨日までの殺伐とした俺の解釈に過ぎないんだけど 
もっとハッキリいうと、そのオバサン以外の人間にとっては 
どんなにくだらなく想えることであろうと 
命に替えて気づかせることを実行した自殺ではないということだな。 
ところが、そのオバサンは今もって 
その愛に触れた事実を認められず、その愛には気づいてない…のかもしれない。
現に、それに気づけないために俺のもとへ『天書』を送ってはこない。
あれがないと完全なる『自然と人間の設計図』は完成しない。
いいか、よく読めよ。「自惚れるな!」とかの問題じゃねぇぞ。
俺が肉体あって、あの存在の死に際にも死んだ姿にも立ちあってない限りは 
唯一、この世で、まだ死んだことになってないんだ。
するってぇと、『人類意識革命』のつづきも、ちゃんとした『人間の設計図』も 
まだ書きあげられる可能性が残ってるっちゅうことなんだ。
わかるだろ。クスリで惚けさせられてねぇかぎりわ。
俺の中だけで終わってないわけじゃない。
今後の人類にとって未完成なわけ。
しっかりしてくれよ。目のあいてるうちに。
    
とまぁ、俺の日常生活の中では四六時中、
そんなことが頭ん中を巡りに恵ってるわけ。いつも。今でも。眠ってる間も。
べつに苦しくはない。俺が殺したわけじゃないんだからな。
そしてフミ殿の書いた『天書・全4巻』が ほしいわけでもない。
俺は俺なりに仕事をやり終えたいだけのこった。 
ほかの連中じゃ無理だろ。創られ方のちがいで。 
そいつらが、「かつての流刑地へ流されることを自ら望んで行った」とかなんとか 
勝手なことをぬかそうと妄想しようと関係ないの。
もう既に、今この地球上の人間の生息可能区域が 
ほぼ全域にわたって牢屋みてぇになっちまってんだから。
して、今はもう、あの頃よりも 
そういうことに気づきはじめた人間も増えてきてる。
事実は他のページをよく読まなくても、判るひとには判る。
それぞれが生かされるために、それぞれに与えられた能力の役割ってもんは 
これ以上、野放しにされたまんまでは収拾つかないわけ。
だからねぇ、病院で配られるクスリなんて呑んでるヒマねぇんだよ。
新橋のガード下で完成したツモリんなってるヨッパライじゃあるまいし。
    
    
さて、ここまでの内容は特定の者以外の人にとっては意味不明? 
意味不明な箇所が幾つかあっても、通じる人には通じている…と想う。
また、今は判らなくても、そのうち、今これを読んだ人のうち 
そういうことがすべて自分自身の人生に関係している事実を 
明日以降の時間の経過の中に…視えてきてしまう。
べつに恐くはない。
さいきん書いている内容の多くは自分の正直な気持ちや 
スグ先の未来に必ず訪れる事実だけだ。
俺ではなく、読んでいる人の心が何でも決めた通りになるように書いている。 
書いている…というよりは視通している。
ああ? 
「じゃぁ、アメリカの次期大統領選挙結果に
 ホワイトハウスへ移り住む人が誰か?」
って? 
そんなの知ったことかよ。
赤エンピツで競馬新聞にマルつけてる予想屋じゃあるまいし。
ああ? 
カフェオーレ に千円? 
やめとけ。 仏腫親子が世界経済を掻き回した傷跡を
ある程度キレイにできるのはウィリアムさんの奥さんだけだろ。 
そんなこたぁ どうだっていいんだ。ここは日本なんだから。
いま日本人ひとり一人が、この国際社会で 
今んとこは横一列に並ばせてもらってる先進国のツラ構えでも 
世界60億人ちかくもいる人類の一員の自覚があるかどうかだ。
ねぇじゃん! どこにある? 
ありゃぁ、とっくのむかしに、U2 やブラッド・ピットやマドンナにカネまわして たとえばな。) 
コンニチの腑抜けた日本のミュージックシーンや映像業界も建て直してるし 
こんな陰湿な犯罪に満ちあふれた滑稽な日本社会はないだろ。 
大人連中、全員、束になって自分という人間をボリッサ(Bodhisattva)風味に決めこんでやがる。
結局、鼻や口の穴にパイプ通して 
機械で空気や流動食を送りこまないと生存不能な状態になるほど 
自分の人生が他力本願寺の檀家のようになっちまってる大人がほとんどだ。 
そう、プレスリーとディランが伝えたモノや 
ストーンズやU2 が今なお失わないスピリットを
この日本に途絶えさせたのは 
YAZAWAさんや拓郎さんではない。
YMOマツトウヤケースケさん がわるいの。
あとの似たようなコムロだのガンダムの操縦士だのラップもどきだの… 
そういう、ボタン一発エフェクト銀ギラ銀バエさりげなくの、
巷の100円ショップに流れてるような着メロからおけ用・聞き流しミュージックなんてのは 
かつての反体制派からNHKの体制側へ乗り換えて 
己の守りを固めるだけのツルベ師匠の涙でも誘っときゃいい。
そんな安心感を誰もが茶の間で享有できるような時代は終わっちまったよ。
日本人として威厳あるオヤジが卓袱台ひっくりかえそうにも 
どこの家庭の大黒化粧柱も黙ってチャブだいだ。
そんな愛する妻子に無視干しにされてまで、今この国で 
なんのために還暦を迎えた団塊世代なのか? 
サンプラザさんもワイドショーの御免テイター席で笑ってる場合ではないですよ。
♪なんにもないけぇど、水でもどぉですぅぅ 
  折角きたぁのにィ、なんにもないィのでェ~っ、御免!
 
