You just keep me hanging on …そして終わりなき旅。 archive  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

クチコミネタ:朝は、音楽×○○!

クチコミ番付参加中

 
 
    ある朝の一曲。
    
     Perfect Day  by Lou Reed
 
     
 
     Perfect Day varoius artists     BBC Music Trail
 
 
 
 
酒蔵へ入るときは納豆を喰ってはいけないことになってる。
納豆の菌がモロミの醗酵に影響して
酒をおかしくしちまうらしい。
歯を磨いても、もしも衣服や皮膚に
納豆菌が付着していては大変なことだ。
だからこの時期、10月~3月までの半年間は
朝ごはんに、納豆、厳禁。 
   
俺の場合、おかずは納豆だけで何ヶ月も大丈夫だけど
たとえば、
打楽器奏者のアッシュさん は納豆が嫌いもキライ、大嫌いなのか? 
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50641247.html  2006年10月02日
世の中、納豆については、
「好きでも嫌いでも どちらでもない」という人は少ないかも知れない。
最近の市販の納豆は
当然の如くパック入りで、ヘンなタレと黄色い“からし”が付いてるけど
あれは全部、機械で造ってるんだろうな。たぶん。
昔のようにワラやカンナ屑のような木に巻かれたヤツは
巷のスーパーでも めったに売ってない。
   
この自然界では 
偶然が必然を産む人間の営みの中で
納豆を発見(発明ではない)した人はスゴイと思う。
「腐った大豆を喰ったら旨かった」ということなのだろう。
ワインもヨーグルトも、そういう意味では
人間が少しずつ少しずつ、自分の好みを追究させて 
他人へ食べさせたり飲ませたりしても喜ばれるモノを
親子代々に継承させてきた結果なんだろうな。
そこには“家庭の味”を越えて
春夏秋冬の移り変わりの中で
その地域のその場所でしか造れない物があって 
しかも、伝統というのは技術や教えではなく 
造る人自身が感じとれるセンスとバランスが
自分が今、「これでOK!」と判断した瞬間なんだと思う。
そういうことは芸術や文化とか
天才や特殊技能ということでもなく 
今日の自分が人間として生きている証のひとつなんだよな。
   
佐渡の俺が住む畑には、梅の木が二本ある。
大きい梅と、小さい梅がなる二種類の梅の木。
昨年と今年は、その梅を秋口に収穫して 
蔵元の杜氏さんにもオスソワケしている。
それで梅酒を作って、ひと瓶わけてもらい、
俺の妻はその梅酒を大事に飲んでいる。
全国新酒鑑評会6年連続金賞受賞と
かつてオーストラリアのワイン工房での日本酒づくりの経験もあり 
モンドセレクション でも賞を戴いている杜氏さんがつくった梅酒。
材料は同じでも、妻が作った梅酒と
杜氏さんが作った梅酒は、味がぜんぜんちがう。
なんで? どうして? 
って、あたりめぇだよな。
センスがちがう。
材料を混ぜ合わせるときのタイミングもちがう。
飲めるまで落ち着かせる時間とかを
“考える”ということもないと思う。
すべてのバランスが適当な判断で
それが誰にも真似のできない味になるわけだ。
   
人間の持って産まれた能力というものは 
年齢や経験とか 
努力したり何かを突き詰めて勉強したりしても得られるモノではない。
栴檀は双葉より芳し。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003358652.html
   
俺は佐渡へ来て、そういう本物の職人の方々と出逢えたことに感謝しているよ。
こんな人間が (たかだか40年しか生きてないけど
奇跡というよりは
「いつ死んでもいいな」というほどの気持ちにもなれる。 (別に死ぬ気はないけど
   
自分にしかないモノ、自分にしかできないモノ。
かならず、なにかひとつくらいはあるもんだろ。
ただし、肉体的にも精神的にも健全さが基本だけどな。
    
要するに、そういう物事の道理(食材の性質など)をよく理解している人というのは 
“ものづくり”においての“手際の善さ”…
センス、タイミング、バランスの見計らいってことが 
我々凡人とは格段の差があるってことだんだ…よな。
それを世間は、「鉄人」だの「天才」だの「アーチスト」だのと呼んだりもしてるけど 
当の本人にしてみりゃぁ、口には出さないものの、
「あたりめぇなんだよ。」ってことだと思う。
   
