♪ ワタシ、タバコ、ヤメナイワ | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

    走 れ ス モ ー カ ー   前回の続き (と オマケ / mind resolve ; chapter 009



 三人が担路へ転げた次の瞬間、それまで陶酔していた筈の若い二人の男は、怒号と
共に青年に殴り掛かって来た。青年は謝る間もなく、頬を殴られ口の中を切り、目元
を打たれ鼻血を流し、腹を蹴られ蹲り、着ていたシャツもビリビリに裂かれた。
 然し、彼も黙ってはいなかった。謝罪も訊かず、唯、加減なく暴行を加えて来た事は、
仮にその筋の稼業に繋がりあったとしても許せなかった。
 青年は爆発した。
 そして、雨は激しく降り乱され、天空は迅雷を轟かせた。
 疾風の中、その激怒による猛撃の脅威は最早、人間を越えているかの様でもあった。
が実は、幼少の頃から空手と槍術を嗜んでいた事が身を守る結果となったのか、いつ
の間にか彼は、壊れたモップの柄を八雙に構え、息を切らし、雷霆の中に立っていた。
 短くも長き凄烈な時を経て、そのぎりぎりの所で、遜色した己に気づいた彼は神魂に
導かれた。そして、どこから拾い上げたのか、握り締めていた木刀を投げ捨てた。
 そこには、青年に屠られ、血反吐を吐きながら蹲踞する二人の姿があった。
 にも拘らず青年は槇き苦しむ彼等に詫を入れながらも、一方が履いていたサンダル
を拝借し、それを履いてその場を立ち去った。
 云う迄もなく、彼は再び走っていた。
 走っている間、青年は「あの酔っ払いの二人組より自分こそが、卑劣で胴欲な精神に
身を委ねた存在である」と、自分の貪婪さを嘆いていた。
 矢張、まだ彼の中には、「タバコを吸いたい」という欲心から生じた苛立ちや衝動
の勢いが、この明け方近く迄も残っていたのか。その反面、
「己を知らなければならない、絶対に遣り遂げなければならない」という自己の追及を
惜しまず、自分に立ち向かおうとする心情の内にある、その葛藤の半分は単なる意地で、
もう半分は恒心の堅実さを超えた信念であった。
 軈て、雨足は遠のき、それまでの激しさが嘘の様に、風も和らいだ。そしてその頃、
早くも夜が明けようとしていた。曉雲の合間から、その姿を現わした許りの幾つかの
星も、もう行こうとしていた。漸く、青年はその街の駅前へ出た。そして見た! 
 朝靄の立ち籠める旧いバスターミナル。そこから、約、百米向こうを見届ける青年。
喜色満面の彼の目には、溢れん許りの涙が込み上げていた。
 彼が見た物…。そう、煙草の販売機である。
 それは自動切符売り場に並ぶ駅の売店、その軒先と花屋が隣接する間。そこに、
小さく、小さく設置されていた。
 青年は、そこを目掛け、全速力で走った。最早、睡眠を取っていない疲労感などは
なかった。たったそれだけの距離を、泣きながら、走って走って走り抜こうとした。
 然し、又も青年は、突然の不運に見舞われた。
 突如、建物の脇から跳び出て来た新聞配達の自転車に撥ねられてしまったのである。
配達員は中年の女性だった。その時、青年は足を挫いた。処が酷薄にも、彼女は転倒
したその場で足を押え、苦しみ悶える青年に罵声を浴びせ、去って行った。
 青年は足てなかった。
 後、三〇米。
 彼は、積悪の報いを祓い除ける様に、目的地に向って這って行った。
 後、五米。…この時、彼のジーンズのポケットからライターが摺り墮ちた。
 青年は、最期の道を跋渉し、聳える煙草の販売機へ辿り着くと、釣銭口に手を掛け、
そこに縋って足ち上がった。その時、彼の脳裏に、ある一つの杞憂が過った。それは、
あの小癪なランプの事である。販売機に膚接する青年の顔には、不安の色が滲み出た。
けれども、喜ばしい事に、何故か、あの忌々しい売切れランプは点灯していなかった。
 販売機にしがみつき、それを確認した彼は、ホッとすると同時に、ここ迄来た甲斐が
あった事を思うと感涙を抑えられず、喜びで胸が一杯になった。
 こうして青年は、その感動に手を震わせながら、数枚の硬貨をコイン投入口に流し
込んだ。そして、好みのボタンを押した。
 煙草が出た。ハイライトであった。
 販売機も、一夜の雨に打たれ、一面に砂埃で汚れて真っ白に乾いていた。
 彼は、その側面を背凭れに、崩れる様にその場へ坐り込んだ。そして取出し口から
煙草を遙み出すなり、それに接吻した。
 青年は笑った。その姿に、道行く者が怪しげな視線を送っていた。
 嗤い終わって、彼は、緩とセロハンを剥がすと、そこから一本、煙草を摘み出した。
 この時の青年にとって、白い一本の煙草は何よりも大切な物に思えた。そして彼は、
その限りなく美しき一本を、燥いた唇に挟むと、薄汚いジーンズのポケットの中から
取り出した物で、徐ろに火を点ける仕種をした。
 処が、火は点かない。
 それもその筈、彼の手の中に在った物。それは紛れもなく、その日の未明、鉛筆で
突き刺した跡のある、あの、消しゴムであった。
 「無念!」 
文弱した青年の頭の中には、その二つの文字だけが無数に飛び交った。
 然し、彼は思い直した。
「下宿を出る時、確かにこのポケットにライターも入れた筈だ!」
 彼は他のポケットも探りながら辺りを見回した。すると五米程手前、自分が這って
きた路上に朝陽に輝く物が見えた。正しく、彼の百円ライターである。
 青年は持っていた消しゴムを、その名の通り「ゴム消えろ!」と云わん許りに投げ
捨てると、煙草を口に咥えた儘、再び路上を這いつくばり、輝けるチルチルミチルを
獲得した。そしてその儘、その場に仰向けになり、清々しい晴朗の秋空を仰ぎながら、
咥えていた煙草に火を点けた。
 微かに、煙が目に凍みた。
 新涼に包まれた青年の唇から、緩と吐き出される白い煙。その煙が消え行く蒼茫な
色を見詰めながら、彼は、過酷で壮絶な櫛風沐雨の一夜を送った事を胸に、
「これで絶対、タバコを止めよう…」
と、決心した。
 その頃、始発列車のベルが鳴り響き、新しい朝を物語っていた。