いや、俺のページにはあるよ。等さん。 
    
東京の真ん中から、この島へ移り住んだ夏、
残りのオマケ人生が人間として生きていいことを許された俺は 
自分から人間であることの自覚を獲り戻すために蔵元へ就職した。
それは最初、今のような杜氏さんの手伝いではなく 
年間 何千人と来島する大勢の旅行客を相手にする販売業務だった。
そこで見た大勢の観光客は、ほとんどが、
あの戦後日本の昭和時代を生き抜いた60代、70代、80代の人たちばかりだった。
仲には若いヒトや芸能人も多数ご来店がある。
新聞テレビ雑誌の取材も月に何本もあって 
蔵元の社長は昭和58年の春からずっと、年中無休で地酒一筋、
ある意味、体制側と闘いながらも世間並み以上の成功も収めてきた。
そして、交流人口を増やさなければ生き残れない島の
一企業の宿命、役割を担う中心として今の蔵元がある。
そこへ訪れる人の仲には、高齢者の団体旅行なのに 
母の日に一人、会社を休んでまで、つき添いで
年老いた自分の母親の足元を気にしながら
時間に縛られたバス旅行をするサラリーマンの姿もあれば 
互いに定年を迎え、火事も炊事も嫁か娘に任せ 
出かけるときには夫婦みずいらずで手を振る孫に見送られ 
近所の者は誰も見ていない旅行先で仲良く手を繋いで歩く二人連れもいる。
何千人という観光客が次々に蔵元の売店を通り過ぎる風景には 
高齢者なので、ほとんどの人が目立たず落ち着いた色柄の服装ばかりなんだけど 
長年にわたり自分で遣ってきた肉体の脳や心臓に抱える問題で 
どちらかの脚をひきずっていたり、杖をついていても 
九州、四国、関西方面や東北、北海道の地方からも海を渡ってくる人々には 
蔵元へ立ち寄られてみて、そこで酒が飲めない性分や体質であっても 
菓子や粕漬けの漬物を口にすることで 
家族や友人・知人に持ち帰る土産ひとつが想い出づくりではなく 
今日、さっき、今の今、「わたしたちは にここへ来たんだよ」ということが 
誰にとっても確かな想い出になる。 
写真を撮っても撮らなくても自由。店員に勧められる漬物の味は 
いつも自分が台所で刻んで食べているスーパーの品とはちがう。 
試飲できる酒の一滴の味も香りも、今そこだけでしか感じることができない。
    