物事の道理、基礎、基本を踏まえて 
何も形のないところから出来あがるまでの過程をイメージして 
ある程度の完成した状態までも、作る前から視えている。
   
あのねぇ、“パーフェクトに近い”ってのは、
そういうことなんですよ。 (誰に云ってる?
音楽の作詞作曲や文章の創作、絵画、フォトグラフ、
彫刻、建築、舞台、映画、ドラマ…
なんでもそうだよ。
形のないところから形にするってときに働く人間のエネルギーってのは
理屈で云って申し訳ないけど 
心身ともに健全で充実してる瞬間が豊富であればあるほど 
ある一定の瞬間に神の許しを得られるってことだ。
    
魂の問題。
心から涌き出た情熱の破片みてぇなものが 
ひとつひとつ順序よく (順序よくってのも、あとになって判ることなんだけど
組み合わされて、それがいかんして
大勢の者の心にキャッチーであるかどうかだ。
「今さえ面白ければそれでいい」なんてのは流行り廃りの飾りもんでしかない。
「それは面白い! それで行ってみよう!」
てな感覚が感性だとか才能なんて思ってるうちはアマちゃんなんだよ。
ただ面白い、面白くするために何かを何かでごまかし、
捏造して嘘で塗り固めて本物のように見せかける。
現代教育そのものじゃん。    
    
               
November 03, 2006 の日記ブログより。  
    
    
    
    
    以下、この記事のコメント欄より。  
    
    
■子供の頃は
僕はギターを習った事が一度もありませんでした。
どうやったら音が出て、
どうやったらこんな風に弾けるのか。
小学4年生の時、拾ったギターで「Jumping Jack Flash」や「Satisfaction」を弾いた時に、
簡単な曲だなぁと思いました。
その頃は練習さえすれば何でも弾けたのです。
そしてその頃作った曲を24歳まで新宿アシベで演奏していました。
これは自慢話ではありません。
「形のないところから形にするってときに働く人間のエネルギーってのは
理屈で云って申し訳ないけど 
心身ともに健全で充実してる瞬間が豊富であればあるほど 
ある一定の瞬間に神の許しを得られるってことだ。」
こんなみなみさんの言葉に大きく頷いてしまい、
僕の経験を書いてみました。
その後、テクニックは磨かれていったのは間違いありませんが、
あの頃のように、音が湧き出る経験は二度とありませんでした。
みなみさんのおっしゃるところの、
「魂の問題」ですね。
歳を重ねるにつれ、健全な精神を取り戻したいと切に願ってしまいます。
現在の境遇から脱出して、ギター一本抱えて過ごす毎日に憧れています。
定年退職するまでは実現しそうもありませんが。

さーちゃん 2006-11-05 21:41:35
 
    
    
■ Re. 子供の頃は 
人間の持つ潜在能力。ひらめき。インスピレーション…
そういう言葉での表現もいろいろにあると思いますが 
印象的なメロディやフレーズ、
「…ああ、ここんとこはどっかで聴いたことあるな」
「これ、前にも視たよ!」
という瞬間は、聴く人がはじめてでも 
作ったり書いたり撮った人が、はじめて感じた瞬間と 
おそらく、限りなく近く、つながっているもんだと思ってます。
それが要するに、大いなる力、神の力、神の存在の証でもあり 
そしてそういうことがたとえば
ステージの上で燃え尽きるように 
大勢の観衆と大いなる力、エネルギーを共有してしまうアーティストもいる。
    
ロックンロールが多くの若者の心に伝達したモノばかりでなく 
クラシックにもジャズにも演歌にも…かつてはあったはずです。
今は…ない・に等しく、メディアというモノが人間の精神を破壊している。
映像芸術も音楽の世界も 
聴く人も演奏する人も、自分自身の力で感じ取れるはずのモノを
機械に頼り、数字をあげることに追われ 
「ああ、な~んだ。パクリなんじゃん!」とか言われる結果に至ってる。
パクリでもいいんですよ。
それが自分に嘘をついたような間に合わせではなく 
自分が本当にやりたくてやったことなら。
    