                              
 翌年、春を迎えた青年は、志望大学を受験せず、たばこ会社に就職、現在に至る。


                        完


《 アンケート 1 》

煙草をお吸いになる方で、ここまで読んできた時間、
何本の煙草を手元の灰皿に揉み消しましたか?
答えはコメント欄に記入してください。
(これは図書券等の謝礼を渡すリサーチ調査ではありません

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《 アンケート 2 》

煙草をお吸いになる方で、最近の煙草のパッケージに記された厚生省の記述は
何種類あると思いますか?
また、そんな見掛け倒しにカネを掛けるより、
もっと煙草の値段を安くしてもらった方がいいと思いませんか?

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《 アンケート 3 》

♪ワタシ、タバコ、ヤメナイワ・・・という歌詞ではじまる、桃井かおりさんの曲。

聴いたことがある人は手を挙げて!



《余 談》 ~ Mind Resolve ; Chapter 009 / teach me please, a way of my life ?


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        match501

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1998年春、スイスの銘柄で”MATCH501”という煙草の輸入が制限された。依頼、
それまで販促用にあった景品の灰皿やステッカーは時々見かけることもあったが、
結局、輸入は禁止され、その姿形は どこのタバコ屋にも消えてしまった。
その煙草のフィルターには白い砂のような物(石灰のような硬い石)が入っていた。
それはキャビンとかに入っている黒い粒(活性炭か?)とは違って、
煙の粒子に含まれる有害物質を吸い込んだ人が少しでも体外排出しやすいようにと
考えられた一つの心配りだったと思う。
「何とか沢山 売れて儲かるように!」と、その工夫にカネを掛けて
おかしく味を調えてみたり、無駄に宣伝しまくってみたり…という日本とは違って、
スイスという国は、”人々の健康”というものを本当に大切にしている国で、
自分達で生産する物に見掛け倒しの変なメッセージを印刷するようなことはしない。
さすがはWHO本部があるだけあって、煙草の製造元にしても
喫煙者を対象とするばかりでなく、そうした配慮がなされていたのではないか・と思う。
そんなことは当時の厚生省もJTも知ったこっちゃない。
どんなに様々な種類を輸入して、テスト販売にどんなにカネを掛けようとも、
サロクことができなければ とっとと引っ込める。
売れ残った物は全部回収される。・・・回収されてどうなると思う?
ぜんぶ捨てちまう。もったいねぇ。
これは近所の煙草屋のオバサンに聞いた話だが、
例えば煙草を販売する店が何らかの事情で販売権の名義を変更する際、
次の許可が降りるまでは その煙草屋の煙草は全部、回収される。
販売機があれば販売機ごと全部、回収される。
そこに委託問題とかも絡んでくるみたいだけど、
看板さえも片付けて店の中に煙草は一本もない。タバコ屋なのに。
たとえ今まで売っていた人と同じ人間が店先にいてもだ。
で、その回収された煙草は全部、捨てられてしまう。・・・もったいねぇ。
では、国産・輸入物を問わず、そこに掛かったそれまでのカネ。つまり、
製造や輸入する際に掛かった費用とか、それは一体どうなっちまうんだ?
税金だぞ税金。
そんな簡単に捨てちまっていいのかよ。

.