そんな中、ある日、そういう観光ツアー会社の団体旅行客とは別に 
自分の家のマイカーで高額なフェリー料金を払い、島を巡る、
ある家族4人が、蔵元の売店カウンターに立つ俺の目の前へ現れた。 
小学生低学年の娘二人の姉妹と、母親と、その旦那さんだった。
その日、長距離のクルマの運転は、主にお母さんの仕事ということなのか 
父親は40代なかばだったろうか、なにか病気というよりは、
かつて大怪我をしてしまった身体なのか? 両脇に松葉杖を抱えて歩いていた。 
そしてその人は、最初から最期まで、ずっと笑顔で 
三人の家族に囲まれ、心から家族旅行を楽しんでいる様子だった。
「ねぇ、お父さんも飲んでみたら?」 
「そうだよ!飲んでみてよ!」 
「大丈夫だよ。クルマの運転は お母さんなんだから」 
「どうぞ。飲んでみたら?」
 
その明るく朗らかな3人に囲まれる男の人は 
障害を負った身体で、どんな仕事をしている人なのか? 
そんなことを店員が尋ねる隙もなく、
普段の生活では飲みなれない地酒の珍しさだけで 
その家族にとっては、目の前にある酒の種類や
それぞれの味のちがいなど、もうどうでもいいという愉しさでいっぱいの、
そんな様子だった。
俺が気にしない限りは、なんでもない普通の家族の姿だったのかもしれない。
でも、その人は、自分の足腰が杖なしでは完全に歩行がままならない身体なのに 
照れ笑いひとつ、試飲カップに ほんの少量そそがれた酒を
自分の舌で味わう顔ひとつ、すべてにおいてが、ずっと笑顔のままだった。 
次の瞬間、俺は、その人を恐いと思った。
誰も俺に何かを云ってきたわけではないけど 
その時の俺には、その人の全身から、俺に対して 
「お前は何者なんだ」
そういう存在理由を問い質される気配を
俺が勝手に感じていた。
「お父さん、どう? どんな味?」 
「おいしい?」 
「うん、おいしい。」
 
そんな、なんの偽りもない笑顔で逞しく自分の家族を守る男の姿を 
俺はそれまで、実際に自分の眼で見たことがなかった。 
どうして? 身体が不自由なのに? 
常に誰かに助けられていないと、自分の足では地に立っていることも大変なのに…  
もうねぇ、涙をこらえるので精一杯だったよ。
レジの前で。
なにも買ってくれなくてもいい。反対に俺がカネを払いたい気分… 
いや、失礼。いま想うと、あの人間らしく、最近の人間を超えた家族の姿は 
カネや品数そろえた高級酒の価値にも及ばない。
俺が今日、杜氏さんの仕事を手伝って造りあげられた、どんなに精魂こめられ 
水と米の息吹を吹き込まれた生き物である酒の味も 
あの笑顔が味わった味とは、まったくちがう。 
    
もしも今でも俺に家族もなく、独り身で 
今のように妻も子もない日常が朝から晩までつづき、
自分の好き勝手にできる自由な暮らしぶりなら 
食事も自炊未遂のコンビニ三昧。どこかで適当に働き、
その通勤のクルマを運転するにも、免許があっても無謙虚運転。  
自分の行く手の雪道に、紅葉マークを付けたクルマがのろのろと走るもんなら 
そこに笑顔のかけらもなく、相かわらず殺伐として 
「退けっつーの、ジジイ!」とかなんとか唸って 
自分の肉体の疲れをクラクションを鳴らしまくることで発散していたかもしれない。
それこそ、一年中な。 
人間、意識せず、常に感謝の気持ちが自然体に心に芽生えて 
どこへ行っても何をやっていても、いつも、どんなときも笑顔でいられるなら 
そういう人生こそが、決して理想ではなく、本物の人間の姿かもしれないな。 
誰かに何かを要求したり、されたわけでもなく 
自分で自分をごまかしたチンケなカラクリに追い回されることもなく 
スグそばにいる誰かが、いつも安心していられるように 
そこに、なんのためらいも、わずらわしさもなく… 
ただただ… 
今日ここに生かされている事実の有難味を語る、そんな必要ないほど。 
    
こんな俺が、あと何年、この世で肉体を持って生きられるのか?  
    
    
    
    
     今日の一曲。 
    
    お辞儀をしましょう  ~ Don’t tell me why ~  by Tetsuya Itami 2008
    
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