しっかし、納豆の話がなんでこんな内容になっちまったのか? 
high(灰)になった瞬間のエネルギーってのが
書くときにもあるように…と、意識してるわけじゃないんですよ。
自分で云うのもなんだけど。

みなみ 2006-11-05 22:50:24
 
    
    
■お元気ですか?
いつも拝見してます。
みなみさんの言葉にはエネルギーがたくさんありますね。 
時々読んでて鬼気迫る時あります。
僕なんか自分の事しか書いていない、いい加減なログで申し訳ないなあって、ちょっと思う。
ところで納豆ですね。
僕が若い頃東京に遊びに来てて友人宅へ泊まって、
翌日の朝、カレーライスをくれたんです。
・・ところがカレーと思っていたのが、なんと納豆だったのでした。 
最初の納豆との出会いはショックでしたね。なんせ「納豆ライス」ですもん。
山盛りの納豆・・とにかく食べましたが、それが原因で納豆嫌いになりました。
味が嫌いではないのですが、
納豆を見ると無理矢理食べた「納豆ライス」を思い出し、気分が悪くなるのでした。
でも、みなみさんが「食べてね」って言ってくれたら食べれるかなあ・・? 
少しなら(笑)

アッシュやまだ 2006-11-06 03:53:03
 
    
    
■ Re. 納豆ライス 
カレーライスに見えるほど…というのは
そうとうの量だったのでしょうか? 
     
おそれおおくも、いつも読んでいただいて恐縮です。
10月29日のライヴ、今回も仕事の都合上、お邪魔できませんでしたが
“宣戦布告”に挑んだNixeさんのページも読ませて戴き、また 
アッシュさんの分身(?)としての音源が 
舞踏界に起用され、ボストンまで連れて行かれることなども知り 
「大いなる力により見せかけだけの世界が着々と崩壊していくぞ!」
という喜びを感じております。
    
たいしたこともしていない自分が
こんなことを云えるほどの者でもありませんが
自分自身、“何もない”自分を常に忘れず 
時には音楽、時には芝居、演劇…(その他 略。)という、
芸術の枠を超えた、神に許された人間の“ものづくり”。
形なき場所から形あるものが創造され、表現される瞬間。
そういう、“何かある”方々から多くのエネルギーを分け与えて頂き 
それをできるかぎり、別の魂へつなげるべくして 
次なるエネルギーを放出する…したい…というのが本音です。
    
人間として生きていることが辞められない。
この一年、アッシュさんと哲也さんからは
たくさんのことに気づかせて戴きました。
これからも宜しくお願いいたします。
絆創膏・・・・みなみ まさあき   2006-11-07 16:43:34
 
    
    
■いいですね!
「何もない」ということ・・これ、すなわち
「自分をカラにする」ということですね。
素晴らしいと思います。
常に自分の精神や心を解放して、いろんなものを受け入れられる状態でいるのはむずかしいです。
若いと「オレが!」って感じで閉鎖的。
歳をとると保守的になってしまうしね。
いつも心をからっぽにし、良いものは何でも受け入れるようにするのはいいですね。
それがみなみさんを通して新しい形となって世の中に出ていく。
そうやってみんなが付き合っていけたら、世界は素晴らしくなると思います。
こちらこそ、これからもよろしく!