もっと早くにそれを知っていたなら
もっと過激な抗議行動に出ていたかも知れないが、
当時はまだ「買って吸っている者が少ないとはいえ、
一国民の嗜好を勝手に取り上げてしまうというのは許せねぇ」などと、
ないのは判っていながら、はじめて立ち寄るタバコ屋では必ず、
「マッチ501ってある?」と尋ね廻った・・・。
そういう小さな抵抗しかできなかった。
誰が?って、俺が。
…これも一つの運動・とは云いがたいが、例えば同じような運動(?)で
嫌煙権を主張する輩も世の中にはいる。
防塵マスクを被って、アタッシュケースにはデッカク禁煙ステッカーを貼って
白昼の横断歩道を歩く人。スーツ姿で。それを六本木交差点で見たことがある。
新宿などで新聞配達をしてる名物オジサン、タイガーマスクをはじめて見た時の、
そんな嬉しさはなかったが、それを見た瞬間、
「”生きる”って大変だなぁ…」と、つくづく、得意の煙草を吹かしながら思った。
俺が25の時、芝居のレッスンを受けていた映画監督から、
「太郎!(当時のニックネーム)おまえ、役者になるつもりでいる奴が、
タバコの一本もロクに吸えないザマでどうする。今日から練習しろ。
それくらいは買えるだろ・・・」などと云われ、
鶏冠にきてバンバンと吸ってやった。
見事、今でも止められない。訳あって役者はやってねぇけどな・・・。
別に斉藤監督がわるいわけじゃない。
最期に受けたレッスンの日には「太郎、おまえ、役者やめるな」 とも云ってくれてたし。
それまでは側で親が吸っていても、
「そんなモン吸ってる奴は人間じゃねぇ!」とか唸ってた。
最初に『走れスモーカー』を書いた当時は
学校のトイレで隠れて喫煙してる友達に対しても、
「おめぇ、今から吸ってたら背が縮んじまうぞ。女にモテなくなるぞ」とか、
「先生に絶対に見つからない方法があるぞ!」
「なになに?」
「吸わなきゃいいんだよ」とか馬鹿を云ってた。
今は、自分の側に子供がいる時は常に気にしている。吸うときは距離を置いてな。
仕事においても、冬場、酒蔵で酒造りの仕込みを手伝っている時も
指に付いたヤニ跡を取るために必死になって手を洗う。
でないと煙草の臭いが全部、酒米や麹に移ってしまう・・・というより、
酒造りの蔵という神聖な場所が穢れるようで自分で自分が許せない。
例えばそれは寿司屋にしても同じだろ。裏でモクモク吸ってる奴が握る寿司が食えるか?
そういう意味では、食い物や飲み物を造る職人と芸術家(俗に言うアーティスト)は
全然ちがう者だ。だからキースは、マルボロ咥えてギター弾いていても、
それはそれでずっと変らないでいて欲しい。でも、”回らない寿司”の人は駄目だぜ。
そういう人ほど包丁で指つめることもないだろうけど。
・・時々、指が廻ってる回転寿司。明太軍艦ではない。・・・そんな店はねぇよな。
とにかく、杜氏さんも頭もぜんぜん吸わないから(そんなモン吸ってたら金賞は取れねぇしな)
冬場は俺も一日に吸う本数が限られてくる。
確かに煙草でいいことなんて何にもない。くせぇし。
蚊に刺されて、そこんところをちょっと煙草で炙ると、ツーンと毒が焼ける感じがして
その後はまったく痒みがなくなる。これは何の、どんな薬よりキキメある。
でも自分の身体ならいいけど、自分以外の他人様の身体に もしも火傷でも負わせたら、
これは傷害罪。鍼灸師法違反(これはねぇか・・・)。
あとは役者が芝居の稽古や演技の上で役に立つくらいで、
そのほかには何もない。(食後の一服とか、うめぇけどな・・・これは重要か)
吸わなければたぶん、ラーメンの味ももっと美味いと思う。前田さんも云ってた。
「だったら止めればいいじゃない」
と云われるけど、止めてどうするよ、そこから先は・・・。
まぁ、ヤニ中毒であるか・ないか以前に、煙草を吸うという行為には、
なぜ「吸うのか?」という疑問に対して大きく分けて二種類の人間がいる。
ひとつは格好をつけて吸っているだけの奴。な、はたで見てても全然にあわないだろ。
カッコつけてマルボロとか吹かしてる。・・・おまえはキースにはなれない!
俺はラッキーをやってる。今までアンラッキーなことばっかりだったけど。
もう一つは、本人の身体が要求する。
それは単に”中毒”ということではなく、肺の仕事を助けている。
人間の肺は必ず、口から吐いて鼻から息を吸い込む ことにより
下腹部の筋肉も動き、また身体全体の血液の循環を促し、
24時間常に酸素を供給することで細胞の活性化を図っている。
その仕事が両手の親指と全身の皮膚に関わっている。
肺が精一杯、呼吸をして体内に酸素を送り込むことにより生きている人間。
しかし、この当り前で当然のことを満足にできていない人も最近は多い。
鼻が詰って口でフゴフゴ息をしてる人とか、…ラーメン喰いながら。
普段から呼吸が浅いために便秘に悩んでる人とか、
肺の呼吸(肺の仕事)がしっかりとしていないために皮膚呼吸も中途半端で、
アトピーとか、乾燥肌、鮫肌、二の腕はミカンの皮のようになってるとか。
息を正しく吐いて、正しく吸う。これは大事だ。
もし煙草を吸うことで少しでもそれを補えるような気がする人は、
健康のために煙草はやめない方がいい。
でも、きれいな女優さんとかが普段の生活で鼻から煙を出すのは見たくないけどな。
これがいないようでいる。楽屋裏とかロケバスの脇とかで、鼻からぶわぁーっと。
スゴイ! テレビの中とは全然ちがう。「ええっ、あの魔性の女が…」というほど。
中にはそれを写メールしたのがバレてスタッフを首になった奴もいる。
どうでもいいか。
ともあれ、大腸癌の俳優さんも、胃癌のお父さんも
「医者がどう言おうと俺はタバコを止めない」
と気合を入れて癌を克服した人も世の中にはいる。
もっとも世の中の医者には、癌かどうかはっきりしないうちに
「癌の疑いがあります・・・」などと
癌ではない人を癌という病に仕立て上げる得意技を持ってる人もいるけど。
ともあれ、自分で自分の身体に責任が持てるなら、
その自信がある人は、健康のために煙草はやめない方がいい。
余分な知識で誤魔化されて余計に苦しむよりは(例えば抗癌剤の副作用とかな)、
自分で堂々と自分のやりたいことをやって生きた方がいい。
でも、子供はバッテンだよ。
背の高い人で煙草を吸っている人はなぜか少ない。…in my eyes.
確かに優作さんに憧れて役者を目指した人も多い。…今は少ないかも知れんけど。
咥え莨で、ブルース唄って。横浜BJの、あれな…。
でも小学生、中学生から吸ってしまうと本当に成長が止まる。
絶対に背は伸びない。脳細胞も普通の人よりビシバシ死んで逝く。
優作さんのような優れた記憶力はなくなってしまう。
台本、何回読んでも覚えられない。
一流の役者さんとなんか全然、キャッチ・ボールできない。
というより成れねぇけどな。普通の根性じゃ、ハリウッドまで行けない。
せいぜい行けてもキャバレーのハリウッド止まり。
たとえメインが獲れても任侠モノで、売れなくなれば捨てられる。
役者とヤクザは一字ちがいだけど、
組事務所の人、見方に付けても無駄だ。
ただ現場で威張ってるだけ。それ以上、幅は広がらない。
自分で自分の首を絞めて消えてゆく。
それでも頭を下げて何とか這い上っても、
敗者復活線まで辿り着ける人は・・・いたかな?
だからやっちゃダメだよ。薬もな。
カッコつけるなら違うこと磨いた方がいい。
自分の中に眠ってるもっと凄い奴な。
煙草なんてチンケな物で気取るより、
覚せい剤なんて二流のシロモノで人間やめるより、
どうせやるんだったら一流のヘロイン。K県警の人に頼んで…。
情報ときどき流れてるだろ、テレビとかで。
「横浜港で末端価格にしておよそ、いくら幾らの…」
とかいうNHKのニュース。お昼に真ちゃんが云ってる。
あれ、情報。お知らせなの。
一度、押収されても必ず横流しされる。…もしくは次に入荷する予告のカムフラージュ。
渋谷で入手できる中途半端な錠剤とは質が違う。一級品だよ。
でも、それをガラス板の上でカルキとかアジノモトとかと混ぜて。
霧吹きとプラスチックのトランプ横に置いてな。
それでマスクした人が造る。
だから一般庶民には純度100%のモノホンは手に入らない。絶対に。
残念だね。
これはお蔵入りになった任侠モノの台本にあった。
Mr,Under the Treeが見せてくれた。
『ワカラナイことはキノヤンに訊こう!』  (…後日、このコーナーも作ります)