アッシュやまだ 2006-11-07 21:53:02
 
    
    
■ Re. いつも心をからっぽにし、良いものは何でも受け入れるようにする
いや、そこまで「空」(カラ)の大切さを強調されると
果たして自分自身は、ほんとうに?
と思える日常ばかりで
たとえば最近の市販の納豆の味にも疑問は山ほどありますが
「これを右へかき混ぜるのと
左へかき混ぜるのでは、どっちが美味いか?」
そういうふうに考えたりもしてしまい、
名前の通り、「おおあき」でもなく、雑念も多い。
あくまで、
「できることなら、そうありたい」
という意味なんです。
 
ただ、不思議なんですが、正直に
最近のアッシュさんのページの内容には
決して「読みにくい」とか「ちょっと待てよ…」
という気持ちを抱かなくなりました。
ちょっと危険な云い方になるかもしれませんが
世界中あらゆる分野のすべてのアーティストの本心…
(本来なら心の片隅にあるはずの気質、気立て…というか…)
のように感じています。
もっとも、そういうところへ素直に(?)到達できるまで
いろいろと時間がかかってしまう人たちも多いかもしれませんが
たとえ、ごく一般の最近のサラリーマンや定年後の生活に不安がある人も
自殺予告を文部科学省に送りつけるイタズラ坊主にしても
「オレは何なんだ!」の壁を乗り越えられる道があることが
アッシュさんのページ に在ることは確かです。

badlife 南 大空  2006-11-07 23:45:38
 
    
    
■回り道
僕も回り道していますよ。 なかなか直線では生きていけないです。
いつも迷って彷徨っています。ただ真剣ですけどね。真剣だから迷うのかもしれないです。
本当に確信できる道をみつけ、なおかつそこを歩けるようになるには、
相当の努力、失敗、苦い経験などを乗り越えていかないと出来ないですね。
きっと僕は一生彷徨いますよ。命懸けで一生懸命ね。
回り回って、最初に戻ったっていいじゃないか! 
それが真実なら・・。
そう思っています。
アッシュやまだ 2006-11-08 20:45:39
 
    
    
■ Re. 回り道 
くだらない妄想ですが 
ときどき、あと10年はやく産まれていて
TETSUYA ITAMI ファーストアルバムで
ドラムを叩いていたアッシュさんや 
新宿のターニー・ユルスという方の芝居小屋で
LIVEをやった瞬間も観てみたかった…などと思ったりします。
「今ここに出逢えたんだから、いいじゃないか」って、そうも思いますが。
長かったです。
伊丹哲也をカムバックさせる会 ”というのは
冗談に今はじめたことじゃなく
自分の中には20代の頃からずっと
「俺が役者になった暁には
水曜深夜のオールナイトニッポン(ラジオ番組2時間枠)
を乗っとって、必ずそのコーナーを作る!」
という夢がありました。今もあります。まだ捨ててません。
できることなら…。マジメな話。俺もバカですが…。
最期の最期に
「つまらない人生じゃなかったよな」ってことを確認したい。
そういう気持ちもあり 
それぞれに原点は ちがうかもしれませんが
そう簡単には完結されない物語の主人公 = 自分の人生。
終わりなき旅、ですね。

バンソウコウ男 2006-11-10 00:31:45
 
    
    
■何度もどうも!
僕がやってたバンドで一番長かったのが伊丹とのバンドで、一番思い入れがありますね。
熱いライブとレコーディングを二年間一緒に彼と体験出来ました。
新宿の芝居小屋のライブ、知ってたんですか? それって10年ちょっと前ですよね?
伊丹復活ライブだったかな。 その時も一緒に演奏させてもらいました。
誰もが「この勢いでいく!」と思っていたけど、なかなかうまくいかないですね。
なんせ伊丹は僕が世界で認める唯一のシンガーだから、
みなみさんと同様、多くの人に認めてもらいたいという気持ちは強いです。
その思いはいつか人に伝わると信じていますが。
お酒造りもブログも気合い入ってますね。
凄く好感が持てます。 ちょっとログの文章が長いと思う時もあり、読むのに根性使いますが・・(笑)
軽いログの流行ってる時代です。
本音が書けない人も多いです。頑張っていきましょうね。
ラジオのパーソナリティーですか?
なれると思います。きっといつかは。
佐渡島に有線放送を開設してやっちゃえばいいのに、、。
なんて軽く言いましたが、実際田舎でやってる人はいますね。
健闘を祈ります!
アッシュやまだ 2006-11-10 21:38:57
 
    
    
    
    
    
     »すべての内容をよむ 【Read More】  
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    lismo     king