とにかく、できないことは止めた方がいい。
自分にできることをやった方がいい。
あとで「生きていてよかった」と、心の底からそう思えることに
真剣に取り組んでみた方がいい。
これはローリング・ストーンズのキース・リチャーズから教えてもらった。
学校でも教えてくれない。
親も教えてはくれない。
ちゃんと人間をまっとうしてる人なら教えてくれる。
な、教育なんて必要ないだろ。
ゴルフやって喜んでる”ドラマの中だけの先生”が何を教えてくれた?
教育なんてちっとも素晴らしくないぞ。
家庭のお父さんなんてみんな疲れてる。
元気に見えるのはユンゲル呑んだあとだけだ。
買った時は白いはずのランニングが黄色くなってるだろ、
あれはゴールド・キューピーとか人参エキスの呑み過ぎ。
そんな見掛け倒しの元気ハツラツに教わることなんてあるか?
ましてやマルクスとユンゲルスを尊敬して
一つの御手本だけしか見えない頭で生きてる連中からなんて
為になることは何もない。かえってマイナスだ。ドラッグより酷い。
将来有望な十代、二十代の人の人生を台無しにしてしまう。

特定の思想ってのは本当に恐いゼ。新興宗教の上を行く。
もう赤狩りなんて誰もやってないのに、
本人達はまだ、あの時代に取り残されてる。
酔っ払いお父さんのゲロに顔を突っ込んでる方がまだマシなのに。
歴史上の事実は事実として認めることは大いに構わない。
でも絶対に実現できないことを
「できない」と判ってる人にまで強要しない方が身のためだ。
「自分は最初から間違ってた…」
と、あとになって認めたくても認められず、軌道修正の葛藤に苦しむより、
直感で「こいつはヤバそうだな…」と最初に思った時は
キッパリと付き合わない方がいい。
でないと『春のからっ風 』になっちまう。
だから他人の真似だけでカッコ付けるなんて、
今どんなに自分が寂しくても、それは偽物なんだ。
世の中のあらゆる情報には嘘の方が多い。
自分を信じられない者に何が残る?
他人の迷惑だけだぜ。あとは何も残らない。なぁ、青木さん。
必ず見つかる。
トイレの中で隠れて煙草 吸ってても先生に必ず見つかる。
じゃなくて、自分自身の本当の役割が、
真剣に”生きる”ってことを大切にしている限り、必ず見つかる。
この時代の年寄連中が見失ってしまった本来の人間として生きる道をな。
簡単じゃない人も多いけど簡単に見つけた人もいる。
生き残ることに真剣なんだ。生きることをナメてない。
そんなことすら考えずに自然にスッキリやってる。
ドラッグなんてやらない。
「空想から科学へ」なんて絶対 読まない。読む必要はない。
巷の漫画週刊誌の方がよっぽど為になる。
面白いモノは面白いと素直に楽しめる心。
そういう心、大事だろ。みんな子供の頃にあったヤツ。
「なかった」なんて強がりだろ。みんなあるぜ、人間ならな。
実はつい最近まで俺にもなかったんだ。
森の木を見ても、滝の水飛沫が面にかかっても、何も感じない。
ただボーっと煙草を吹かして景色を眺めてる。
でも眺めてるのは景色じゃなくて、
頭ん中いっぱいになってる過去の自分。
それが後悔なのかノスタルジックなのか、そんなことも感じない。
ただボーっと煙草を吹かしてる。
・・・危ねぇ。
で、どうやったと思う?
カリフォルニアのマーガレット・パターソン先生に電話して、
「俺もキースやピーターやクラプトンみたいに、
”黒い箱”で治療してください。お願いします」
って頼んでみた。すると、
「あなたは10ヶ月のところを10日で治すのは無理ね。10年かかるわ」
とか云われた。
そりゃそうだ、ヘロインより悪いモノが脳味噌いっぱいに詰め込まれてる。
じゃどうすりゃいいんだ?!
命を入れ替えるしかない。
リセットするんだ。
簡単だよ、リセットのボタンを押せばいい。一回だけ。
でも二回目はない。
神様は二回も三回もチャンスをくれない。
だって、既にそれが二回目なんだ。
毎日クソをコクほど何回もできるなら誰でもやってる。
そういう意味の”簡単”ではない。
みんなができる訳でもない。
ある程度の覚悟は要る。
中にはできない人もいるかも知れない。
自分の身体が具合わるいことを他人の所為にしてたりとか、
自分と他人を比べて何かを妬んだり僻んだりしてる年寄とか、
四六時中、紙ダニやシミって名の虫のようになって本を読んでる人とか、
どうしても余分な知識が邪魔してな。
だから世の中にはできない人もいるかも知れない。
でもやってみる価値はある。
「本来の自分自身を取り戻したい」って心から願っているなら、
「この地球上、この世界を変えたいなら自分を変えるしかない」
と気づいている人なら、
割と簡単にできると思う。
「勇気を出して一度 勝手に死んでみて、再び生まれ替ればいいや」
なんて、そんな馬鹿なことはしない。
丁度、システムが異常になって、思い切って再インストールする感覚。
あれに似てる。ちょっとだけな。
ゼロに戻るわけじゃない。
ちょとした容れ直し作業。
そういう意味でのリセットだ。
但し一回だけな。それは、


どんな事実も全部、夢だと思うんだ。
長い長い悪い夢。
心の底から自分にそう云い聞かせる。


これだけだ。
あとは自分で本当に必要なモノだけを容れ直せばいい。
何もなければ”無い”でも構わない。
リセットする前の覚悟が本物なら
必要なモノは自然に身についてくる。


な、簡単だろ。
ストラスバーグもサンフォード・マイズナーだって教えてなかったぜ。
肝心な部分になると「個々の諸問題が…」とかなんとか言っておいて…
そこが重要だったんだ。実は、あれも。
これと似たような方法もどっかに在るかも知れないけど
ちょっと違うのは
自分で自分の肉体の管理がどこまでできるかって所だ。
どんなに精神ばかりを鍛錬しても、
自己啓発の方法や策をいくら漁ってみても、
問題は中身がどこまで外側を管理できるか。
要するに肉体、身体の手入れと保管。これは、
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
とかいう格言で終わりにする年寄の教えとは全然違う。
あんな事は日捲りカレンダーの見栄えを考えた飾りに過ぎない。
もっと実践的な内容で、具体的に自分でできること。
何でもいい。
ストレッチでもヨーガでもラジオ体操でも
やってみれば「これじゃない」って判る。
慌てなくても大丈夫。
必ず必要なモノに辿り着ける。
…さっきのリセットに嘘がなければな。


で、ここからの話は参考までに・・・


『人間の設計図』に(…またコレだ)、
”お産のやり直し”ってのがある。
先天性で何らかの障害を持って生まれた子供とか、
そういう奇形児出産をしてしまった親子が対象だったけど、
二歳か三歳にならないうちにお母さんの身体に一旦戻す。
物理的には無理でも魂なら可能らしい。
要するに、肉体という心の(魂の)容器が、
今生で生きて行くためにはバランスが悪い状態。
物理的に不自由になっている部分は、
それが肉体の眼球であっても生殖器であっても、
本来あるべき状態にすることは殆ど不可能、施しようがない。
でもそういうハンディを他の部分で支えて補って、
本人が納得して生きられるようにするには、
その”お産のやり直し”という方法で解決できる。
ということで、具体的には”魂の程度を下げる”と云っていた。
誰が?って、『人間の設計図 』の著者が。


「今の程度の魂(心)では、この子の肉体(容器)を動かすのは
ちょっと難しいから、一旦、母体に戻して、何日かしてから状態が
良くなった頃、また容れ直す。服は着たまま。普段の生活となんの
変わりない格好で。お父さんが子供をダッコしてて、お母さんを横
に坐らせておいて、魂だけをお母さんのお腹の中へ戻す。また何日
かして子供の中へ容れる時も一緒。服は着たまま。やっている途中
は本人(子供)も、お母さんも普段となんにも変わらない。普通に
生活してる。…ただ、お母さんは、容れる時と出す時にはちょっと
だけ違う。私は判らないけど本人がそう云ってる。よし、と私が手
でこうやった瞬間から、お腹の中に胎児が居た時と同じような感じ
になるみたいですよ。それは別に何か動く訳ではないけど、本人に
云わせると、ちょっと重くなる。自分がその子を妊娠していた時と
おんなじような感覚で。お母さんだった人がそう云ってる。その本
(『人間の設計図』)にもそう書いてあるでしょ。…あれはその人
の体験だよ。実名で載ってる、ちゃんと。あとでみてみて。判るよ。
…それで、また何日かしてから”もういいよ”っていった日にまた、
ちゃんと戻すんですよ。これをまた子供の中へ。それも書いてある」
と、ある日、取材に来た人にも云っていた。
で、実際にやってもらった人がいる。俺が知ってるだけでも三組。
”程度を下げる”と云っても別に頭の程度が低くなるということでもない。
実際に、その”容れ直し共同作業”を受けたある子供は、眼が不自由でも、
スティーヴィー・ワンダーのように耳が達者で、音感が鋭い。
歌を唄う本人が心の底から楽しんで唄っていた。三歳で。
それを側で聞いていて、聞いている人も楽しい。
小さい子が唄っていて可愛いから…という意味ではなく、
持って生まれた能力をフルに使っていることが伝わってくる。
そんな羨ましさのような、本当に人間として生きている有様を実感する。


で、その人(『人間の設計図』著者)が、まだ生きていた時、生前中に、
「一歳、二歳、三歳児ではなくて、大人というか、成人してしまった人間。
例えば僕なら僕は、そういう”容れ直し”というのは出来ないんですか。
これだけ身体が大きくなって成長してしまった場合は無理ですか?」
と、俺は質問したことがある。外はすごく天気のいい朝だった。
すると、しばらく間を置いて、
「できるよ」
と、笑顔で簡単に云うので、
「えっ、できるんですか? どうやるんですか?」
「どうして? やってみたいの?」
「…なんか、自分自身、やった方がいいんじゃないか…と思って
ちょっと訊いてみたんですけど…」
「できるできる。やってみようよ!」
と、今にも”スグ出来るよ”という顔つきだったので
「…?。えっ? 今? これからですか?」
「そうだよ。これから…」
場所はとあるマンションの一室、座卓に斜向かいに坐っての会話だった。
俺はスーツ、その人は茶色い着物を着ていた。
「どうやるんですか?」と、再び訊き返すと、
「…自然界に追いやる」
「追いやる? 何を? 魂を?」
「うん、中に入っているモノをぜんぶ一旦 外へ出してしまって、
この自然界に曝け出してしまう。それからまた・・・」
この時の俺の頭の中には、なぜか、街路樹の緑や川面の景色のようなものが
鮮明に浮かんで、それは一瞬にして消えた。そんな感触を覚えている。
そして会話は続く。
「…あぁ、自然界へ。中身を。…で、僕はどうなっちゃうんですか? 
…なんか自分で云っておいて、なんか、ちょっと怖くなってきたな…」
「そぉんな、怖くなんてちっともないよ、そんなことは…」
「ああ、はい」
「大丈夫だよ、普段通りにしてればいい。おんなじだよ、
○○さんにやった時と。ちっとも怖いなんてないよ」
「ああ…”お産のやり直し”と。えっ? でももう、はじまってるんですか?」
「うん、やってるよ。もう。」
「えぇ、どこで? …あ、そのあとはどうするんですか?」
「…まぁ大丈夫だから安心してて。…どう? なんか変な感じでもする?」
「いや、別にぃ…」
「大丈夫でしょ」
「はい」
「じゃ、行くか」
と、高崎の事務所へ出勤した。この時の俺は”朝の運転手”の係りだった。
その道中、車の後部座席で、
「…そっかぁ。事務長は容れ直すのねぇ…」
と、云っていた。しばらくして山道を進みながら、
「今までやった人はいるんですか?」
「何を?」
「いや、その、”自然界に追いやる”って、そういうことを…」
「いないよ。初めてだよ」
「え? 初めてでもやっちゃうんですか?」
「…うん。…だって、自分でやりたかったんでしょ」
「あ、はい」
「で、どう? 今の自分は? なんかおかしい所とかでもある?」
「いや、ないです。…でもなんか、スッキリしたような気分で…」
「えぇ? なぁに?」
「いや、気分がスッキリしてます」
「そぉ…」
と、バックミラーに映るその人の顔は、窓の外の景色を眺めていた。
事務所へ着くと、その人は他の社員に、
「少しの間だけ事務長には何もやらせないでね。電話も…」
と、いきなり云われ、みんなはポカンとした様子で、それでも、
「…はい」と応えたきり、それ以上は何の追究もしなかった。
「事務長は?」
「はい」
「大丈夫だよねぇ。何もしないでそうやっててねぇ。…何もしないでって
ことはないけどぉ、まぁいつもと同じにしてて構わないから、そうやっててねぇ」
と、そんな感じで二日、三日が過ぎた。
その途中、いつ、どこで、どうやって中身を戻されたかは見当もつかぬまま、
あの、台風19号が日本へ上陸した夏が終った。
その後、三~四年は毎日が忙しく楽しかったが、
色々な意味で会社の中にいた人間、全員に擦れ違いが生じ、結果的に俺は、
自分からその会社から飛び出た。 
それが、ローリング・ストーンズが三度目に来日した
1998年3月17日火曜日だった。
その後、一度だけ、
東京ステーション・ホテルのレストランでその人に逢ったが、
元気な姿をこの眼で見たのは、それが最期だった。
そしてあの、虹がきれいだった日 に至る。


さてここで、初版の『人間の設計図』(80ページ辺り)には記されていなかった内容
『改訂版』(完全版)に記されるはずの重要なページのうち 3ページを(こっそりこの場だけで)
”創った側の人”の直筆原稿からご紹介する。(ここまでくると余談ではないな・・・)
尚、この内容は、後日、何らかの事情により削除されることもあるかも知れないので
メモのご用意を・・・。

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     肺臓と大腸と鼻

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         この内容は、以下のページに掲載されています。

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        http://ameblo.jp/badlife/entry-10004073609.html


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                               初版 『人間の設計図 』 未公開原稿より。
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その出版がいつになるかは別として、
次回の『人間の設計図』では更に、これらのことを踏まえ、医学が人間の創られ方についてを理解し、
また医療に従事する者にとって、”人間を解る”指導者がいたなら、今日、癌やその他の成人病
をはじめとする現代の様々な病気、症状によって、これほどまでに多くの人々が苦しむ
ことはなかった・と付け加え、特に大腸癌と肺癌の関係、また、そもそも癌という物が
どうして起こるのか、原因を具体的に明確に記し、治癒させる方法を解説している・・・はずである。
またその一部は、初版『人間の設計図』の案内板として1994年に刊行された
大自然の気による医療革命 というタイトルの本の中でも紹介されている。
ご興味ある方には一読をお薦めする。こちらならまだ全国の書店でも注文は可能だと思う。
そして『人間の設計図』の著者は独自に開発した”導引法” 【どういんほう】というもの
を紹介している。
これは、独自であって中国や仙台などで教えられている健康法とはまったく違う。
別に何の究極でも、四千年の歴史がどうしたもこうしたもない。
必要な人が必要に応じてやる肉体の管理、日々の容器の手入れ、
人間が生きるために必要な生活必需の12行。
やりたくない人はやらなくていい。
名前が同じようなモノも世の中には沢山あるが(俺はちょっと紛らわしい感じもするけど)、
中身は全然ちがう。どこがどう違うかは、やってみた人が「本物だ」ということが判る。
ここでそのすべてを丁寧に書くつもりはない。
書いた所で書いてある通りにできる人はまず、いない。
中途半端にやるなら、また栄養ドリンクを呑んでは誤魔化す生活を繰り返した方がいい。
高崎の問屋町という所だったか(相模大野にもある)、
それを継承して割合しっかりと教えている人もいるけど、
必要な人、やってみたいと思う人は、自分で探してみればいい。
俺は今、まったく関係していないので、それはそれで個人の判断に任せることにしている。
ただくれぐれも、興味本位な判断、散歩ガテラとか、それが中途半端な気持ちなら、
行っても無駄だ。きっと、「帰っていいよ」って云われる。
それほど真剣にやってる・と思う。”生きる”ってことをナメてない。
○○接骨院とかナントカの治療院とか、あっちこっち徘徊して、
趣味で”具合ワルイ”ってやってるような人は絶対に相手にしないし、何も治らない。
「ここも駄目だ」「あそこもダメだ」「たぶんココも駄目だろうな・・・」
という人は、どんなに苦しくても、そのまま死ぬしかない。
死んでも恐らく治らない。
「この障害が治ってしまうと補助金が無くなる」とか、
かつてそういう人も何人かいたけど、それも迷惑だから最初から行かない方がいい。
曖昧な気持ちで生きていることが楽なら、それはそれでいい。
でも他人に迷惑を掛けるような生き方は、これからの時代、もう通用しなくなる。

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大変だろ、一回だけのリセットも。
でも間に合った人もいるぜ。
俺以外にもな。


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